サトラレマウンティング

Meg

第1話 逆テレパシー

 部長、ぶりっこ女へのガ◯ン汁で頭テッカテカ。

 射◯でピッカピーカ♪


 階段の下。血みどろで倒れている石島冴子は、のぞきこんでくるハゲ部長のハゲ頭を見ながら、ぼんやりそう思った。

 途端にオフィスから駆けつけた社員たちが、しーんと静まり返る。

 ハゲ頭の血管が、ピキッっと浮いた。

 次いで隣のブリブリ女が、おずおずと尋ねてくる。


「えっと。石島さん。今日は私の代わりに残業できそうですか?」

 

 ケガ人より自分の心配をするこの女。怒りのまま思う。


 てめえの血の色は何色だ?!


「ひっ……」


 人を何だと思ってやがる。訴えるぞ。嫌なら土下座しろ!


「ご、ごめんなさいぃ!」


 怯えきったブリブリ女は即座に土下座した。


「え? え?」


 本当にこの女が土下座するなんて、思いもよらなかった。混乱する。

 周りはざわざわとしていた。

 なぜこんなことになったかというと……。





 ここは広告制作会社のオフィスである。

 

 勤務時間。虚な目をした社員たちが、黙々と仕事していた。そんな中、一部の女子社員は周りの目を気にせず、平然とペチャクチャしゃべっている。


「私旦那にデオールのスカート買ってもらっちゃった」

「私は彼氏にラプダの靴買ってもらった」


 カタカタ、カタカタ、カタカタ、カタカタ。

 彼女たちを横目で見ながら、石島いしじま冴子さえこは黙々とキーボードを叩く。

 赤縁メガネにひっつめ頭。灰色のカーディガンに灰色のスカート。もっと女らしくしなさいと、お母さんが買ってきた安っぽい黒のローヒール。

 マウント女どものくだらないおしゃべりに対して、色々な気持ちが頭を駆け巡る。


 今日もマウントご苦労さま。でもその服ダサいよ。その靴も。私の方がマシ。


 あの子笑い方下品。私のほうがきれいに笑えるし。


 あの子この前部長とホテル入っていくところ見ちゃったな。流されやすいんだろうな。私なら断るけどな。


 はい、ぜーんぶ私の勝ち〜。つーかてめえら仕事しろ。


 働かない女子社員たちが、頭を寄せてヒソヒソ話す。


「地味子ダサくない? 何歳だよ。あのファッションはないわ。安っぽい靴」

「いつも無表情だよね。何考えてるんだろう」


 突然始まった自分への陰口に、胃がきゅっとなり、身を縮こませた。

 彼女たちの言う地味子とは、冴子のことだ。 

 底辺のブラック企業だから、どいつもこいつも性格も悪ければ口も悪い。ことあるごとに自分より弱そうな者相手にマウントを取っては、つまらない自尊心を満たそうとしてる。


 でも言い返したりはしない。私は繊細だから争うのは嫌なの。

 しかも性格悪くて口悪いから、下手なこと言ってみんなを不快な思いさせたら嫌じゃん。

 マウントは心の中で取っとけば十分。

 私って世界一賢くてスマートで優しい人間だよね。

 え? 違う? 

 違わねえだろボケ。

 



 カチっ、カチっと、壁の時計の短針が、規則正しく『6』に近づいていく。長針も徐々に『0』へと。

 世間一般に、今の時間を定時と言う。

 が、職場のみんなは、目を血走らせて画面を凝視。まだまだ働く気マンマンだ。

 何日も残業が続くブラック体質の企業は、これだから大変。


「お先に失礼します」


 一方、一部の社員は明るい顔でさっさと帰っていく。誰も彼も、合コンだのデートだの、予定でもあるのだろうか。

 彼ら彼女らは部長に媚びを売っている連中。部長は甘く接しているが、いずれも仕事はできない。彼らの仕事のしわ寄せが、他の社員に降りかかるのだ。

 冴子も今日はめずらしく、いそいそと帰り支度を始めた。

 なぜなら今日はホットヨガの日。


 なかなか予約取れない人気のクラスの予約が運良く取れた。仕事も絶対残業しないように調整したもんね♪


 顔は無表情でも、心の中はるんるん。お花畑が見える。



  

 カツカツと、履き慣れないお母さんのヒールの音を立てながら、ビルの階段を降りる。

 下から登ってくる、禿げた部長とすれ違った。


「石島くん、ちょっといい?」


 部長頭テッカテカだなあ。冴えてピカピカ?


