Episode1・ゼロス誕生4
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
政務は城で行なっているのに、『おかえりなさい』というのはなんだか変ですね。
でも魔王の城はあまりにも広すぎて、同じ部屋に入ってはじめて『おかえりなさい』という気持ちになるのです。
「ただいま。先に眠っていなかったのか?」
「先にゼロスを寝かしていました。イスラはすぐ眠っていきましたよ」
「そのようだな」
ハウストはベッドの真ん中で眠っているイスラと、私の腕の中で眠っているゼロスを順に見ました。
そして私には口付けを。
ゼロスを抱いているのでハウストの背に腕を回すことが出来ませんが、彼の手がそっと抱き寄せてくれます。
眠っているゼロスの上で交わす口付けは、いつものそれよりも気恥ずかしさがありました。
「疲れが癒される」
「ふふふ、バカなことを。そんなこと言っても何も出ませんよ。あ、でも紅茶を淹れましょうか?」
「ああ、頼む」
「はい」
私はゼロスを赤ん坊用のベッドに寝かせると、さっそく紅茶の支度を始めました。
少しして寝所に紅茶の香りが広がります。
「熱いうちにどうぞ」
テーブルに二人分のカップをおいて私はハウストの隣へ腰を下ろす。
ハウストと正式な夫婦になりましたが、いつも側近の侍従や侍女が側に控えているので二人きりになる時間は限られています。でも今、この何気ない時間はハウストと私だけの時間です。
「この時間が一番落ち着く」
「私もですよ。ほっとします」
この部屋を一歩でも出ると側近女官や侍女に従われ、ハウストと触れ合うこともままならなくなります。
もちろんハウストが人払いをすれば別ですが、彼は理由もなくそういった勝手をする魔王ではないのです。
だからこうしてハウストと私とイスラとゼロス、四人だけでいられる空間は私にとって大切な場所、大切な時間です。
でも、そう思っているのは私だけなのでしょうか。
「今日は忙しかったようですね。ゼロスの件でなにかありましたか?」
「ああ、冥王の卵が孵化したことで騒ぎになっている。だが、ここで生まれてきたからには俺の子だ。口煩い連中も黙らせる」
「あなた、冥王のお父上、ですね」
「…………妙な感じもするが、すでに勇者もいることだしな」
そう言ってハウストは苦笑しましたが、ベッドの真ん中で眠るイスラを見る眼差しは優しいものでした。
あの先の戦いの中で、イスラがハウストを『ちちうえ』と呼んだ時のことを思い出します。あなた、言葉にはしませんが嬉しかったんですよね。
「あの、ハウスト……」
「どうした?」
「えっと、……」
言いかけたものの言葉を続けられません。
ハウストは私と結婚したことで勇者と冥王の父親になります。これは前代未聞のことで、このことに疑問を覚える魔族もいることでしょう。勇者や冥王を魔王の子として育てるのですから、むしろ手放しで歓迎されるなど本来有り得ないことです。
しかしハウストはそれら負の側面を一切感じさせません。きっと私の知らないところで動いてくれているのです。
だから、私の願いを言葉にすればハウストを困らせることになります。
なぜなら私の願いは、魔王である彼には想像すらつかないもの。いいえ彼だけではありません、城に仕える者達も当たり前のように子育ては王妃の役目ではないと思っているのです。
それは古くから続く慣例で、当然の掟。
だからこれは私の我儘なのです。
「どうした、なにか話したいことでもあるのか?」
黙り込んだ私をハウストが気遣ってくれます。
もし話したら、ハウストは驚いて、でもきっと良い案はないかと考えてくれる。
しかしこれは私の我儘です。
ならば私が我慢すべきことで、彼を困らせるべきではありません。
「……いいえ、何でもありません。それより今夜は寝ましょう。明日も早いんですよね?」
「ああ、そうだな」
ハウストは大きく伸びをしてベッドへ向かう。
ベッドの真ん中にいるイスラを挟むようにして私たちも眠ります。
でもその前に私は赤ん坊用のベッドへ向かいました。
そこにいるゼロスを抱き上げ、一緒のベッドに連れて行きます。
「ゼロスも一緒にいいですか?」
「ああ、好きにしろ」
「ありがとうございます」
イスラの隣にゼロスを寝かせました。
こうしてイスラとゼロスを挟むようにして私とハウストもベッドで横になる。ハウスト、イスラ、ゼロス、私、の横並びです。
ハウストとは二人分の距離が開いているのでいつもより離れてしまっています。でも不思議ですね、物理的な距離は開いたのに寂しくありません。むしろ近く感じます。
「ハウスト、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ハウストがイスラとゼロスの上に乗り出し、私におやすみの口付けをくれます。
お返しの口付けをすると、ハウストが更に深く口付けてこようとする。
私は苦笑して彼の唇に指を当てました。
「これ以上はダメです。イスラとゼロスが起きてしまいますよ」
「二人はよく眠っている」
「よく眠っていても、です」
強めの口調で言います。
本当にこれ以上は駄目です。二人が起きてしまうし、なにより私だってもっとと望んでしまう。
するとハウストは目を瞬き、つぎに苦笑して諦めてくれました。
少しだけ申し訳なさを覚えます。
「……分かった。お前は頑固だからな」
「怒らないでくださいね?」
「怒っていない。お前らしいと思うだけだ」
ハウストはそう言うとイスラの隣に戻る。
肘をついてイスラとゼロスを見下ろしました。
「俺も我慢しよう。二人は俺の子だ」
「ありがとうございます」
私は笑んで、同じようにゼロスの隣に横になりました。
二人でイスラとゼロスを挟みます。
しばらくするとハウストの寝息が聞こえてきました。
いつもなら私も眠っている時間です。でも眠れません。
目を閉じるのがもったいなくて、隣のゼロスの寝顔をじっと見つめます。
ハウストは「俺の子だ」と言ってくれました。
それが嬉しくて幸せで仕方ないのに、ハウストの子だから手元で育てることは許されていません。
育てたいと願うことは私の我儘で、ハウストを困らせてしまう事です。
私はゼロスの小さな手を握りしめました。
乳母に預けたからといって私の子じゃなくなる訳じゃない。何度も自分に言い聞かせます。
でも、今夜は眠れそうにありませんでした……。
翌日。
昼食を終えた頃、とうとうその時がやってきました。
フェリクトールがゼロスの乳母役になる女性を連れてきたのです。
優しい笑顔が特徴的な美しい女性。
若いながらも落ち着いた雰囲気のある女性はニコニコとした笑みを浮かべ、フェリクトールの後ろに控えていました。
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