本と陽炎の国のアリス。2

 小説家が逃げ込んでいるせいなのか、赤の女王の城は形を保ったままでした。

 そして黒くなっている者も居ないらしく、トランプ兵達は普通に見回りをしていました。


 なのでアリスは先ず小さくなり、透明なゼリーを食べてすっかり消える事にしました。


『僕も食べてみたいな』


 そうして小さくなって軽くなった牡蠣と共に、小説家が逃げ込んだ場所へと向かいます。


 迷路のトラップの様にアチコチにクモの巣が有り、それに触れない様に慎重に潜り抜けると、小説家が隠れて何かを書いていました。


「ねぇ、ちょっと」


 またしても逃げようとする小説家に、我慢が出来なくなったアリスは透明なまま大きくなって捕まえる事にしました。


《ごめんなさい、ごめんなさい》

「ねぇ、話を聞かせてアーサー」




 昔々、言葉も文章も上手なアーサーは、様々な本を書きました。

 本当の事も嘘の事も、割合いを変えてゴチャ混ぜにして沢山お金を儲けました。


 でもある時、急に本が売れなくなり、返品が多くなったのです。

 誤字脱字、乱丁が激しいからと本が返品され、遂には借金が出来てしまいました。


 出版した時にはちゃんとしていたのに。

 そうしてアーサーが本を捲ると、単語が足りない事に気が付きました、そしてページを捲ると黒く塗り潰されたヶ所が有り、どんどん増え。

 怖くなって本を閉じたら一斉に文字が逃げ出して。


 それを追い掛けていたら転んでしまい、あの小瓶の有る部屋に辿り着いたらしい。


《僕が言葉も文章も大事にしなかったから。でも今は真面目にちゃんと書いてるんだけれど、どうしても1つだけ単語が思い出せなくて》


「じゃあ、アナタが黒く塗り潰してるワケじゃ無いのね?」

《ぅうん》


 曖昧な返事をしたので、彼を握る手を少しだけキツくしてみました。


「加減を間違えたらごめんなさいね」

《分かったよ。多分、一緒に落ちて来た原稿のせいだと思う》


「どんな内容なの?」

《いやぁ》


「そう」

《分かった分かった、大昔にズルをしたんだ》


 灯台に住む夫婦の名はアーサー、そして妻はギネヴィア。

 大昔から決められていた婚約者で、少なくともギネヴィアには大した愛は無かった、そして偶に遊びに来るランスロットに恋をし愛し合ってしまった。


 それに怒ったアーサーや友人達が問い詰めると、ランスロットはアーサーの友人達を切り捨てて逃げた。


 そうして2人はライトとライトホルダーと言う名前に変え、遠く離れた海辺の風車小屋に住んだ。

 それを知った僕は、呪いを掛けた、風車守が僕を愛する様に。


 そして愛が変質してしまった事に気付いたライトは、風車小屋で死んでしまった。

 でもライトも愛していたライトホルダーは、風車小屋を改造して地球から魔素を取り出せる様にした。

 そうやって呪いの力を得て、全てを黒く塗り潰す事にした。


「それがどうしてココで」

《僕の完全なオリジナルだって嘘を言って出来た最初の本なんだ、それまでは真面目に書いてたけど、全く売れなかったから。きっと、僕に復讐したいんだと思う》


「ならさっさと復讐されてよ、皆が迷惑してるのよ」

《それでも書きたかったんだ。だからほら、ちゃんと改変したのを書いたんだよ》


 アリスが原稿を受け取ろうと力を緩めると、ペンで刺されて逃がしてしまいました。


「もう、じゃあライトホルダーに会いに行って、小説家だけ塗り潰して貰いましょう」


 そう言ってお城を踏み荒らしながら、風車が良く回りそうな海辺を探す事にしました。




 風が強く吹く方へ、小さな金魚鉢を抱えながらアリスはズンズン進みます。

 海の匂いのする方へ、風の強い方へ。


 そうして歩いていると、体に空いた穴から風が通り抜けピューピューと煩くなり始めました。


《五月蠅いなぁ》


 チェシャ猫でも無い芋虫でも無い声に、ハッとしゃがんで音を止めました。

 確かに声は聞こえた筈なのに、姿は何処にも見えません。


 でもずっとこうしてしゃがんでいるワケにもいかず、再び立ち上がると体からピューピューと音が鳴り始めます。


《煩いなぁ》

「仕方無いでしょ!」


《どうして?》

「穴が開いてるから音がするの」


《なんでその恰好なの?》

「文字を黒く塗る誰かを探す為よ」


《あぁ、ならもっと向こうの丘に居るかも知れないし、居ないかも知れない》

「どっちよ」


《それは確認してみないと、だって生きてるか死んでるかは誰かが確認しないと分からないから》

