中国はなぜ台湾にならなかったのか

@MasatoHiraguri

第1話 中国はなぜ台湾にならなかったのか

 V.2.2

 2022年6月28日

 平栗雅人


 中国という国は、なぜ台湾や日本のような、外国勢力に自主性を奪われた「属国」にならず、真の独立国家として、自分たち民族にピッタリの正しい道を歩むことができるのか。


 それは、ひとつには彼らが中国の古典籍からきちんと「人の道」を学んでいるからであり、そうであれば、2,000年前に中国の手ほどきで文化と文明の道を歩み始めた、そして中国人と同じく血の濃い純潔民族である私たち日本人であれば、同じことができるのではないだろうか。


 台湾という「国」(中国からすれば、台湾という国は存在しない。中国という国家の一部・一地方にすぎない)は、もともとこの島に住んでいた原住民の土地を、中国から流れてきた客家という、ある種の宗教集団が奪って成立させた「国(地域)」です。


 台湾の原住民とは、南北アメリカ大陸(カナダを含む)のネイティブ・アメリカン、オーストラリアの原住民(アボリジニ)、現在の英国成立以前にスコットランドを含む地域に住んでいた原住民、そして、日本で10万年以上昔から住んでいた原始日本人とその流れを汲む縄文人と同じ、もともとその土地に住んでいた先住民族のことです。


 中国人によって「台湾島が発見された」時、当時の中国人は非常に賢明な政策によってこの島の原住民を遇しました。即ちこの島を「化外の地」として、中国人の文化や文明を押し付けることをせず、彼ら原住民の自由にさせたのです。


 中国人とは、数千年もの文化と文明を持つ歴史のある民族ゆえに、わずか300年程度の歴史しかない「ガキんちょ」アメリカ、500年程度の英国などに比べるとずっと大人です。

 自分たち中国人に危害を加える心配がない、中国を侵略する気のない平和な部族であれば、そのまま放っておく、という態度ができるのです。征服できるのに、あえてそれをやらずに、原住民の自由と自治に任せるという、まさに徳の政治のお手本といえるでしょう。

 アジアでもアフリカでも中東でも、文化も礼儀も知らない、いわば土足で他人の家に勝手に踏み込み、世界中から「ヤンキー・ゴーホーム」と罵られてきた暴力団のような国家とは全く異なるのです。


 国家としての中国は「台湾」に不干渉であったのですが、客家という、ユダヤ人によく似た種族(血のつながりではなく、客家という宗教による集団。日本の創価学会と同じく、現世利益共有を目的とした集団)は、自分たちの支配する国が欲しいという欲望のままに台湾島へ乗り込み、得意の「口八丁手八丁」で、純朴な原住民たちを騙し、利便のいい土地を奪っていきます。中公新書の「台湾」によると、当然ながら原住民にかなり嫌われたようです。

 原住民とは、普段は温厚ですが怒ると怖い。私の叔父は太平洋戦争中に台湾の人たちと一緒に南方で戦ったそうですが、戦士として役に立った(本当に命を懸けて戦える)のは原住民だけだった、そうです。月のない真っ暗な夜、裸足で後ろから忍び寄り、半月形のナイフで咽喉(のど)を切り裂く。近づく足音も頸を切る音もしないのだそうです。


 かの戦争中、客家の若い男たちは日本による徴兵を嫌がって中国大陸の奥地へ逃げてしまう。

 台湾に残った非客家の台湾人は「ポク達パカ(中国人や韓国人は濁音が発音できないから、バカがパカになる)です」と言って戦おうとしない。

 だから、仕方なく、日本軍は台湾人や韓国人を、戦闘に出ない後方勤務をやらせていたそうです。まあ、本当にバカになって何かに打ち込む(例えば芸術)ということができないのが三国人なんですが、バカの真似をして命拾いするという(賢い)生き方だけは本能的に持っているんですね。

