僕は出来ない。

葛原詩賦

第1話 僕は出来ない。

 僕は出来ない。

 香奈はタオルケットで、胸元まで隠して僕を見つめている。

 その艶のある視線に、男なら誰だって興奮するに違いない。好きという感情は、心と身体で、幾らでも相手に表現出来る。

 だけど、何故だろう。

 準備は常に出来ていた。親友のかっちゃんから貰ったコンドームも、ちゃんと常備していたし、いつでも出来る状態だった。

 あとは行動のみだ。

 とはいえ、無理矢理という訳にはいかない。普通に、自然に、違和感なく、その時が来るのを僕は、あまり期待せずに待っていた。

 そして今日。

 自分の部屋にて、いつもとは違う雰囲気が訪れた。

 だが僕は、奥手である。

 自分で言うのも何だが。

 かなりの奥手である。

 香奈と何気ないキッカケで、お互いにふざけ合っているうちに、彼女がベッドに倒れ、僕が覆い被さる様な状態に『たまたま』なってしまった。

 互いにふざけ合ってた、さっきとは違う空気が、一瞬のうちに部屋を覆った。

 香奈はゆっくりと目を閉じて、僕を迎え入れる。

 彼女の口づけはいつだって優しい。僕の心拍数と体温が、急激に上がってくるのが分かる。

 僕は分からないなりにも、香奈を優しく抱きしめて愛撫し、生まれたままの状態になって、お互いに口づけを交わし求め続ける。

 いざ、初体験を迎えるというその直前。

 僕の心が何故か、ブレーキを掛ける。

 つまり、身体はその気なのに、意に反して僕の心が身体を止まってしまっている事になる。

 そして急にどうしたらいいのか、全く分からなくなり、今こうして迷っている。

 香奈とは小学校卒業から付き合いだして、四年と少し、今年で五年目に突入する。  

 5年も付き合って、現在僕と香奈は高校2年生。

 5年もキス止まりで、身体を交える行為はしてこなかった。別に、興味がない訳じゃない。寧ろ興味があるに決まっている。

 ただ、今まで、

「このままでも良いかなぁ?」

 と完全に受け身の考え方でいる、そんな自分がいた事は確かだ。

 何かのハウツー本に書いてあった。男がリードするべきって。

 だから、自分なりの努力はしてきたつもりだ。

 けど付き合うってなった時に、確かに嬉しかったがその反面、何か分からない一抹の不安というのか、僕の脳裏をよぎった事は言うまでもない。

 僕みたいなのでいいのだろうか?

 要は下手な事をして、嫌われたくないだけなのかも。僕は僕をよく知っている。


 意気地なし。


 その一言に尽きる。

 何でも香奈がリードしてくれていた。こんなポンコツの僕を、どうして好きになったのか、1度聞いた事があるけど、

「優しいし、相手の気持ちを理解してくれるから」

 としか、返事をもらえなかった。

 こんな事を言うのもあれだけど、僕は自分に自信らしい自信というのが、全くもって皆無だ。

 そんな自信のない僕が、唯一好きになったのが香奈だ。

 その香奈が、僕を見つめている。肌の色が白くて、鎖骨のラインがとても綺麗だ。僕とは違い、整った顔。目元はハッキリしていて2重、鼻も高く理想な形をしているから、同性から羨まれるだろう。そして唇は薄くもなく厚くもない。

