反撃

 高速艇トライトンの艦橋。

 ラトリッジは見張員からの伝令に耳を疑い、艦長席の上でのけ反った。


「30ミヌト後に本艦を砲撃だと……。なにトチ狂っとるんだ。あの軍艦は! おい、見張員! それは間違いないのか!?」

「はい、あの船から、繰り返しそのように発信されています!」

「うーむ、なにかの冗談のつもりなのか……。ところで距離はどのくらいだ?」

「約2レグアといったところです」

「2レグアか。戦艦の主砲なら楽に届く距離だな……」


 そこへウォーターとバンクスが息を切らして飛び込んできた。

「か、艦長……ッ! あの船から……、発光信号が!」

 二人そろって、窓の向こうの海原を指さす。


「それはもう気づいている。それよりお前たち、王女殿下はどうした?」

「はい! 王女殿下ならすぐにここへいらっしゃるはずです!」

 ウォーターが答えると、ちょうどジョアンヌが現れた。

「はあ……、はあ……、艦長、大変なことになりました。急いで……、この船がサザンテラルの軍艦であることと、私が……、乗船していることをあの船に知らせてください」

「そうでありますな。王女殿下! 了解いたしました!」

 苦しそうに息を整えるジョアンヌを見ながら、ラトリッジは艦長席を下りようとした。

 その時、船が左舷に向けて大きく傾いた。

 彼はバランスを崩し、床に倒れ込んだ。

 船体は揺り返してすぐに戻ったが、まだ揺れている。

 すぐに顔を上げ、周囲を確認した。

 突然の出来事に騒然とする艦橋。
 ジョアンヌほか大勢の乗組員が床にうずくまっている。


「何だ! もう撃ってきたのか! 30ミヌト後ではなかったのか!」

「いえ、あの軍艦は発砲しておりません!」とすぐに見張員が答える。

「では、今のは何なのだ?」

「わかりません!」


 ◇◆◇


 ピートは間近に迫ってくるノーマンの刃を凝視した。


 この距離では避けきれない!


 そう直感し、少しでもかわそうと体をひねる。

 その時──、甲板が大きく傾いた。

 思わぬ事態に、ノーマンの体が右へと流される。

 ピートはその反対に身を倒し、足でノーマンのくるぶしを蹴った。

 ノーマンは足下をすくわれ甲板に転がったが、肘を突いて、すぐに起き上がった。

 まだ揺れが残る甲板の上、大きく足を広げて、ピートをにらむ。


「何でしょうね、今のは? ピートさん、あなた命拾いをしましたね。この偶然もあなたの大好きな神のご加護でしょうか? しかし神様の元へ召されるのが少しだけ延びただけですがね」