 要は、台湾の原住民以外、台湾客家とびん南人は、日本の統治に反抗し、従わなかった。日本人が嫌いだったということですが、それはそれで結構なことです。

 ですから、「日本統治時代の各種遺物・建物」は韓国と同じようにすべて叩き壊し、「日本統治時代」という言葉を偽の「日台友好」に使わないでもらいたいものです。


 客家は自分では決して戦わない。

「犬」を使います。

 原住民が怖い、となると、中国大陸から他の中国人たちを呼び込み、彼らと原住民とを戦わせます。しかし、台湾のようなのんびりした国(だから、中国は「化外の地」として放っておいた)に住み着くような人間など(のんびり・温厚で)役に立たない。そこで、当時、アジアでは破竹の勢いであった日本(軍)が台湾を支配することになると、彼ら日本人を犬にして原住民の鎮圧をさせます。日本人の軍隊をけしかけて原住民と戦わせ、徹底的に原住民を弱らせて日本軍の指揮下におかせます。

 台湾における最大の難関であった原住民を、日本人を使って宣撫(占領地の人心を平定する)したのです。なんと、頭のいい人たちなのでしょう!

 そして、第二次世界大戦(太平洋戦争・日中戦争)中、、中国大陸奥地で生き延び、終戦後、どこからともなく現れた客家の若い男性たちは、今度は蒋介石軍を犬にして台湾人(原住民や中国人)の上に君臨し、利権をあさりました。

 客家とは真面目にこつこつやるタイプではないので、儒教道徳の染み付いた人間(中国人)には好かれませんが、同じスタイルで金と権力を手にしたユダヤ人や韓国人(百済・新羅人)とは、ウマが合う。ウクライナのジリノフスキーなんかも、きわめて仲のいいお友達です。


 10年前、2011年に私が初めて台湾に来た頃の台湾は、親中国政権だったのですが、香港が中国に返還されて中国を脅す拠点がなくなった欧米ユダヤ人たちにとって、そのための橋頭堡としての存在価値が高まり、ついに、2020年3月の選挙で客家の女性総裁が(アメリカの犬として)台湾のトップとなりました。

 三国人というのは、自分で汗水流して働かずにピンはねする、という生き方が基本です。汗水流して、苦しい仕事をするのはバカであり、何事も要領よく生きるのが賢い生き方、という考え方です。ですから、先ず、国家に寄生する(エアコンの効いた部屋でのんびりやる仕事の)公務員(政治家・官僚・警察官僚)や、三流大学の教授・語学学校の教師、マスコミ関係が客家の一番人気。しかも、それらはすべてコネで決まる世界。創価学会(在日韓国人)の侵食する日本社会と全く同じですね。


 つまり、台湾という地域はそういう人々によって運営され、世界で最も汗水流して働く中国人によって世界で最も豊かな国となった中国という国を手に入れる(寄生す)べく、ユダヤ人援護の元、台湾客家様たちが日夜奮闘されていらっしゃる、というわけです。

 中国人と日本人(縄文人)というのは、寄生されるのがわかっていても、一生懸命働いてしまう。

 

 一方で、ゲルマン民族というのは、第二次世界大戦後「ユダヤ人という寄生虫に利益を持っていかれるだけだから、働くのは必要最小限度にする」という生き方をしてきました。むかし、純粋ドイツ(ゲルマン)人の家庭に滞在したことがありましたが、驚くほど質素な生活でした。反面、ものすごく心豊かな生き方をしているし、社会もまた、そういう人間に適した味わい深さを醸し出していました。

 さすが2回も戦争に負けてボロボロになったゲルマン民族、日本人(や台湾人)のように、電通や台湾客家といった、浮ついたユダヤ的プロパガンダに乗せられることなく、地に足のついた生き方・中国人のいう「道」を歩んでいます。


