現実からデスゲームへ

第三話 友よ、殺し合おう(Friends, Let's Kill Each Other.)

 朝、目が覚める。少し悲しい気持ちになる。

 木製の天井があり、畳敷きの床。窓から陽の光が入ってくるが、そこに至るまで、部屋のあちこちでここが日本だとアピールがなされていた。


 俺の手に入れてきた調度品の数々は、イタリア貴族らしい贅沢でクラシカルなものだ。だが、肝心の部屋が日本の安アパートの域を出ない。しかし、それも仕方ないのだ。住んでいる場所を胡麻化すことはできない。

 急にタワーマンションや豪邸に引っ越してしまうと、それだけで怪しまれる材料になってしまう。


 俺には二つの顔があった。

 一つはアメリカ海兵隊の将軍であり、イタリア貴族の末裔、フリード・神宮じんぐう・シーヴルズである。華やかな戦果を築き、人々から英雄と称えられる実力者でありながら、戦場での親友たちの死を看取った悲しみを背負う男。そんな美しいドラマと栄光こそが俺に相応しいものだった。

 そして、もう一つは山本一郎という、50歳を過ぎて定職もなく家族も持たない貧相な男。

 とはいえ、二番目の顔など、もう失って久しい。俺の唯一無二の正体こそが完全無欠たるイタリアの英雄、シーヴルズ将軍なのだ。


 クラシックをかける。もちろんレコードだ。デジタル音源など聞くに堪えない雑音に過ぎない。

 モーツァルトの交響曲40番「疾走する悲しみ」。「沈黙の艦隊」の海江田艦長が深海で流した音楽だ。この勇壮さと悲愴さを兼ね備えた曲を聞くと、勇気と希望が湧いてくる。

 曲を聞きながら、服を着替えた。シャツを着て、ズボンをはき、ネクタイを締める。勲章のついたグリーンのジャケットを羽織り、軍帽をかぶった。鏡を眺めて、ネクタイと軍帽の位置を調える。

 よし、今日も決まった。身が引き締まる思いする。よし、出かけよう。今日も仕事があるんだ。


 姿勢を正し、行進するかのように堂々と街を歩く。誰がどう見てもアメリカ軍の正式な将校に見えることだろう。


 ドン


 誰かとぶつかった。


「Sorry(すまん)」


 俺は流暢な英語で謝罪を表明する。

 ぶつかったのはまだ若い女性だった。20代後半か30代ちょっとくらいだろうか。私は胸ポケットに入れていた名刺を取り出し、彼女に握らせる。


「Please contact me if anything happens. I'm going to take the necessary action.

(いつでも連絡ください。自分の責任から逃れるつもりはありませんので)」


 そう伝え、ウインクする。しかし、女性の反応は怪訝けげんとしたものだった。

 まじまじと俺を眺め、一言も発さずに足早に立ち去ってしまう。


 思うことがある。人と人とは互いを信頼し合い、そうして人間関係を築くべきではないだろうか。

 俺のやっていることは人々に夢を与え、幸せをもたらすことだ。その第一歩は信頼することなのだ。その一歩目を放棄されてしまっては俺としてもどうすることもできない。

 まずは信じてほしい。話はそれからなのだ。


 本屋の前まで来た。まだ、シャッターが下がっている。

 とはいえ、完全に下がり切っているのではなく、下方に隙間があった。俺はシャッターを少しだけ開けると、それを潜って店の中に入っていく。


「あら、フリード、来たのね」


 声をかけられた。この本屋の店長である秋子さんだ。


 書店というものは、戦後の百年近くにわたってバブル的な手法によって栄えていた。出版業界において力を持っているのは問屋――取次だ。取次は出版社から本を買い取り、書店に卸す。そして、書店は売れた本の売り上げだけを支払い、売れなかった本はそのまま返本する。売れなかった本の代金は出版社にとって借金となるわけだ。

 だが、借金を返す代わりに、出版社は新刊を取次に納品する。それに対し、返品分を差し引いた金額を取次は支払うのだ。こうして、出版社は取次に依存し、際限なく新刊の数を増殖させ、書店は取次によってリスクを肩代わりされる。取次の権力は絶大だった。

 しかし、それも過去の話だろう。主流はすでに電子書籍に移行し、紙の本など好事家のものとなり果てつつある。まず、書店が死に、取次は借金の返済を求め、出版社の首が締まる。勝者のいないジリ貧の時代が来ていた。


 秋子さんはそんな状況で書店を経営し続けている。やり手の店長といえた。


「Excuse me. I couldn't suppress my desire to see you, so I entered without permission.

(申し訳ない。あなたへの思いを抑えきれず、私は不法侵入を働いてしまったのです)」


 俺の言葉に秋子さんは笑う。まんざらでもない笑顔というべきだろう。

 彼女は書店の店長であるし、それなりに年を召してはいるが、上品で美しい人だ。そう思っておこう。俺は彼女に夢を与えている。ならば、俺も彼女に対して夢を見ておくべきなのだ。


「またまた、フリードならいつでも来てもらっていいの」


 そういう彼女が見ていたものに、俺は目を落とす。文房具のカタログだった。


「あら、気づかれちゃった。うちも書籍だけじゃやっていけないから、文房具も売り出そうと思うのよ。これなら、時期とか関係なく、いつでも売り物になるから」


 彼女の諦観の混ざった笑顔を見て、悲しくなる。

 そして、彼女を抱き寄せ、語った。


「I've said it before. If you marry me, the Pope will give you 300 million yen in preparations, and the U.S. Marine Corps will give you a monthly pension of 3 million yen. No more boring worries.

(前に言ったよね。私と結婚すればローマ教皇から3億円の祝い金が入ります。それにアメリカ海兵隊からは毎月300万円分の年金が入るのです。あなたのしているのはつまらない心配ですよ)」


 秋子さんは私の胸の中でうっとりとした表情をする。いいことだ。俺は彼女を幸せにしたいんだ。

 奥の事務所へ入っていった。俺はこの場所に詳しい。通帳を見つけると、開いた。


「This money should be used for international contributions. It shouldn't be used for boring gasps.

(このお金はもっと有意義なことに使えるよ。私に預けてみるといい。ふふ、何億円にもなって返ってくるんだ。気にしなくていい)」


 秋子さんは戸惑っていたが、「一緒に銀行に行こう」という言葉で表情がとろけた。

 二人で手をつなぎ歩く。銀行に辿り着き、その自動ドアを開けた。


 銀行の中は真っ暗だ。おかしい。周囲を見渡す。暗い廊下が広がっているが、青白いものが口を開いた。それは幽霊と呼ぶべきものだったかもしれない。


「Friends, let's kill each other. This place is the stage of the death game.

(友よ、殺し合おう。ここはデスゲームの舞台なんだ)」

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