「生きてるから文字が黒く、もういい、向こうね」


 煩い音もお構いなしにアリスはグングン走ります、ピューピューずんずん、音を鳴らしながら丘へと駆け出します。

 丘の上の風車小屋が見えた時、突如親指と人差し指で持っていた金魚鉢から声がしました。


『待って!酔った』


 慌てて金魚鉢を地面に置くと、牡蠣が這い出して何かを吐き出しました。


「ごめんなさい」


 そうして牡蠣が吐き出したのは、綺麗な真珠でした。


『あぁ、文字が真珠になっちゃった、どうしよう』

「文字を隠してたの?」


『だって海に居たら溶けてしまうだろうから、だけど真珠になっちゃうだなんて』

「でも中には文字が有るはずなのよね?」

《有るかも知れないし、無いかも知れないし》


「もう、煩い人ね」

《だって確認しない事には》

『どう確認すれば良いの?』


《それは酢に漬ければ、溶けるかも知れないし、溶けないかも知れないし》

「文字まで溶けてしまうかも知れないじゃない」


《それも、確認してみないと》

「分かったわもう、酸っぱい何かを探してみましょう」




 少し森へ引き返し、アリスと牡蠣はレモンか何かを探す事にしました。


 そうして青梅やグレープフルーツ、パイナップルを見付けました。

 それを空にした金魚鉢に握って搾り入れ、酸っぱい鉢にしました。


 それから中和剤にと透明なゼリーを用意して、酸っぱい鉢の中へ真珠を落としました。

 シュワシュワと小さな気泡を出しながら、真珠は少しずつ溶けていきます。


 そうしてやっと出て来た文字は、Loveと言う見知らぬ単語でした。


《成程ね、コレはラブと言う文字だね》

「コレには何の意味が有るの?」


《Lustに良く似ているし、0だね》

「何よそれ、意味が全く分からないわ」


《まぁ、まだ君は知らない言葉だからね》

「だから聞いてるんでしょ」


《独りだけでは得られない事で、人によっては要らない言葉でもあるね》

「もう良い」

『あ、今度は文字が溶けそう』


 急いでアリスが取り出そうとしますが、酸っぱい鉢はアリスの指を火傷させました。


「あっ、もう!」


 そうして怒ったアリスは鉢を引っくり返し、何とか文字を助け出すと、透明なゼリーへ突っ込みました。


 溶ける事は止まりましたが、今度は段々と透明になり始めます。


「もー!」


 透明になりかけた文字は、Lolと言う文字になった途端に大笑いを始めました。


「え、やだ怖い」


 ジタバタドタバタと笑い転げる文字。

 呆気に取られている中でも、文字は大爆笑を続けました。




 アリスは何だか少し馬鹿らしくなって、ちょっとどうでも良くなって来てしまいました。

 自分の知らない良く分からない単語の為に、どうしてこんなに大変な思いをしているんだろうか。

 1つ位、無くても別に困らないんじゃないか。


 と言うか、無くなったり黒く塗り潰されないなら、存在はするんだから別に良いんじゃないだろうか。

 だって自分には関係無いのだし。


 そう思いながらボーッと笑い続ける文字を眺めていると、辺りはすっかり暗くなってしまいました。

 もう、赤いキツネの絵描きの家に住んでしまおうか、それとも蛇のパティシエか。


 でも、それが黒く塗り潰されたら居場所が無くなってしまうし、あの綺麗なお菓子も黒くなってしまうかも知れない。


《君、いつまでこうしてるんだい》

「さぁ、って言うかアナタ誰よ」


《シュレディンガーの箱》

「中には何が入ってるの?」


《生きてる猫か死んだ猫か、それとも何か別の》

「はいはい、確認しないと分からないのよね。猫が死んでたら嫌だから確認しないでおくわ」


 そう、風車小屋は見付けたけれど、ライトとライトホルダーが居るか居ないのかは分からないし。

 アリスは取り敢えず確認してみようと思い、再び立ち上がると、すっかり朝になっていました。


 そうしてLolを抱える牡蠣を乗せたシュレディンガーの箱を持って、再び丘へと進み始めます。




 この前より早く風車小屋へ付いたのですが、回りには誰にも居ません。

 風車は動いているのですが、人の気配は無し。


 中を覗こうとすると。


『誰!』

「アナタこそ誰よ」


『私、私は……』


 彼は確かに口を大きく動かしているのですが、音は掠れて木枯らしの様で、舌は枯れ葉の様に舞っているだけ。


「アナタは……」


 アリスも名前が言えません、ライトやライトホルダーとは言えるのですが、聞いて覚えているのに名前が言えません。