 ノーマンは腰を落として、また突進すべく殺気だった目でタイミングを狙っている。

 その間合いは、一息で飛びつかれるほど。

 武器を持たぬピートは体術でどうにかするしかない。

 全神経を研ぎ澄ませて、相手の動きに注視する。


 ノーマンのつま先が動く。

 と──、ピートを捉えていた彼の視線がわずかに横に動いた。

 その隙に、ピートはノーマンに飛びかかった。

 服の裾を扇状にひるがえして、回し蹴りで彼の頭を狙う。

 一瞬だけ目を離していたノーマンは避けきれず、左腕でそれを受けた。

 蹴りの勢いで、ノーマンの体が横に流される。


 そこへ銃声──。

 弾丸がノーマンの右太ももをかすめ、鮮血が飛び散る。

 蹴った体勢からノーマンの背後に回り込んだピートは、正面に銃を握るルフィールを見た。

 彼女は床に這いつくばったまま、ノーマンに銃を向けている。

 その銃はノーマンのナイフに弾き飛ばされたものだ。


「ルフィール様!」

「ピート、あなたそこから動かないで! 間違って当たっちゃうから!」

 ルフィールが叫ぶ。

「ピート!」

 向こうからキースが走ってくる。

「ノーマン、動いたら撃ちます!」

 ルフィールの碧い目がノーマンに照準を定める。


「くくくっ……。今度は私が大ピンチなんですかね???」

 ノーマンが声を殺して笑う。


「笑止千万!」

 ノーマンがくわっと目を剥き、右手を一閃させた。


「キャ────ッ!」

 ルフィールが目を逸らして思わず叫ぶ、その上をナイフが真っ直ぐに飛んでいく。


「あっ!」

 今度はピートが声を上げた。

 ルフィールの向こうでよろよろと立ち上がるセフィール。

 ナイフはその胸を目指している。


「セフィール!」

 キースがセフィールに飛びつこうとするが、間に合わない。

 ついにナイフの切っ先が彼女の胸に突き立った──。


 セフィールの悲鳴

 ──が上がるとピートは思った。


 しかしセフィールは胸にナイフを突き刺したまま、口の端を上げてニヤニヤしている。

 ピートは、彼女の目が青く光っているのに気づいた。

 よく見ると、その胸からは血の一滴も流れていない。


 セフィールは胸に刺さったナイフのつかを両手で握り、自殺でもするかのように、力を込めて胸の奥へと押し込めた。

 水に突き立てたナイフのごとく、ナイフは柄まで丸ごとセフィールの胸の中に消えてしまった。

 ピートは目の錯覚かと思った。


「何なんだ、お前は!?」

 幻でも見たのかと言わんばかりの形相で、ノーマンも驚いている。


「デバイス・ロケーション確認、ターミナル・リンケージOK、戦闘モード起動──」

 セフィールが低い声でつぶやく。

 キースが躍り出て、背中で彼女を隠す。


「大丈夫か? セフィール!」

 そうたずねるが、返事がない。

 セフィールは不敵な笑みを浮かべ、後ろからノーマンをじっと見ている。

 ピートはノーマンを羽交い締めにすべく、背中に飛びついた。


「邪魔だ。どけ。重力歪曲崩壊グラビティディストーション!」

 その声と同時に、船が大きく揺れた。

 よろめくキースを手で押しのけ、セフィールが前へ出る。

 ピートが捕まえようとしたノーマンの姿が唐突に消えた。

 ピートの両腕が空を切り、上体がつんのめる。


「あっ! どこに行った!?」


 首を回して見るが、ノーマンの姿がない。

 前に進むと、なにかを踏んだ。

 見下ろすと、うつ伏せのノーマンが大の字になって床に張り付いている。

 体が動かせないのか、三白眼の眼球だけが焦ったように慌ただしく動き回っている。


「さて、こいつをどうするかな?」

 セフィールがノーマンの頭の所でしゃがみ込み、指で顔をつつき始めた。

「ぐぐぐ──」

 ノーマンがなにか言いたげにセフィールを見るが、言葉にならない。


 キースとルフィールも近寄ってきた。

「セフィール、それはお前の魔力か?」

「いかにも」

 キースを見上げ、自慢げにセフィールがうなずく。

「お姉様、早くそいつを縛り上げましょう」

 銃を持つルフィールが不安そうな顔でノーマンを見下ろす。


「うむ、しかし、私はこいつに恨みがあるのだ」

 セフィールがノーマンの片手を握り、軽々と引きずっていく。

 ノーマンはまだ動けないのか、ズルズルと死体みたいに甲板の上を滑っていく。

 船べりまで来たセフィールは水面をのぞいてから、指笛を鳴らした。

 すると、海の底からなにかが次々と海面へと上がってくる。

 青い海はあっという間に虹色に輝き始めた。


「お前にはカニを嫌と言うほど食わされたから、今度はお前がカニに食われるがよい」

 セフィールはノーマンの頭をつかみ、船べりから出した。

「ぐぐぐ──」

 ノーマンがうめくその下、数え切れないほどのニジイロタカアシガニがうごめいている。


「もう自由にしていいぞ!」

 セフィールはそう言い、ノーマンを船から蹴り落とした。


「うわ────────────────────ッ!!」


 ノーマンの尾を引いた叫び声が甲板に立つピートたちに届く。

 彼らが見下ろす中、ノーマンの姿はすぐに色鮮やかなカニにかき消された。

 海の上では、何千、何万ともしれぬカニがもぞもぞとうごめいている。

 カニが嫌いなピートは見るのをやめ、聖印を取り出し神に祈りを捧げた。

 ルフィールは青ざめた顔で恐怖におののいている。


「あちゃー、悪いヤツだったが、これは…………」

 キースが絶句してから、セフィールに振り返ったが、姿が見えない。

 彼女は甲板に倒れ込んでいた。


「おい、セフィール! しっかりしろ!」

 キースが抱え上げ、体を揺する。

「うーん……」

 セフィールが目を開ける。

「大丈夫か、お前?」

「キース! ノーマンは?」

 飛び起きたセフィールが辺りを見回す。


「なんだ、お前、憶えてないのか?」

「うん、ノーマンに突き飛ばされたのは憶えてるんだけど……。それで、ノーマンはどうなったの?」

「ああ……、ヤツなら……」

 キースがカニだらけの海面を見つめる。

「お姉様、ノーマンならカニに食われちゃいましたわ……」

 震える声でルフィールが答える。


「えっ、カニに食べられたぁ!?」

 セフィールのひっくり返った声が虹色に輝く海に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る