仮面の拳闘士②

 ボクシング。それは、二つの拳のみを攻撃手段とした歴史ある格闘技である。

 対して、アメリアの操るこの武術。歩んだ歴史こそ違えど、この世界における拳闘の終着点と言っても過言ではないだろう。言うなれば、異世界流拳闘術。拳打のみに特化したアメリアの技術は、現代ボクシングのそれに引けをとらない。


「オラァ!」


 三度みたび、攻撃を試みる歩。今度は単発では終わらせず、コンビネーションで攻め立てる。


(当たらねぇなら、当たるまで打つ!)


 だが、アメリアはその悉くをかわし、連打の隙間にカウンターを差し込む。

 打てば返され、待てば打たれる。『蝶のように舞い、蜂のように刺す』。アメリアの戦いはまさしくそんな言葉を体現しているかのようだった。


「確かに速い。だが別に、見失うほどじゃあねえ。……のに、なんで当たらん」


 顎を伝う汗を拭い、歩は呟いた。

 大前提として、歩とアメリアの機動力には大きな隔たりがある。だが、その差をさらに広げている要因は両者の初動の違いにあった。

 なんでもありの場において、ボクシングという競技を『弱い』とする者は少なくない。その最たる原因は、引き出しの少なさにある。

 蹴り技、投げ技、締め技……。あらゆる攻撃方法がが禁止され、肘すら使えない。許されるのは拳による打撃のみ。そんな限定的な技術体系から、ボクシングは他競技に対する対応力が低いと言われている。だが、時として豊か過ぎる手札は迷いの種になる。

 逆に言えば、だ。パンチのみに選択肢を絞ったボクシングは他競技に比べ、ほんの一瞬。時間にしてコンマ数秒だけ思考する時間が短縮される。

 その一瞬が、アメリアの敏捷性によって圧倒的な速度へと昇華されていたのだ。


「にゃろぅ……。やりやがるな、色男」


 フェイント、スウェー、ダッキング。あらゆる技術を用いて歩を翻弄するアメリア。そして何度目かの牽制の後、彼の本命。全体重を乗せた右ストレートが歩の顔面を打ち抜いた。……と同時にアメリアの仮面を歩のジャブが捉える。


「きゃっ!!」

「ようやく捕まえたぜ、ミステリアスボーイ。しっかし、案外女みてぇな声だすんだな」

「……うるさい!」


 歩は口内の血を吐き出すと、アメリアを挑発した。そんな彼を睨みつけるとアメリアは体を左右に揺すりながら再び歩に攻撃を仕掛ける。


(速度では僕が勝っている。今のはまぐれだ!)


 コンパクトかつリズミカルに打撃をまとめるアメリア。その猛攻に歩はガードを固めるしかない。そして、充分に自身の優位を確認したアメリアは、再び満を持してのストレートを繰り出す。だが。


「シッ!」


 再度、歩のジャブがアメリアを捉えた。


「くっ!」


 通常のボクシングでは牽制程度にしかならないジャブも、大人と子供ほどの体格差のあるアメリアにとっては致命の一撃となりうる。その一瞬の隙を逃さず、歩はアメリアに体当たりを浴びせ、強引に主導権を引き寄せた。

 そもそも、機動力・反射速度で劣る歩がアメリアを何故捉えることができたのか?その理由は、歩が『ついせん』に狙いを絞った為である。

 相手の動き出しに合わせて、自らも仕掛ける行為を武道の世界では対の先と呼ばれている。歩は被弾覚悟で、最も隙の大きいアメリアのストレートにジャブをあわせ、圧倒的な速度差を帳消しにしたのだった。

 まさしく、肉を切らせて骨を断つ。本来ならば、お話にならない程威力に差があるジャブとストレート。だが、二人の体重差と鍛え上げた歩の拳がただのジャブを必殺級の破壊力に押し上げた。


「行くでやすーー!!旦那ぁー!」


 入場口から声援を飛ばすタルバ。それに答える様に歩はラッシュを仕掛ける。


(こんなちっこいのに大したモンだよ、アンタ。だが、ここまでだ)


 体当たりでバランスを崩したアメリアに、歩の力任せの連打が降り注ぐ。一見、技術もクソも無いこの戦法だが、階級制の導入されていない闘技場ルールにおいては、非常に理にかなった攻撃と言えるだろう。

 気休め程度のガードで歩の猛攻を防ぐアメリア。その体は打撃を受ける度に、左右に揺れる。だが、それも長くは続かなかった。


「旦那!チャンスでやすよ!」


 タルバがそう叫ぶと同時に、観客席から悲鳴があがる。ついにアメリアの両腕がダラリと下がったのだ。


「悪く思うなよ!」


 その隙を逃さず、歩は拳を振り上げた。そして彼の渾身の一撃は、確かにアメリアを捉えた……ハズだった。


「あ?」


 絶対に当たるタイミング。だが歩の拳は空を切る。

 次の瞬間。歩は咄嗟に身を捩ると、人体の急所の一つである背面を守る。それは、予測というよりも、経験からくる反射だった。


「うぉ!」


 ズシリという、重い打撃。思わず歩の体は後方に弾け飛んだ。


「……テメェ」


 歩が顔を上げるとそこには、軽快なフットワークでファイティングポーズをとるアメリアの姿があった。


「気を悪くしたなら謝る。手を抜いていた訳じゃないんだよ。ただ、キミが僕の魔法に対抗できる技能を持っているか見極める必要があったんだ。……でも、ここからは全力!出し惜しみはナシだ!」

「そうかよ。でもアレだ、俺もまだ全力じゃねーし。全然余裕だし」


 そんな二人のやり取りを見守っていたタルバ。彼は先ほどのアメリアの動きに、言い知れぬ不安を覚えていた。


(あの少年が使った魔法。まさか……。旦那、どうか気をつけるでやす)

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