馬鹿げた恋を、するなんて

@tenya0502

第1話 出会い

「坊や、これはセントラルリバー高校行きのスクールバスだよ。乗り場を間違っているんじゃないかな?」


 顎に豊かな髭を蓄えた人柄の良さそうな男性は、“坊や”と呼びかけた少年の身長にあわせて背をかがめた。まるで幼子に話しかけるような彼の優しげな口調に、“坊や”と呼ばれたノエル・アダムズは眉をしかめる。


「いえ、合ってます。僕の目的地はそのセントラルリバー高校なので」

「ええっ? でも……」


 バスの運転手は困った顔をして、ノエルの頭から爪先までじろじろと見渡す。

 毛先がところどころ跳ねている柔らかそうなブロンドの髪、黒目がちなヘーゼルグリーンの瞳、細い首、狭い肩幅、ぶかぶかの制服、小さなサイズの靴。身長は160センチを少し上回る程度で、彼はとても高校生には見えない容姿をしている。

 つまりは、とても子供っぽいということだ。


「僕は十四歳ですが、今学期から高校二年生のクラスに通うんです。いわゆる──飛び級ってやつです」

「へえスゴイ! 三学年も飛び級するなんて、きみは随分と頭がいいんだねぇ」

「……ええ、はい。多少は」


 このやりとりを経てようやく自分のキャリーケースを受け取ってくれたバスの運転手の対応に、ノエルは深いため息をつく。

 だから飛び級するのは嫌だったんだ。ノエルは心の中で、飛び級を強く勧めてきた両親や中学校の教師に対して悪態をつく。

 自分の外見がどう見ても高校生には見えないことを、ノエルはしっかりと自覚している。そのせいで変に注目されたり、イジメやからかいの対象になることは何としてでも避けたかった。


「わお! この荷物すごく重いな!」

「はじめての寮生活なので、何を持って来ればいいか分からなくて……とりあえず部屋のものを入るだけ詰めてきました」

「はははっ、そりゃあいい。いちいち取りに帰るのも大変だからね」


 セントラルリバー高校は、最寄りの駅からスクールバスに乗って三十分ほど田舎道を走った先にある。その名の通り、高校近くにはセントラルリバーと呼ばれる大きな川が流れていて、その他には特になにもない。少し離れた場所に国立公園があるほど自然豊かな場所で、近くのスーパーまでは車で二十分もかかる。

 スクールバスや車で通学する生徒も存在するが、大体は寮生だ。ノエルも例に漏れず寮生で、明後日から始まる新学期までに入寮手続きを終えなくてはならない。



「……はぁ、はぁ……」

「大丈夫かい? 校舎の前まで持って行こうか?」


 バスの車体にもたれかかって一服している運転手は、ノエルの背中に声をかけた。


「いえ、大丈夫ですっ」


 高校の敷地は広大だ。門から校舎まで軽く二十メートルほどは離れている。レンガが敷き詰められた道はやたら凸凹としており、重たいキャリーケースを引きずって歩くのは非力なノエルにとってかなりの苦行だった。

 がたがたという音を立てて大きなキャリーケースを引きずる少年を、道行く高校生たちが物珍しそうに眺める。ノエルは彼らからの視線を無視して、自分の進む道だけを見つめた。




「はいこれ。階段は突き当たりを右だよ」

「階段? エレベーターはないんですか?」

「あるけど、君の部屋は三階だろう? 今は新しく来た入寮生のせいでエレベーターが混んでるから、五階以下の人はなるべく階段を使うようにお願いしてるんだ」

「……」


 案内係から部屋割りの紙とルームキーを手渡された後、ノエルは自身の腰くらいの高さまである巨大なキャリーケースを引っ張りながら三階までの階段を登る。普段から運動とはほど遠い生活をしていて体力のないノエルはもうほとんど限界で、幾度も休憩を挟んで自室まで向かう。

 302のナンバープレートを探しながら廊下を歩くと、目的地はフロアの突き当たりにあるようだった。ちょうど階段とは正反対の位置にあり、エレベーターの真前だ。

 やっぱりエレベーターを使うべきだったと後悔しながら、ノエルは最後の力を振り絞り廊下を進む。部屋の入り口付近まで辿り着くと、ドアが半分開いていることに気が付いた。恐る恐る近付いて隙間から中を覗き込むと、青色の何かが視界を塞いでいた。


