恋に落ちたら
もり ひろ
第一話「ぼくの恋」
「あ、クロマニヨンズやん。わたしもヒロトとマーシー好きやねん」
ぼくは息が止まるかと思った。
ぼくの右耳から伸びたイヤホンのケーブルを辿ると、途中で二つに分離する。片方はウォークマンに、もう片方は彼女の左耳に至る。
その日からぼくと彼女は、休み時間や放課後になればブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズの話をした。正確には、ぼくは思うように話せなくて、彼女がずっと「あの曲がいい、この曲が好き」と話しているばかりだったけれど。
そんな彼女とも、今日で会えなくなる。
ぼくらは中学を卒業するのだ。
ぼくは地元の高校へ通う。彼女は親の転勤があるので、引っ越し先の高校へ通う。もう彼女には会えない。
ぼくの想いを伝えるには今日しかない。だからぼくは、彼女を放課後の教室に呼び出した。
目の前に立つ彼女の目が見れずにいる。彼女がぼくをまっすぐ見ているのはわかる。彼女も、ぼくが何を言うのかきっとわかっている。だから待ってくれている。
それなのに、ぼくはもじもじとして想いを打ち明けられずにいる。彼女を呼び出す勇気はあるのに、一番大事なところで怖気ついてしまっているのだ。
こんな時、ぼくらのヒロトとマーシーはどうするのだろう。ロックを愛して、ロックに愛された彼らは、きっとロックに切り抜けるに違いない。
ぼくと彼女を結び付けてくれたのは、ヒロトとマーシーだ。彼らは、ぼくにとってのヒーロー。
ヒーローの二人がぼくの中に現れたって、ぼくには言葉が出なかった。胸がドキドキしているのを痛いくらいに感じるのに。
「新しいクロマニヨンズのCDを、注文したよ」
ぼくの口からやっと出たのは、そんな言葉だった。口にできないなら、せめてラブレターでも書いて渡せば良かったのではと、ダサい後悔が生まれてくる。
「そうなんだ。でも、もう君の家に遊びにも行けなくなっちゃうね」
彼女の声は、ヒロトやマーシーのことを楽しそうに語るあの声ではなかった。寂しさを孕んだ、とても小さな声。
「りこちゃん、あのね、あの」
大事な言葉が、出てこない。想いは溢れているのに、たった一言が出ない。
「あのね、あ、あのね、あのね」
「わたしも」
「え?」
どもっているぼくの手を彼女が握った。細くて、小さくて、白くて、冷たかった。
「わたしも、きみのことが好き」
それから、彼女はクロマニヨンズの「恋に落ちたら」を歌いながらぼくを抱き寄せた。手は冷たいのに、彼女の身体は温かくて、柔らかかった。
「だから、きみの言葉で聞かせて」
耳元で囁かれて、ぼくはもう頭の中が遠くに飛んでいくようだった。
意を決したわけでも、勇気を振り絞ったわけでもない。脈拍が高まりすぎてめまいがする中で、ぼくは彼女の耳元で囁いた。
「りこちゃん、好きだよ」
◇
あれから何年が経っただろうか。クロマニヨンズのライブ会場で彼女を見かけることがある。連れ添った男性とライブを満喫する彼女は、今でも魅力的だった。
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