 東アジアでは、自分たちの濃い血を大切に守り、パールバックの小説「大地」そのもの、しっかりと大地に根を下ろした、力強い・本当の自分(たち)の生き方をしているのが中国人であり、そういう本物の人間の集合体である中国という国こそ、真の国家といえるでしょう(その意味では、北朝鮮も頑張っていますが、彼らには中国の古典籍に相当する、原理に相当する教えがないのが弱みです)。


 台湾や日本のように、寄生虫に乗っ取られ、魂のない死んだ肉体だけが動いている「キョンシー」とは違います。因みに、東アジアの3馬鹿トリオ筆頭、韓国という国は、乗っ取られるも何も、国民全員が寄生虫であり、国家としてどこの国に寄生するか(日本しかいませんね)が、彼らの永遠の課題です。




 経済活動の90パーセントが中国相手に成り立っているという大前提があり、且つ、10年前までは、その中国のおかげで、大した技術もなければ温暖な気候で必死になる根性もない台湾人が経済的に豊かになれたという事実から見て、どう考えても中国に敵対する理由などないはずなのです。「台湾」自体がユダヤ人の犬にされ、本来進むべき道とは全く違う誤った道へ進もうとしている。

 台湾客家とは、自分で飼っている犬を、通りすがりの人間にけしかけ、人が驚いて逃げるのを陰からこっそり見て楽しむという、姑息な楽しみ方を好むタイプの(根暗)人間です。その自分たちが、アメリカの犬になって、日本と一緒に中国に吠え立てているというわけです。


 彼ら台湾客家は「韓国(という犬)が日本に吠え立てる」のを見て、大喜びしている。そして、日本人に対しては、神妙な顔をして「私たち台湾人は日本人と永遠に友達です。」なんて甘い言葉で擦り寄ってくる。韓国は脅して日本から金と技術を奪おうとし、台湾客家は「贋の友好」で同じことをやる。

 手口が姑息というか、オカマっぽい。

 中国人のように、正面から堂々と名乗って意見を言う(戦う)というタイプではない。中国人というのは、曹操や関羽のような豪傑というか、まあ、日本人のサムライと同じタイプの男ですね。彼らは日本人に教えてもらおうなどとは思っていない。勝手に(順法の範囲で)真似をしながら、すぐに自分たちだけでその技術を確立させてしまう。韓国人や台湾客家に比べれば恐ろしい男たちですが、信頼できる。

 「ダイソー」なんて、日本人の文化力と中国人の創造性がマッチした、ノーベル賞もののビジネス・モデルといえるでしょう。いくら日本人の優れたアイディアがあっても、台湾客家下の台湾人や、韓国人では満足のいく製品にできない。日本人の求める品質を実現できるのは中国人だけなのです。

 現在までほぼ100パーセント中国に製造を委託しているアップル社が、他国(韓国・台湾)に委託先を分散させる、なんて言ってますが、絶対に無理でしょう。半導体というのは、製造装置と設備が99パーセント命ですから、韓台でもできますが、(YKKのジッパーのような)職人芸(製造する人間の品質)が要求されるものを作れるのは中国人と日人本だけなのです。

 

 台湾の半導体メーカーが、新たに日本に工場を作るなんて偉そうに言ってますが、今まで日本人が確立してきた従来の製造技術が限界に来たので、再び日本人に新技術を創造してもらわねばならないのです。韓国の鉄鋼や造船メーカー・自動車メーカーもすべて、過去に日本人が確立した技術によって物を作ってこれたわけですが、今やそれが中国の新技術によって対抗できなくなってきた。そこで、徴用工といったホラ話で日本メーカーを脅し、一方で在日韓国人政治家が独占状態の現在の日本政府に働きかけて、日本の各メーカーが温めてきた未来の技術を(無償で)手に入れようとしているわけです。


 ネットでは、現在の首相をはじめ閣僚の90パーセントは在日韓国人とありましたが、写真で見ると、本当にみな韓国人顔をしている。岸田というのは百済の両班という貴族階級の出なんだそうです。豊臣秀吉の頃、日本に連れてこられたか、自分の意思で渡って来たか。