 これは何だ?壁か?とノエルが首を傾げたとき、

「……ノエル・アダムズ?」

 という低い声が頭上から降ってきた。

「うわあっ!?」


 突然名前を呼ばれたノエルはビクッと身を跳ねさせ、一歩、二歩と後ずさる。さっき壁だと思ったのは、どうやら人間だったらしい。驚きのあまり硬直したノエルの前で、ドアがゆっくりと開いていく。

 男は、青いTシャツにグレーのゆったりとしたズボンを身につけていた。半袖から覗く二の腕にはたっぷりと筋肉がついていて、今二人の間にある木製のドアなんていとも簡単に破壊できそうだ。それに、何より驚いたのはその身長だ。まだ高校生だというのに、軽く百九十㎝近くあるように見える。のの身長の予想が正しければ、ノエルと“壁男”とは三十㎝近くも差があることになる。


「……小さいね」

「君が大きいんだろう!」


 ここで舐められたらいけないと、ノエルは咄嗟に身構える。年上のルームメイトにこき使われる生活なんて、絶対に嫌だ。


「はは、確かにそうかも。俺はサミュエル・スミス。よろしく」

「よろしく、サミュエル。もう知ってるみたいだけど、僕はノエルだ。ノエル・アダムズ」

「ああ、俺のことはサムでいい。みんなそう呼ぶんだ」


 目の前に手が差し出されて、ノエルは反射的なその手を取った。そして、彼の手のひらの大きさと分厚さにまたも驚愕する。

 サムの手であれば、ノエルの頭を簡単に鷲掴みにできる。その状態で壁に頭を打ち付けられたりしたら──とそこまで考えて、ノエルは彼を怒らせないように気をつけようと心に固く誓った。


「荷物貸して。中に入れる」

「あ、ありがとう……」


 ノエルが自分と同じくらいの体重がありそうだと思っていたスーツケースを、サムは片手で軽々と持ち上げて室内へ放り投げた。荷物を持った瞬間に盛り上がったサムの二の腕の筋肉は、ノエルの太ももくらいあるかもしれない。


「年は?」

「十三。でも、十一月に十四になる」

「じゃあ三学年も飛び級したのか? へえ、すごく頭がいいんだな」

「まあ……それなりには」


 ノエルは会話をしながら部屋をぐるりと見渡す。部屋の隅にはラグビーボールが転がっている。それに、汚れた練習着と真新しそうな教科書も。壁にはどこかのプロラグビーチームのポスターがでかでかと貼られていて、棚には何かの優勝トロフィーがいくつか並べられていた。

 ──嫌な予感がする。


「……ねえ、サムって何の部活に入ってるの?」

「ラグビー」

「ああ、神様……」


 どうしてルームメイトがラグビー野郎なんだ。ノエルはショックのあまり膝から崩れ落ちてしまいそうになるのを必死に堪えた。

 サムは、そんなノエルのことを不思議そうな眼差しで見つめる。


「なに? どうしたの?」

「できれば、部屋で夜通しパーティーしたり、女の子を連れ込んでイチャイチャしたり、ドラッグでハイになったりしないでほしいんだけど……」

「は? 俺はそんなことしない。パーティーも女も、ドラッグも大嫌いだ」

「嘘だ。そんなラグビー選手いるわけない」

「偏見がすごいな」

「ごめんごめん、今のは冗談だよ!」


 サムの眉根に皺がぐっと寄ったのを確認したノエルは、大慌てで発言を撤回する。初日から彼に嫌われたら、屈強なラグビー部総出で虐められるに違いない。


「……でも、女の子が嫌いなのは嘘でしょ?」

「嫌いまでは言い過ぎたけど、得意じゃない。彼女たち、いつもキャーキャーうるさいだろ? なにがそんなに楽しいんだか、俺には理解できない」

「ああ、たしかに……君に対してはそうかもね」

「?」


 後半の皮肉をぼそりと呟くと、サムは怪訝な顔をした。

 サムのダークブラウンの瞳は眠たげに垂れていて、その縁をくるりと上がった濃いまつ毛が覆っている。高い鼻と少し肉厚な唇は同性から見てもセクシーだと思うほどだ。体はよく引き締まっていて、身長も高い。そして、スクールカーストの頂点に君臨するラグビー部に所属しているときた。

