私がスイッチを切るまでに
カステラ
第1話
スリープ中であることを伝えるだけのパソコンの青い光が、床を十分に照らすこともなく、しかし不必要にはっきりと光っている暗い一室。そのアパートで電気が灯っていないのはその部屋だけであった。
クーラーがつけっぱなしの部屋で、ずっとたたまれることすらされていない薄い布団に和奈は寝ていた。彼女の上げた片足で布団は乱れ、横向きに寝相を直しさらに乱れる。彼女の伸びっぱなしの黒髪は無造作に体と枕の間にばらまかれ、とても安眠とは言い難い。
――ガタン、ガチャガチャガチャ。
「あれ? なんで開かないの?」
突如大きな音を立て揺れる玄関ドアと男性の声。彼女の浅い睡眠を覚ますのには十分であった。
びくりと体が震え、彼女の目が開く。いまだ断続的に続く自室の玄関の音と試行と混乱の声の方向を寝返りを打ち、見やる。
(あぁ、酔っ払いが部屋を間違えたのか)
ドアが開かないことに困惑する男性の声から、真っ当な推測に行きつく。新年度シーズンだからか、つい数週間前も同じようなことがあったことを和奈は思い出していた。
しかし、女の一人暮らし。ただの酔っ払いだと考えはしたが、和奈の心臓はドアに負けないほどの大きさで胸を突き上げていた。横になったまましばらくドアを注視していると、
「あ、もしもし。――」
玄関の前の人物は電話をし始めたようだ。ぼそぼそ話しているため相槌程度しか内容はわからないがまだ玄関前に入るようだ。
「――え!?」
突然玄関前の人物が驚きの声を上げたかと思うと、話し声とともにタッタッタと駆け去る足音が遠ざかっていった。
遠ざかる足音にいくぶん遅れて和奈の心臓の音も胸の内側へ遠ざかっていき、ふぅーっと大きく息をつく。体をむくりと起こし顔に絡みついた髪をどけ、枕元にあるスマホを付ける。
(20時過ぎ……こんな時間から酔っぱらっていい御身分)
思い、和奈は自身の太ももを薄い毛布越しに握りこぶしでタンタンと叩く。
完全に目が覚めてしまった和奈は足にかかっている毛布をどかし、リモコンで電気をつける。急激な光刺激が目をいつも通り襲い、顔をぐっとしかめ目を閉じる。そのままパソコンの位置までのそりと移動し、目が光に慣れるまでパソコンの前であぐらをかいたままじっと寝足りなさを補う。
目が慣れパソコンをスリープモードから解除するも、特に何か目的があるわけでもなくただただインターネットの色のついた光刺激を操作する。
彼女には何もなかった。仕事も趣味も人付き合いも、すべてが長続きしなかった。アルバイトは5回辞職した時に諦め、趣味へのお金の使い方が分からず諦め、人と仲良くなった後どう付き合えばいいか分からず諦め、そして全てから逃げて1年が経とうとしていた。
幸い仕事自体は真面目には取り組み(いや、さぼったり不真面目したりした後のことが怖かったと言った方が正しいか)、お金を大量に使うような趣味もないためこうして生きていることはできた。しかしその貯蓄もあと3か月ももたない程度となっていた。
(お腹空いてるなぁ)
そんなことを考えながら、少しべたついた髪を黒い髪留めで大雑把に後ろで一つ結びにする。細い手に体重を分散しながら米俵でも背負っているかのように腰を上げて立ち上がる。一人用のこじんまりとした冷蔵庫を開くが、中には数本の飲料水と調味料しか残されていなかった。
「はぁーマジか」
ため息とともに息とも声とも取れる音が漏れる。
(あーめんどくさいなぁ)
パソコンの前に戻り、崩れるように座る。
このまま何も食べなければ死ねるのかと和奈の頭によぎる。
(もうどうでもいいよなぁ)
幾度も考えたことはあったが、結局そんな度胸も勇気もなくここまでズルズルと生きてしまっていた。自身を終わらせる方法を調べるたびに、その瞬間の苦しさを教えられる。死にたいという気持ちと結局実行に移せない自身の滑稽さを忘れるために布団にもぐる。そんな繰り返しをしてきた彼女は今回もどうせできないだろうと分かっているため、もういちいち勇気ある行動を調べることはしなかった。
座ったままどこかに投げ捨ててある財布を探す。パソコンが置いてある机の下に落ちていたのを見つけた。
(…………あったし行くか)
パソコンと電気はつけっぱなしに、財布一つを部屋着のポケットに入れて、スリッパを足に引っ掛けてドアを開けた。
先ほどまでの機械の明かりや風とはまた違う、4月中旬にしては暑い光と温度に「あっつ」と口を乗っ取られながら、いつも通りドア出て左に行こうとしたところで、足が止まった。
「…………あれ? ……どこ、ここ」
和奈の後ろでバタンと扉が閉まった。
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