 僕にはもったいないぐらいの、可愛さを彼女は兼ね備えている。さらに今の彼女は美しい。

 対する僕は、これといって何の特徴のない、普通の男子。顔面偏差値も中の下。それは言い過ぎか。

 だから僕にはもったいない、だからこそ自慢の出来る彼女だとも思っている。

 それに外見だけで自慢が出来るといっている訳でもない。

 香奈はとてもしっかりしているし、ちょっと勝気なところはあるけど、曲がった事は嫌いだし、物事をハッキリと言う、そんな彼女を僕は、小学校1年生から好きだった。

 出逢いは、今でもハッキリと覚えている。

 小学校の入学式が終わり、それぞれの教室に入って、自分の名前が書かれているシールの机を探して、僕はそこに座った。僕の席は窓側の1番後ろの端っこだった。

 席に座れば左側が窓で、日差しも眩しいくらいに入ってくる。

 これからの小学校生活を送るのに、期待だけしかなかった。

 そこに隣の席の女子が声を掛けてきた。

「あまねくんっていうんだね。これからよろしくね」

 その女子が香奈だった。

 僕は初めて香奈を見た時、お人形さんみたいで、とても可愛い娘だと思った。

 一瞬で恋に落ちた、と思う。

 小学生、しかも1年生で一目惚れというのは、些か大人びていて、生意気な子供にも思える。だからこの感情が何なのか、その時はまだハッキリと分からなかった。

 それでもおそらく、この時が何もかもの始まりだと、僕は確信している。

 その証拠に僕は小学校に入って、香奈と出逢って、驚く事実を知る。

 香奈は幼稚園ではなく、保育園に通っていたという。しかも彼女の自宅は、僕の家から近所だったという事。

 その事実をお互いに知って仲良くなり、当然の事だけど帰り道が一緒にもなる。            

 登下校はいつも香奈と一緒。クラス替えも6年間、奇跡といっていいほど、常に同じクラス。

 何もかも、全て物語っている。確信してしまうのは、偶然と奇跡、この二つが重なっているから、僕はこれが始まりだと思う様になったのだ。

 でも当時は恋だとか、異性が好きだとか、よく分かっていなかった。二人でいるのが楽しくて、心地良くて、お互いの家に行き来したりして、よく遊んだりもした。

 もちろん、お互いに他の友たち付き合いもしていたり、僕は幼稚園からの親友、かっちゃんと遊んだりもしていた。

 香奈も多分、僕の知らないところで、女友たちと遊んでいたと思う(これで遊んでいなかったら、それはそれでどうかとも思うが)。

 ただ彼女は、少々勝気な性格もあって、女友たちは少なかったんじゃないか、と僕は勝手に推測している。

 友達期間が六年、恋人期間が現在進行形で四年。足せば、知り合って10年にもなる。付け加えれば、今年で付き合って五年目。正確に計算すると11年になる。

 そして現在に至る。

 で、肝心なところで、僕は出来ない。

 さっきまで香奈を優しく抱きしめて、口づけを交わして、僕のベッドでお互いを愛し合っていた。

 それなのにいよいよ、という場面で、僕は出来なかった。

 何故だろう。

 さっきまで僕の股間は元気だった。

 これから初体験を迎える、という大事な場面で、僕の意思とは裏腹に、身体の動きが止まり、そのままどうしていいか分からなくなって、香奈から離れてしまった。

 どういう事なのか分からなかった。勝手に僕の心がそうさせている、という妙な感覚だった。

 香奈が嫌いだとか、そういう事じゃない。これは僕自身の、意味の分からない行動である。何故に急に怖じ気づく。

 とにかく頭の中では、何故? という言葉が、止めどなく駆け巡る。

 だから余計に焦る。香奈が僕を見ている。僕は我に返る。

 深呼吸して、冷静さを取り戻す。香奈の艶っぽいその瞳は、いつの間にか心配している瞳になっていた。

 何か言わなくちゃ。

 気の効いた事を。

 そうしないと、香奈に変な誤解を生んでしまいそうでならない。

 誤解? 誤解って何だ?

 後ろめたい事なんて一切していない。

 また僕の頭の中が、焦り始め思考を鈍くしていく。

「どうかしたの?」

 香奈が心配そうに語りかけてくる。

「いや…………その……」

 僕はどう説明したらいいのか分からず、ただただ歯切れの悪い、答えのない返事をしている。

 だって、何が起こっているのか、自分でも分からない事を、どうやって香奈に説明すればいいのか、全くもって分からないから。

 それでも何か答えを必死で探した。ミジンコ並みの、ポンコツの頭で。

「あの……」

 僕は仰々しく、香奈に身体を向けた。

「た、多分、急な展開だったから…緊張しちゃって……その、ごめんなさい」

 僕はベッドの上で土下座した。精一杯の僕の謝罪だった。もしかしたら、香奈に恥をかかせてしまったかもしれない。嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。

「プッ……アハハ」

 香奈が口を押えて笑う。しかも腹を抱えて。

 何で笑うのか、僕には全く想像がつかなかった。

「ゴメンゴメン。だってあまねったら、裸のままで土下座するんだもん」

 思わずハッとした。

 僕は土下座をしたはいいが、トランクスも履かずに、素っ裸のままで土下座していた事に気付いた。

 急に恥ずかしくなってしまった。

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