第6話

 不意の挨拶に、心臓が跳ねた。腰に下げた短剣の柄に手を掛け振り返る。気配を感じなかった。まるでたった今、現れたかのようだ。

 大聖堂の壇上に立っていたのは、美しい娘だった。一分の隙もなく結い上げた金髪。宝石のように澄んだ瞳。黒い衣装に映える白い肌。怜悧な美貌は精巧な人形を彷彿とさせる。神官か、あるいは助祭か。まだ少女と呼んでも差し支えない年齢のようだが、落ち着いた雰囲気とどこか冷めた表情が大人びて見せた。

「女神ミアの神殿へようこそ。こんな夜更けにどのような御用でしょうか」

 口調こそ丁寧だが情というものは一切感じられなかった。見ず知らずの、明らかに不審者である自分を前にしても驚く素振り一つない。

 シャオの来訪もとい侵入を予期していた。つまりはそういうことなのだろう。

「あー……これは、やっぱりバレてたってこと?」

「バレた、とは何のことでしょう」

 娘の目が眇められる。陰鬱で、どこか意地悪く。

「私が不在にしていたひと月の間に祭儀室の燭台七つと銀の食器一式、白銀の聖杯に水晶三つを盗んだことですか? 奉献室に保管されていた宝石も減っていましたね。全て女神ミアに捧げられた物のはずですが」

 へらりとシャオはしまりのない笑みを浮かべた。その裏では周囲の気配を探り、状況把握に努めていた。

 聖堂にいるのは自分とこの娘だけ。他には誰もない。

 ひと月不在にしていた、と彼女は言った。身に纏っている礼服は比較的簡素なものだが、使徒のそれよりも精緻な作りだ。司教か司祭に相当する位の聖職者で、なおかつ二十にもならない若い娘とくれば、正体は簡単に導き出せる。

(聖女だ)

 邪教徒に捕われていたというかの聖女が、じきじきにお出ましになったということ。おまけに盗人を捕らえて罰するだけなら神官兵を動員して取り囲めば事足りるというのに、そうしなかった。向こうも訳あり――まだ交渉の余地はある。

「盗んだとは人聞きの悪い。たくさんあるものの中からちょっと借りただけだって。ケチなこと言いなさんな」

「無断で持ち出せば立派な窃盗です」

 にべもない。お堅い聖職者らしい潔癖さだ。

「それで? 今宵は犯した罪の重さに気づいて懺悔にいらっしゃったのですか」

「そんな殊勝な盗賊に見える?」

「いいえ」自ら言っておきながら、聖女はあっさりと否定した「そもそも神を畏れているのなら神殿の物を盗むはずがありません」

「まあ正直に言うと、昨日から一人、ウチのもんが消えていてね。探しているんだ。聞いたところによると、俺の真似をして至聖神殿に忍び込む気でいたらしくて……あんた、何か知らない?」

 返答は期待していなかったが、意外にも娘は考える素振りを見せた。

「行方不明の方は赤髪ですか」

「うん」

「小柄で私より背は低い」

「そうそう」

「左目の上に火傷のような痕があって」

「まさに」

「名前はアレン」

「さすがは聖女様、大正解」

 冗談めかして拍手を贈る。聖女は僅かに眉を顰めた。気分を害してしまったようだ。

「で、今どこにいるのかな」

「神に仇なす不届者を手厚く保護しているとでも?」

 浴びせられたのは冷たい視線と言葉。慈悲深い女神ミアの聖女にはおよそ似つかわしくない。

「大げさだな。たかだか宝石の一つや二つで、」

「殺人です」

「は?」

「彼は人を殺しました。盗みを働いている最中に出くわして、気が動転していたのでしょう。咄嗟に投げた短剣が胸に刺さりました」

 淡々と語る口調は至極真面目で、嘘をついているようには思えなかった。嘘をつく理由もない。

「……それは、本当に……なんと言ったら」

「ですので、いくら金銀財宝を積まれてもお返しすることはできません。故意ではないとはいえ、人を殺めるのは罪です。罪には相応の罰があって然るべきです」

 間が悪いことこの上ない。シャオは舌打ちしたいのを堪えた。勝手に他人の稼ぎ場を荒らした不義理。犯行がバレた不手際。その上、人を殺めて捕まったとなればとなれば目も当てられない失態だ。

「あなたのことは彼から聞きました。シャルドネリオン。盗賊ギルドの幹部候補。窃盗を得意とし、スリにかけては天下一品。二つ名は『蛇ノ目』だとか」

 開いた口が塞がらなかった。

「信じらんねえ……あの野郎仲間を売りやがった」

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