第1話 祈りと送り―4(了)

 送り式、当日。


 分校の周囲は、月華たちの簡易的な結界を張ることになっている。ヒトに見られないように、そして間違って入って来ないように。特に付喪神になっている者の送り式は、注意が必要である。今回は、すでに取り壊された場所で行われる送り式ではあるけれど、きちんと月華三人の結界を張ることになった。


「お待たせしました」


 ミイたちは正装をしていた。絹の、真っ白なシスター服、もちろんケープも付けて。ミイとムツは、ワンピースで、イツはワイドパンツスタイルになっている。送るものへの最大限の敬意を持って臨むための服。


 スーツ姿の美鳥は、三人の装いを見て息を飲んでいた。これから儀式が始まるのだと、強く意識したらしく、少し緊張の表情が見えた。


「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。ここには、わたしたちしかいません」

「分校を送るために集まった者ばかりです」


 ミイとムツが、柔らかな笑みと共に、美鳥の緊張を解していく。イツは、せっせと丸テーブルを地面――校庭だった場所の中央に置いた。そして、色とりどりの造花を飾り付けていく。花瓶やバスケットを使って、色々な個性を持った子どもたちが、一か所に集まったかのような賑やかさを作り出す。


「イツ先輩、この緑の花は真ん中でいいですよね?」

「僕もそこに置こうと思ってた」

「やっぱり」


 飾り付けを手伝うためにさっとイツの隣に移動したムツは、イツの答えに満足そうに笑った。二人が用意した緑色の花は、花々をまとめるように中央に配置された。


「本当に、緑色の花があるんですね。あ、でもこれは造花だからこういう色にしてもらったってことですよね」

「いいえ。ここにあるのは造花ですけど、全部実在する花たちです」

「この緑の花は、ジニア。長く花を咲かせることから、百日草とも呼ばれてる」


 イツは、ジニアの造花を一本抜き取ると、美鳥に手渡した。花の中央から、幾重にも重なった細長い花びらが、可愛らしい丸い形を作っている。


「ジニア……。初めて見たけれど、この花、好きです」

「気に入ってもらえて良かったです。花言葉は、『不在の友を思う』『幸福』です。この送り式に合うかと思いまして」


 美鳥の目が見開かれて、そして少し潤んだように見えた。

 花選びは、イツとムツに任せていた。二人でどれがいいかと悩んでいる姿を見ていたから、美鳥のこの反応は、ミイにとっても嬉しいものがある。


「次は、香を焚いていきますね」

 ミイは、用意していた香を取り出した。指先に乗るほどの大きさの三角錐。豆皿に置いてから、そっと火を付ける。ゆったりと煙が上へと上がっていく。同時に香りが校庭全体に広がった。


「わあ……。とてもいい香り。それに、何だか懐かしい感じがします」

「美鳥さんから聞いた分校のことを、香りに落とし込んでみました。木の香りをベースに、色々な花の香り、畳やインクの香り、などを混ぜてみました。気に入っていただけたようで、何よりです」

「ありがとうございます。また分校のことをこんなに近くに感じることが出来るなんて、嬉しいです」


 造花と香の準備が整った。

 ミイたちは、胸の前で手を組む。美鳥も同じように祈りの姿勢を取る。目を閉じて、かつてここに建っていた分校へと思いを馳せる。たくさんの子どもたちが、過ごし、そして巣立っていった学び舎。



『わたしたちは、あなたを忘れません』



 ミイ、イツ、ムツの三人の声が重なる。たった一言に、祈りが集約されているのだ。


 どこかの誰かが言った、ヒトは二度死ぬと。一度目は生命活動が終わった時、二度目は忘れられた時。物に当てはめると、一度目は壊れた時、二度目は忘れられた時、となる。しかし、物は二度目の方が先に来ることもしばしば。忘れられた末に、朽ちて、壊れる。それはあまりにも寂しい。


 せめて忘れないこと。それが何よりの弔いになると、ミイは考えている。


「お疲れ様でした。あの子たちは、きちんと卒業していきましたよ」

 美鳥は、手を組んだまま、かつて校舎があった場所に向かって、そう語りかけた。


「美鳥さんも、お疲れ様です」

「私も、ですか?」

「はい。美鳥さん自身の黒板は、元々本校にあって、分校での勤務が決まると、校長先生の計らいで、黒板本体も持ってきたと、聞きました」

「あら、校長先生そんなことまで話したんですか」


 美鳥は、少し拗ねたような口調になってそう言ったが、本気で怒っている様子はない。


 分校に黒板が移されて、そこから取り壊されるまで、数十年。黒板は分校の一部だった。そして、分校も彼女の一部であった。

 取り壊しの際に黒板だけ持ち出されて再び本校に戻したという。美鳥はずっと子どもたちを教え、見守って来たのだ。


「ありがとうございます。労いの言葉は、素直に嬉しいものですね」

 祈りが終わったところで、お茶の用意を始める。ささやかな、お茶会をして分校の話を聞くことになっている。美鳥が無帰課の仕事のことを知りたがっていたため、お互いの仕事の話をする時間になりそうだ。


「送り式の最中にすみません」


 ふいに、月華の一人、初月はつづきから声が掛けられた。月華の三人が、三か所に立ち、作られた三角形の内側が結界となる。だから、その中心にいるミイたちからは少し離れたところにいるのだが、位置を調節して、近くに来たらしい。


