第16話

「おい、そこまで深刻に考えていたのかよ。てかメインは教職だったんじゃないのか? 剣道だって教職についてから始めたとか言ってたしよ」

 湊音は洗剤のついた手でずれたメガネを上げたせいで洗剤がついてしまっている。


「……本当は教職、父が望んだものだった」

「自分で、じやなくて親の敷いたレールに乗った感じか?」

「ああ、子供の頃から俺の背中見て教師になれ、だなんて言われてて。かと言って自分のなりたいものはなかった。だから教職しか僕にはなかった」


 シバの食器も洗い始める湊音。シバはその彼の横に立つ。


「でも高校の時にな、あの大島先生が担任になって……そこから考えは変わった」

 ほぉ、ここから話長くなるか? とシバは壁に背中をつけ、腕組みをした。完全に右から左へである。


「父は完全に教師、という人間だったが大島先生はとてもラフで。堅苦しくない。まぁとにかく熱い男だった。あの頃の僕にとってはうざったいやつだったが」

「いるよなー、たまに暑苦しいやつ」

 とりあえず同調しておくシバ。


「でもその暑苦しさはだんだん違う熱量であることがわかった。彼が剣道をしている時の目、オーラが全く違う。それを見てから授業をまともに受けよう、と思った」

「あれ、その時に剣道はしようとは思わなかったのか?」

 シバは少し前のめりになった。


「ああ、やろうとは思わなかった。部活動自体めんどくさいなーって感じで。それは後悔している」

 まぁよくわからんな、とシバはまた壁にもたれかかった。


「シバは高卒で警察に?」

「ああ。一応これでも優等生でな」

 ふふん! と偉そうにシバは言う。

「信じられない」

「信じろよー。能ある何たらは爪を隠すって言うじゃん? で、湊音も大島さんみたいに堅苦しくない教師になりたいとか言いつつもthe堅苦しい教師じゃないか」

「……そこは……父に似てしまった」

 湊音は手を洗ってメガネについた泡を服で拭う。


「ご馳走様。じゃあ僕は帰るよ」

 湊音は荷物を手にして帰ろうとするが、シバは玄関を塞ぐ。


「……ちょ、どけよ」

「湊音はよ、昨晩のことはどう思ってんだ?」

「あ、いや……その。事故だと……記憶にないし」

「事故……」


 シバはその言い方に唖然とする。湊音はシバの肩を叩いた。


 その時だった。


 シバは昨晩の記憶を思い出した。


 肩を掴むのは自分の下にいる湊音。じっとシバを見ている。トロントした目で。それに惹かれてシバはキスをした……。



 という記憶。シバは声が出ない。何故この記憶が?


「じゃあ、ありがとう」

「……お、おう」


 湊音は部屋から出て行った。

「事故で済ませるのかよ。なんだあの男は……それになんだ、あの記憶」


 ふとテーブルを見ると見覚えのない財布。シバは湊音のだ、と手にして彼を追いかけた。


 ドアをダダダダッと降りて一階を降りたところに例の下の階の男と出くわした。


 やたらとニヤニヤしている。

「冬月さん、どーしましたか?」

「いや、その……」

 さらにニヤニヤする弥富。スゥエット姿だがどうやら1人のようだ。

「弥富さん、今日は……女の子いないんすか?」

「いないよ、今日昼には妻が来るもんでね。呼んだら匂いがついてしまう……で、さぁ」

 シバはさっきからニヤニヤされているのが嫌に感じる。


「なんすかさっきから」

「なにって、冬月さんも……昨晩……」

 ハッとシバはすぐ反応した。階下の弥富が言いたいことが。


「冬月さんも女の子連れ込んで! もう下まで響いてましたよー激しかった夜、それだけでもいいおかずになりましたよぉ」

 記憶にないシバだがやはり自分は昨晩湊音と致してしまったという第三者からの証言を聞き、やはりかぁと頭を抱える。


 だがおかずにされたというが、相手は湊音である。それも知らず男同士の営みで……とシバは弥富を同情する。


「お店の子? それとも彼女?」

「ちがうっ、それよりも!」

 それよりも湊音である。どこへ行ったのだろうか。シバが財布を出し、弥富に見せる。


「湊音先生の家は知ってるか?」

「ん? 湊音……あーあの人ね。教育委員会会長の息子。すぐ近くのタワマンに住んでるよ」

「タワマン……わかった」

 シバは指さされたところに見える唯一高いマンションをみてすごいところに住んでいるなぁと思っていたら


「それ湊音先生のかい? 拾ったの?」

「……あ、ああ。一応俺は用務員でな」

「へぇ。てかあの湊音先生と仲良いのですか?」

 弥富にはフゥン、という感じだったがやはり昨夜のシバの相手が湊音というのはわかってない。そしてその言い方に引っかかったシバ。


「あのってなんだ? 確かにちょっと変わったやつだが」

「変わったどころじゃないよ。彼の父である会長はこの学区内でもすごく有名な良い先生で先日も先生のパーティがあった時に多くの同窓生が来て僕らも応援に行ったけどとても物腰の柔らかい人だったのに……その人の息子とは思えないくらい。多分会長もさ、他人の子は上手く育てられても自分の子は上手く育てられなかった……あ、この話はここだけにしてくれよな」

「……」

 聞いてもいないことをあけすけに話す弥富に対してシバはため息をついた。そしてニヤッと笑った。


「またお前の弱み握ったからな。何かあったら……それ言ってやるからな」

「ひぃ」

「わかったか?」

 シバがニヤッと笑うと弥富はしまった、という顔をして部屋に入っていった。


「たく、湊音……」

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