 サムはさぞ女の子からモテるのだろうと、ノエルは一人確信を深める。


「部屋は自由に使ってくれていいから。今日からよろしくな、兄弟」

「いてっ!」


 サムからバシン! と勢いよく叩かれた背中がヒリヒリする。ノエルが涙目で睨みつけると、サムは軽く触れただけで前のめりによろけたルームメイトを信じられないと言った目つきで見下ろしていた。


「君って、いかにもラグビー部って感じがする」

「そう? 同じ部活の奴らからは、“ぽくない”って言われることの方が多いんだけど」

「ってことは、もっと“ぽい”奴らがこの高校にはうじゃうじゃいるんだ。うえー!」

「うえーって何だよ。みんないい奴だぜ?」


 サムは肩をすくめながら近くのベッドに腰掛ける。その時、ノエルは彼が笑うと左頬にえくぼができることをはじめて知った。


「明日みんなに紹介するよ」

「は? 紹介??」

「ああ。飛び級の生徒が来るらしいって噂になってて、みんなノエルに興味津々なんだ」

「ああそう……最悪」


 ノエルは深いため息をつきながら、顔を手で覆う。


「どうせ『ガリ勉』だとか『チビ』とか言われてからかわれるに決まってる。だから高校に来るのは嫌だったんだ!」

「……そうやって言われたことがあるのか?」

「何回もさ! 上級生は意地悪をしてくるから大嫌いなのに、ここには年上しかいない……ほんと“最高”の高校生活が送れそう」 


 ノエルはそう吐き捨て、真っ新なベッドマットに仰向けに寝転がる。失意まま天井をぼーっと眺めていると、ノエルの視界をサムの顔が埋め尽くした。


「そんなこと俺がさせないから安心して」

「へえ、そりゃどうもありがとう。君ってやけに親切なんだね。クリスチャン?」

「クリスチャンだけど、それとこれとは関係ない。友達が虐められてるのを見過ごすようなかっこ悪い真似、俺は絶対にしない」

「友達? 誰と誰が?」

「俺とお前が」


 ノエルは目をぱちぱちと瞬かせながら、サムの整った顔をじっと見つめる。よく見れば、彼は今流行りのヒーロー映画に出ていた俳優に似ているかもしれない。


「もし困ったら、俺の名前を出していい。それでも効かなかったら、俺が相手と話をつけるからいつでも呼んで」

「……ありがとう。そうさせてもらうよ」


 その回答に満足げに微笑んだ後、静かに去っていくサムの後ろ姿をノエルはしばし追いかける。

 ラグビー野郎は友達認定がやたら早いらしい。でも、そのおかげで虐められる確率がだいぶ減ったかもしれない。

 ノエルは幸先の良さそうな高校生活の始まりを中学時代の友人に報告しようとベッドの上で身を起こす。スマートフォンを見ると、電波の本数が一本と二本の間で揺れていた。


「──ノエル、寮の設備を説明するから着いてきて」

「あ、うん。ここってWi-Fiとかある?」

「あるよ。パスワードは後で教える」


 ノエルはベッドから降り、ドアの近くに立っているサムの元へと近寄る。横に立つと、彼の体格の良さに改めて驚いた。

 話す時に毎回上を向くと首が痛くなりそうだ。そう思いながらサムを見上げると、彼も同じことを考えていたのか、ほとんど同時に背をかがめて顔を近寄せてくる。そのせいで、あわや二人の鼻先が衝突するところだった。


「ぴゃ!? び、びっくりした!」

「……ごめん。声が聞きづらいかなと思って」


 急に縮まった距離に、二人はぱっと顔を逸らす。

 サムが色男だからというわけではなく、誰だってこんなに近寄ったら恥ずかしい。ノエルは頬をかあっと赤らめて、明後日の方向を見つめた。


「……ふっ、かわいい」

「うわっ! こ、子供扱いするな!」


 髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてくるサムの手を、ノエルは必死に引き剥がそうともがく。


「『ぴゃ』って声、どこから出したの?」

「う、うるさい! さっさと寮の説明をしなよ!」


 全力で拒否しても全く太刀打ちできない。ノエルは次第に対抗することに疲れ、サムの好きなようにさせることにした。

 大きくてあったかい手のひらで頭を撫でられるのは、なかなか悪くないかもしれない。楽しそうに目を細めるサムの表情に、ノエルは白旗を上げた。

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