 日本国が抱える問題は山ほどありますが、究極の一点は、2千年前、日本に文化・文明を手ほどきしてくれた中国・日本人(縄文人)と同じく純潔民族(彼らは漢民族)でありながら、三国人によって間違った道へ引き込まれることなく真に正しい自分達の道を確実に歩んでいる中国人に、虚心になって立ち返る(彼らの行動原理の大本である古典籍に学ぶ)ことです。

 確かに、日本人の創設したソニーやパナソニックは偉大ではありましたが、そんな線香花火のような一時の栄華は忘れ、虚心坦懐、昔の素直な日本人として、謙虚に中国(の古典籍)にもう一度、耳を傾けるべきです。いい加減、欧米のパリサイ派ユダヤ人たちの作り上げた虚構の世界(マトリックス)から目を覚まし、明治維新までの2千年間、縄文人たちがそのお手本としてきた中国人のさまざまな英知によって、本来の日本人に立ち戻るべき時が来ています。

 中国人(古典籍)の教えとは、欧米流の知識主体の教則やマニュアルの類とは違い、何をどう学ぶかという「道」を示し、覚醒させて(気づかせて)くれる、いわば、夜空に輝く星のようなものです。暗記ではなく、その星々を頼りに、自分の頭とガッツと肉体を使って、自分で道を切り拓く。そういう「教え」です。人間としてどうあるべきか、を追求するための心の姿勢(考え方・思想)を、自分で律し、自分で実行し、自分で検証するための、道筋を照らす光です。


 中国は、なぜ外来種(三国人)の寄生を許さず、中国人による中国人のための中国を運営できるのか。

 これが、これからの日本を背負って立とうという日本人の若者にとって、最も大切な課題であると言えるでしょう。


 2022年6月28日

 V.2.1

 平栗雅人


 1.務本(むほん)の思想


 中国人は枝葉末葉も大切にするが、その大元を常に見ている。


 台湾客家のように、目先の利益ばかり追うというようなことはしない。



 2. 歴史を大切にする


 中国人は自分(たち)の歴史をしっかりと持っている。


 台湾客家のように「日本統治時代」などという言葉で自分たちの過去をごまかさない。


 彼ら客家が何かというと使用する「日本統治時代」という言葉は、自分たちが日本人によって支配されていた、自分たちに主体性がなかった時代という、自らに対する反省をこめた言葉であり、自分たちは征服された被害者であったという慙愧と日本人に対する怨恨をこめた言葉なのか。


 それとも、日本人に支配(統治)されて、私たち客家は幸せだった、日本の皆さん、私たちを支配(ダムや道路を建設し、学問を教え、精神的に導いてくれた)してくれて有難う、という感謝の気持ちが込められた「日本統治時代」なのか。



 台湾客家の口ぶりは、まるで台湾の歴史は「日本統治時代」から始まったような印象を与えるし、台湾フォーカスという台湾国営ニュース社の毎日の記事でも、「日本統治時代」の話ばかりだ。


 しかし、中国人の場合(人民網日本語版)、○○省で発掘された何億年前の化石だとか、200万年前の中国人の住居跡の発掘といった話が非常に多い。台湾だって、探せばそういう話(遺跡や歴史的遺構)はあるはずなのに、全く出てこない。故意に避けているかのようだ。


 台湾客家たちは、「台湾の歴史は日本統治時代から始まった」ということにしたいのであろうか。



 3. 中国人(の政府)は、衆庶(権力者や金持ちではない、一般大衆・庶民)を大切にし、その多様性を容認する


 4. 雄大な発想と創造力


 中国人の発想とは、台湾客家に比べれば「月とすっぽん」くらいの差がある。


 5. 徳の政治


 ○ 公明正大 → 第二次世界大戦以降は、すっかり世界の暴力団に成り下がってしまったアメリカに対しても、正々堂々と自分の主張ができる。


 ○ 台湾客家と異なり、政治に「道」がある。


(続く)

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