『もう1つの名は、ライトホルダーよ』

「風車守って勝手に男だと思ってたわ、貴女はどうして文字を黒く塗り潰してるの?」


『え?』


 ライトホルダーに今までの事を話すと、真っ赤になったり真っ青になったり、そして果ては酷く落ち込んでしまいました。


「で、黒く塗り潰されたのと、文字が逃げ出したのは別々の原因じゃないのかって」

『それは私のせいなの』


 小説家の本当の名は著者オーサー

 元は彼の妻だったけれど、Rightライトを愛してしまった。


Lightライトを?」

『いえ、いえ、もうどっちでも良いわ、私はRightライトを失ってしまったかも知れないから』


「かも?」

『あの小屋の中に居る筈なのだけれど、決して答えてくれないの、何も反応が無いの』


「開ければ良いじゃない」

『無理には開けない決まりなの』


「でも気になるんでしょう」

『愛してたら開けてくれるって約束だから』


「それ、それよ、Loveって何?」

『変質したり、得たり失ったり、子供には分からないかも知れないわね』


「でも分かるかも知れないじゃない、どうして説明してくれないの?それともその程度しかLoveを知らないの?」


 困ったからって無く人がアリスは1番大嫌い。

 だって何も解決しないんだし、子供みたいで凄く嫌い。


 だって、そうやって泣いてももう海にはならないし、もうそこで溺れる事が出来ないのだと知ってしまったから。

 悲しくて辛くても、何の意味も無いのだと知ってしまったから。


『ごめんなさい』

「良いから説明してよ、Loveが何なのか、そのLoveが無いからドアが開かない事を説明して頂戴よ」

《確認してしまったら、有るか無いかハッキリと確認してしまう事になるからだよ。有るかも知れない希望と、無いと知る失望と、なら有るかも知れないと思った方が希望を持てるからね》


「それがLoveなの?」

『ごめんなさい、ごめんなさい』


 そうやって謝るだけでは許される年はとっくに過ぎてるのに、いつまでもメソメソと自分より年上が泣いていてとても腹立たしくなりました。

 アリスはもう、すっかり苛立って風車小屋を崩してしまいました。


「中に誰も居ないじゃない」


 ライトホルダーが大泣きを初めてしまい、Lolは相変わらず爆笑を続けていると、後ろから牡蠣が大声を出しました。


『森が!』


 森がマダラに黒くなり始めたかと思うと、飛んでいた鳥も黒くなり墜落し、花も実も黒くなり。


「ちょっと!やめなさいよ!」

『だってもう、無いなんて、居ないなんて、もう彼の居ない世界なんて』


「アナタだけ!独りで消えて頂戴よ!」

『嫌よ!私は守りたかっただけなのに、彼を守りたかっただけなのに』


「何よ!Loveって最悪じゃない!」


 そうアリスが怒鳴ると、Lolの笑い声が止まりました。


「違うよ、本当は凄く良いモノなんだ、純粋で綺麗で、本当に皆に有るモノで」

「でも私は知らないわ」


「気付いて無いだけだよ、君の中にほら、キティとスノードロップが居るだろう?」

「Likeだけれど、そんな、私はあんな女みたいになって無いわ」


「けど死んでしまったら、君はまた涙の海に」

「涙は海にならないの!どんなに泣いても直ぐに乾いてしまうし、寝たら止まってしまう。そして、忘れてしまう時が来て、泣く時間は短くなって、そして泣く事も忘れてしまうのよ」


 そう言ったアリスの涙は止まらず、水溜まりになったかと思うと川になり、その川は海へと繋がりました。

 けれど涙は乾く事も無く、川は大きくなり大河へ、そしてとうとう辺りはアリスの首まで海になってしまいました。




 そうして服の色も溶け昔の様な水色になり、頭にはジャイアントケープがアリス巻きの様になり、指には風車小屋の屋根が嵌って指ぬきの様になっていました。


『あぁ!君はアリスだったんだね、気付かなかったよ、すっかり』

《アリスだ!女王様だ!》


 波に浮かぶトランプ兵や偽海亀が大急ぎしながら、アリスの顔へと近付きました。


『あぁ、会いたかったよアリス女王』

《そうですよ、それにしてもどうしてこんなに泣いてるんです?》


「世界がもう、滅茶苦茶だからよ、我儘で自分勝手で。言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、ライトホルダーに好き勝手にされても仕方無い。仕方無い、仕方無いの、全て真っ黒に塗り潰されて、消えちゃえば良いのよ」


