三題噺「パズル」「田舎」「銅像」(約2,300文字)

 全高十メートル超の市長像が建っていた。

 なんてことしやがる、市民の血税をよくもこんなクソみてェな像に、と、そう義憤に駆られての帰省だった。本当は帰るつもりなんてなかった。事実もう十年くらい実家には顔を出していなくて、しかしそんな俺にも最低限の郷土愛はあったんだなと、その意外な事実につい苦笑が漏れる。

 きっかけはネットだ。SNSでド派手に炎上していたニュース。人口十万人程度の地方都市に、市長公邸という名の巨大な宮殿をブッ建て、しかも宮殿前広場には例の市長像まで。即座に開かれる羽目になった謝罪会見、その最中にかんしゃく起こした子供みたいにギャアギャア泣いて、それがどうやら自分の生まれ育った故郷ふるさとの出来事の話らしいぞと、そう気づいた瞬間の気持ちはもはや言い表しようがない。

 市長公邸、通称『クソみてェな家』の正門前。今日まで数多の青年たちが陳情に押しかけ、だが無事に帰ったものは誰ひとりとしてない。当然だ。田舎に特有の複雑なしがらみは、もはや誰にも解くことのできない呪いに等しい。年寄りたちは完全に権力と一体、そして地元の若者たちはあまりに無力だ。

 ——が。

 しかし、果たして、俺ならばどうか?

 別に何か特別な人間ってわけじゃない。普通の男だ。大学進学を機に都会でひとり暮らしを始めて、一度も帰らないまま手前まで来た、ごく平凡ないち会社員。今更どのツラ下げてと言われても仕様がない、そんな事実上の〝もん〟にしか成せないことっていうのがあるのだ。


 たのもー、と宮殿の門を叩く。反応はない。まあそうだろう、市長はまだって引きこもっているとかで、つまり多少の強硬手段はやむを得ない。無法には無法を、そのつもりで来た。あれがただの宮殿と銅像ならよかった。ただの税金の無駄遣いで、どこの馬の骨ともしれない妖しいやつを市長にするからそうなるんだと、そう鼻で笑ってすぐ忘れたはずだ。

 が、そうはならなかった。自分でも思ってもみなかったことで、ああ俺にも人並みの地元愛はあったのだなと、もともと嫌いだったはずのその愛着が、しかし今は不思議と誇らしく思える。郷里に絶望し、一度はそれを捨て去ったこの俺にさえ、しかしそんな覚悟をさせるだけの、確かな『クソみてェ』さがそこにはあった。

 ——下品すぎるだろ!

「なんで日本の原風景のド真ん中に、ビキニ姿の爆乳淫乱サキュバス像があんだよ?! 公序良俗はどうしたんだ、公序良俗は!」

 叫びと共に、叩きつける。丸太を。自前で用意した即席の破城槌を。固く閉ざされた宮殿の正門、その奥に待つであろう爆乳サキュバス市長。どうしてそんな奴が選挙に勝てたのかは知らない。いや大体わかるけどそれはいい、どうあれクソみてェな像は建ってしまった。

 ——ここは、地獄だ。

 地獄だった。ずっとここで育ってきたからわかる。田舎特有のこじれてよどみ切った人間関係、年寄りたちは権力に絡め取られ、若い連中はいまや数も力も足りない。ゆっくりとすべてが終わりに向かう中、それでもなお複雑に絡まり続けるしがらみは、もはや誰にも解くことのできない呪いも同じだ。

 解法のない、だが誰かが解かねばならない、壊れた知恵の輪。

 一体、どうする? 誰がやる?

 その答えが、つまり俺だ。この街の権力構造に縛られない、でも己の身を賭す程度には縁のある〝余所者〟なら、結果がどう転ぼうと後腐れもない。

 壊してやる。このクソみてェな現実を、どうにもならない閉塞感を——最初からどこにも存在しなかった、俺たちの夢と未来をだ。この破城槌で、丸太で全部やり直す。都会の人間が勝手に憧れるような、「のどかな田舎の風景」なんてものに興味はない。でもそこで育ってきた子供たちの笑顔を、いろいろ至らないなりにそれでもやってきた大人を、ここで生きていかざるを得ないすべての人々の生活を——。

 地獄でもいい。それでも、取り戻す。

 ——いいだろう? その程度のささやかな希望くらいは、夢見たって。

「勝手で悪いけど——これが俺の物語だ!」

 叫びながら叩きつける丸太。ひときわ大きな音が響いて、そしていよいよ正門が打ち破られた。その先、まるで最初から待ち構えていたかのように、静かに佇む市長の姿。それは本当に、例のクソみてェな像と寸分違わぬ——いや、こうして直に見るとなんというか、もちろん実寸で言えばそんなはずがないのはわかるのだけれど、しかしあくまで心象としては、像よりも、

「うぉ……でっか……」

 無意識のうちに漏らしていた感想。どこまでも素直で、そして正直極まりないそのひとことが、結局すべての答えだった。俺の物語の終着点。改めて思う。やっぱりサキュバスはサキュバスで、つまりこの世ならざる悪魔か怪異の類なんだから、こんな丸太一本で勝てるわけないよね、と。

 俺の目の前、あまりにも布地面積の少ないビキニ衣装に、はち切れんばかりの巨大な双丘。

 震える。体が、魂が、オスとしての本能が。真夏の直射日光、遮るもののない田舎特有の猛烈な熱射に、目覚めたばかりの郷土愛が解けてそのまま蒸発するのを感じる。結局、欺瞞だ。嘘だった。義憤なんてものは最初から建前でしかなくて、つまり俺が丸太まで用意して求めていたのは、きっと最初から〝これ〟だった。


 ——なんだそれ。ずるい。こんなんが来るって知ってたら、俺だって上京なんかしなかったのに。


 それでも、言える。

 敗北ではない。俺は絶対に負けてない。

 なぜなら、これは帰省ではない。定住のための帰郷——つまり俺の本当の人生は、〝生きていく〟という営みは、いまこの瞬間から始まるのだから。

 この、きっといつまでも続く、ただ広く青い空の下で。




〈三題噺「パズル」「田舎」「銅像」 了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る