「どうかしましたか」

「門の外に子どもが六人います。中に入るなどと話しているので、念のため報告をと思いまして」

「中に? 少しまずいですね。知らせてくれて、ありがとうございます」

 ミイは、すぐにお茶を飲もうとしていた美鳥たちに伝える。


「子どもが、六人……? まさか」

「美鳥さん、もしかして心当たりが?」

「少し様子を見てきてもいいですか」


「はい。ただ、結界は外からも内からもお互いには見えないようにしているので、門から出ると、突然現れたように見えてしまいます。面倒かもしれませんが、少し離れたところから出てください」

「分かりました」

 美鳥は頷くと、急ぎ足で結界の外に出て、門のところへ向かった。ミイたちは、その会話だけをそっと聞くことにした。


「あなたたち、何しているの!」

「美鳥ちゃん!」

「先生を付けなさい」

 慣れたやり取りを交わしている。どうやら、美鳥の生徒らしい。


「分校に挨拶しに来たんだ」

「そうそう」

「え?」

 美鳥の生徒の中でも、分校に通っていた子どもたちのようだ。悪い方向にいかないか、ミイたちは固唾をのんで耳を澄ませている。


「だって、壊す時に行きたいって言ったら、美鳥ちゃんだめだって。どうしても来たいなら、卒業してからって」

「忘れちゃったの?」

「……!」

 言葉なく、驚いている美鳥の気配を感じた。



 ミイは、準備期間中の美鳥とムツの会話を思い出していた。

「美鳥さん、子どもたちには知らせなくていいんですか?」

「え、ヒトは参加出来ないですよね」

「音楽館の取り壊しの時に、ヒトが送り式に関わった例があります」

「あれは、ヒトの子がお別れを言いたいという願いを手伝っただけ。正確には送り式ではないわ」


 ミイは、美鳥が勘違いしてしまわないように、訂正を入れた。ムツが、すみません、と肩をすくめて答えた。


「そういえば、あの子たち――分校の最後の生徒たちが、取り壊しの時に来たいと言っていました。でも、大がかりな工事になるので、危険だから駄目だと答えたんです。卒業してから来たらいい、とも。でも、あの子たちは、もう本校で過ごした時間の方が長い。愛着も次第に薄れていく。それでも、いいんです」



 驚いていた美鳥が、子どもたちへ向けて何とか口を開いた。

「忘れては、いないけれど」

「じゃあ、中に入れてよ!」

「卒業証書持ってきたし、美鳥ちゃん渡す人やってよ」

「レジャーシートも、ジュースも、お菓子も持ってきたからさ」


 子どもたちは、美鳥にぐいぐい迫っているのが目に浮かぶ。えっと、と言いながら困っている美鳥の声もしてきた。


「えっと、じゃあ、校長先生に卒業生の子たちを中に入れてもいいか、聞いてみるから、もう少しここにいてもらえる? いい?」

「分かった。絶対いいって言ってもらって!」

「約束したんだから、大丈夫だって」

「そうそう」


 美鳥が、駆け足で校庭に戻って来た。その目には、溢れんばかりの涙。予想外のお客さんに、驚きと嬉しさの混ざり合った表情を浮かべていた。


「あの、皆さん、その」

「お話は聞いておりました。花と香、そして祈りは終わりました。この後は、子どもたちに任せましょうか」

「賛成です」

「僕も」


 意見が一致したところで、ミイたちは、片付けを始める。テーブルは持ち帰るけれど、造花と香は、元々美鳥に判断を委ねる予定だった。子どもたちのお茶会に彩を添えられるだろうから、置いていくことにした。


「では、よい式の続きを」




**




 ミイたちは、本部へと帰って来た。

 一通り片付けを終えて、ミイたちはシスター服を脱いだ。正装からいつもの服装になって、ようやく送り式が終わったという心地になる。


「二人とも、お疲れ様」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」


 ムツが、お茶を淹れますね、と簡易キッチンに向かった。ここは、会議室という名前ではあるが、簡易キッチンもあり、談話室と言った方が合っている気がする。


「今日の、いい式だったと思う」


 机に頬杖をついて脱力したイツが、ぽつりと呟くようにそう言った。ムツも、グラスを用意しながら、そうですね、と返していた。梅の香りがしてきたから、梅昆布茶を入れてくれたようだ。


「ねえ、イツ。前に祈りに意味があるのかって言っていたわよね」

「うん、言った」

「祈りも送り式も、確かにいなくなってしまった彼らのためのものだけれど、意味は送るわたしたちの方にあると思うわ」

「僕らに?」

「祈り、思い出すことで、今在り続けているわたしたち自身が救われることになるわ」

「……それは、なんとなく分かるかも」


 机の上に、三つのグラスが置かれた。氷がたっぷり入ったグラスに、淹れたてのお茶が注がれて、冷たい梅昆布茶が完成している。透明感のある緑色は、自然と美鳥のことを連想させた。


「今日の式で、分校がすごく大切にされてたって分かりました。……少し羨ましいなって、思いました」

「そうだね」


 ムツの言葉にイツも短く同意した。ミイは何も言わなかったが、同じ気持ちだった。


 無帰課の者たちに記憶がない『とある』理由。それは、心臓である本体、物そのものはすでにから。何かの心残りで、ヒトの姿をしたまま、留まっている、付喪神の幽霊のような存在。記憶がないため、何が心残りなのか、そもそも自分が何の物の付喪神なのかさえ、分からない。


「……さあ、氷が溶けて薄くなってしまう前に、いただきましょう」


 三人は、疲れた体に梅昆布茶を染み込ませた。

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