「残業してくれない? 横山さんが今日早く帰らなきゃいけないから、代わりに」

「え?」


 あまりにも突然の命令に、お花畑の頭は真っ白になった。


「『え?』じゃない! 俺の言うことが聞けねえのか?」


 恫喝が冴子の繊細な神経を萎縮させた。目を合わせないようにうつむく。

 部長の後ろからひょっこり、若く華やかな女子社員が顔を出す。

 この女が横山。


「ごめーん石島先輩。今日は彼氏とデート……、じゃなかった。頭痛がひどいからこれ以上仕事できないの。私先輩より仕事の経験浅いからこの頭の痛さには耐えられなくて」


 大きな目が上目遣いしてくる。

 こんなかわいい子に、こんなブリブリした言い訳をされたら、迷わず引き受けてしまうだろう。

 アホな男なら。


 キモ。若さマウント?


 冴子には、軽蔑の念しか浮かび上がらない。

 部長はタラタラ汗をかきながら、デレデレしていた。


「若い女の子は体が一番だ。石島くん、いいね」

 

 さっき冴子を恫喝したのとは別人のよう。

 アホな男代表。


「ああ、はいはい」


 てめえもキモ。その汗は◯液か?


「なんだその返事は?」


 部長の口調がまた厳しくなったので、怯んで口をつぐむ。

 何も言えない自分が情けない。

 今降りてきた階段を、ムカムカしながらカツカツのぼる。


 クズ。カス。ブリブリ女。エロオヤジ。タ◯ね。


 部長や横山への悪口を念じながら。

 突如ずるっと、冴子の足が滑る。


「へ?」


 慣れないハイヒールが、階段の段差に着地しなかったようだ。

 悲鳴をあげる間もなく視界が回転した。ズルズル滑り落ちる背中に激痛が走った。

 ズルズルズルズルズルズル、ゴンッ!

 しこたま頭を打ち、意識を失った。



 

「……くん。……島くん。石島くんってば、起きなよ」

「石島さーん。仕事できそうですか?」


 闇の中から聞こえる声。徐々に視界は明るくなる。

 はっと目を覚ました。

 全身の鈍い痛みと、背中に伝わる床の冷たさ。


 痛っ……。


 視界はぼんやりとしていた。眼球はスースーする。その違和感から目元に手をやった。

 いつもかけているメガネがない。階段から落ちた拍子に取れたのか。

 どろっとした生あたたかい液体も、指に絡まった。

 手を見れば、赤い液体で濡れている。


 ……血じゃん。


 背筋が凍った。

 弱い視力のせいで、視界がぼんやりしてよく見えない。が、数人の社員が心配そうにのぞきこんでいるようなのはわかった。

 横山のブリブリ仕草もわかる。部長のツルピカテカテカ頭もだ。

 なんだかその頭だけ、やけに光って見えた。

 ズキズキ頭が痛む中、冴子は心の中でわらった。


 部長、ぶりっこ女へのガ◯ン汁で頭テッカテカ。

 射◯でピッカピーカ♪


 しーんと、場が静まり返った。

 部長の頭の血管がピキッっと浮く。


 あれ?


 横山がおずおずと、気まずそうに尋ねてくる。


「えっと。石島さん。今日は私の代わりに残業できそうですか?」


 ケガ人の心配より、自分の残業の心配をするこの女。

 イラっとした。

 怒りが自然と心の声になる。


 てめえの血の色は何色だ?!


「ひっ……」


 人を何だと思ってやがる。訴えるぞ。嫌なら土下座しろ!


「ご、ごめんなさいぃ!」


 怯えきった横山が即座に土下座した。


「え? え?」


 よく見えないが、社員たちはあぜんとしているようだ。

 何でだろう?

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