《嫌だ!僕の著作権Copyrightは僕のモノだ!》


 小説家は紙の羽根で海を飛び出し、空へ空へと飛んで行きました。




 それからアリスは小説家を目で追い掛けたまま、大海で仰向けになり、ついでに皆の為に陸地になる事にしました。


「少しは大きくなったら皆の言ってる事が分かると思ってたの、けど全然分からないまま、こうやって体だけが大きくなって。ねぇ、どうしたら大人になれるの?」


 赤いキツネの画家が答えます。


『大人は色んな事を知ってるからね、君はまだ知らない色を知らないと知らない子供だからだよ』


 茶釜を背負った緑のタヌキが答えます。


「大人は大人のフリをしてるだけかも知れないよ、だって僕みたいに化ける事が出来るんだから」


 銀色蛇のパティシエが答えます。


《酸いも甘いも、清濁を併せ吞むのが大人らしいよ》


 空を飛ぶ虹色蛇が答えます。


《大人になれる薬が有ったらどうする?》


 アリスは答えます。


「味によるわ、そして元に戻れるかよね」


 それにシュレディンガーの箱が答えます。


《それは流石に元には戻れないよ、一方的に進むだけ、戻る事は宇宙でやっと出来るかどうか。それも結局は観測してみないと》

「出来るかどうか分からない、確認してみて初めて、物事は固定化される」


《少なくとも試行過程の1回目として、だ。何度も壁にぶつかれば、いつかはすり抜けられるかも知れない》

「でもぶつかってみないと確認も出来ない、有るか無いかを証明出来るまでは、それは机上の空論で妄想」


《なら君はどうするか》


「私はもう大きくなったんだもの、だから先ずは分析よ」


 そうして皆に手伝って貰いながら、先ずは真っ黒になった小さな影を抱える大きな影を良く観察する事にしました。

 でもアリスは大きいままなので、良く見えません。


「あぁ、誰かルーペか何か持って無いかしら」


 鼻の上で白ウサギがポケットから色々と取り出しますが、使えそうなモノは特に出て来ず。


「ちょっと、それ貸してよ。使ってるじゃない、その片眼鏡」

『こ、コレは、は、はい、どうぞ』


 白ウサギの片眼鏡を借りると、昔の様に自分と同じサイズになってくれた。

 それを掛けて黒い塊を良く良く見ると。


 Ⓒ


 〇の中にCの文字が入った不思議な記号と、著作権Copyrightと書かれた文字や、小さな©。

 更に良く見ると〇の中にはRやPも有って、小難しい文章が編み物の様になっていました。


「コレって?」

《どうやらコレが黒くなった理由の様だね》


 シュレディンガーの箱が言うには、著作権の侵害だとか、オリジナルだコピーだと。

 要するに誰かに封印されてしまったらしい、誰かの何かを守る為に、誰かが彼らを使えなくさせた。


「誰かじゃないわ、アナタよねrightライトholderホルダー、作った人でも何でもないのに権利を持つ、権利者ライトホルダー


『だって、ライトを生き返らせる為で、果ては皆の為になると思って』

《アレもダメ、コレもダメ、そうやって何でも禁書にした世界から来たんだろう、良く有るんだココには。なんせココにはⒸは無いからね、幾らでも後付け出来る》

「私はそんな事を許した覚えは無いわ!ココは私の世界よ!私の知識、記憶、私の世界なのに!どうして!」


《そうやって君を利用して力を得て、ライトを新たに作り出そうとしたんだろう。ライトホルダーに都合の良い、便利なライトを》

『違う!私は守る為に』

「誰から何を?私のプライバシーも秘密も過去も暴かれて、晒されて!私は死んだ後は守られないで、作品も直ぐに守られなくなって、何を守ってるって言うの!」


《権利者の利益、だろうかね》

「私達は、守る中に入って無いのね、何て自分勝手なの!」

『だってそれは』


「もう良いわ、女王が命じます、ライトホルダーのライトを剥奪よ!」

『は、はい!』


 白ウサギがライトホルダーに駆け寄り、彼女の名前を奪った。


 そうすると丸い何かはハンプティダンプティに戻り、白騎士は侯爵夫人に赤子を返し、すっかり五月蠅いアリスの国に戻りました。

 そうやって皆が体の上で大騒ぎするので、アリスは急いで背泳ぎで陸地を探し、無事にゴールへと辿り着きました。


「ふぅ」

『ご、ゴールですね』


「まだよ、小説家が残ってる」

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