第516話 月夜の兄妹

 リンリンリンと鈴虫の音色と時折流れる風が山の木々の枝を揺らし、静寂とは程遠い夜の音を奏でていた。

 夕飯を終えて、寝るまでの僅かな一時ひととき

 オレは昔馴染みの母屋の縁側に座って夜を楽しんでいた。周囲には三犬豪が伏せて眠り、月を良い感じに見上げられるこの縁側は里では二番目に好きな場所である。


「ふーい」


 オレは太陽よりも月の方が好きだった。

 太陽の陽射しは多くの照らす力強さを感じるが、月の光は暗闇で転ばない様に優しく照らしてくれる。


 里を出て6年の間、太陽のように眩しい人は沢山いた。

 そんな人たちと出会って、知り合いになって、無茶をして、笑って、共に肩を並べて、彼らの強い陽射しに慣れて行く自分が居た。


 しかし、そんな彼らと共に過ごしていると……ふと気がつくのだ。

 オレの繋がっている本当のえにしは眩しい世界で生きる者たちよりも薄暗い背後から伸びている事に。

 そうでなければ……『WATER DROP号』で亡くなった人達の死は無意味なモノとなってしまう。たから、どうしても光の中に居る自分に現実味が感じられなかった。


「もう……ここまでかな」


 過去を知る者が現れ、そして祖父も怪我を負った。外で生き続ける理由が減ってきた今、本格的に『神ノ木の里』に帰ってくる事を考えなければならない。


「せめて、リンカちゃん達の成人式を見届けてからだね。うん」


 まだ、リンカは電話に出ないなぁ。これは……本当にアヤとの関係を勘違いさせてしまっているか。


「お兄様」

「ん? アヤ」


 スマホを見ていると、アヤが現れる。寝所用の着物を着て、丁寧な面持ちでオレを見ていた。月明かりに照されても美しいってヤバい。


「隣をよろしいでしょうか」

「いいよ」


 そう言うと、アヤは隣にすっと座る。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 アヤは何も話しかけて来ない……。これはどういう意図だろうか?

 勝負で少しだけギクシャクしてしまったので、ここら辺で関係をなるべく改善したいんだけどなぁ。


「…………申し訳ありません」


 するとアヤがポツリと口にする。


「私は何も知りませんでした。お兄様の抱えるモノも、その実力も……。それをアヤが受け止めよう等と、自惚れも良いところですね」


 と、アヤは自身を卑下する様に笑う。ふむ……少し誤解があるからそれだけは解いて置くか。


「アヤ。一つだけ言うけど、オレは腕っ節ではアヤよりも数段弱いよ?」

「そんな事はありません。『古式』の読み合いで負けました」

「え? あれって何か読んでたの? オレはただ、硬直してただけなんだけど……」

「……で、では! 私を投げたあの投げは!? 御父様以外に初めて投げられたのですよ?!」

「あれね。サンボじゃ当然の動きなんだ。タックルで相手に組み付いて投げる。低い位置から接近するし、同じ間合いの柔術じゃ結構勘違いして対応できない事も少なくない」


 今回で経験を積んだアヤに、オレのにわかサンボでは二度と敵わないだろう。


「お、お兄様は『古式』の本筋ではありませんか! 私の知らない深奥があったのでは!?」

「そんなのナイナイ。オレが使えるのは最低限の『古式』だけ。て言うか、『古式』に奥義とか深みとか何も無いし」


 『ジジィの嫌がらせ正拳』も『古式』ではあるが、奥義と言うにはあまりにも状況が限定的過ぎる。


「もう一回勝負したら、アヤが片腕でもオレは勝てないよ」

「……そう……なのですね」


 どうやらアヤは、オレを過大評価し過ぎて居たようだ。疲れた様に気落ちする。

 ふぃー、アヤが真面目すぎるおかげで『白鷺健吾』にならずに済んだ。


「ははは。オレはそんなつまらない人間だよ。アヤの思ってるような存在じゃない」

「……そんな事はありません」


 と、アヤは隣に座るオレに身体を傾けて来る。


「お兄様が抱えるモノを見て……尚も、こうして側に居ると安心できるのです」


 それはオレを気遣っての見栄ではない。“純粋”な彼女は本心しか語らないのだ。


「……お兄様。今一度、『白鷺』へ来る事を考えていただけませんか?」

「オレは『鳳』でいいよ」


 その意思に迷いはない。オレからの返答にアヤの反応が接触する肩から感じられた。


「……アヤではお兄様を救えないのですね」

「アヤ、一つだけ言っておく」


 オレはこの件でこれ以上、彼女が責任を感じる必要が無い事を告げる。


「アヤは『白鷺』だ。そして、オレは『鳳』。ここまでは良い?」

「はい」


 身体を起こしたアヤはオレを真剣に見る。


「なら、お前は『白鷺』であるべきだ。『鳳』はいずれ消える。だから、それを追ったらいけない」

「……それは、お兄様が居なくなると言う事ですか?」

「そんなワケないよ」


 ケロっと宣言するオレにアヤは、少し話の流れを理解できない様だった。


「オレはずっと居るよ。過去の事で死ぬとか消えるとかそんなに思い詰めてはいないからね」


 だから――


「アヤは『白鷺』で成長しなさい。折角、どんな空でも自由に飛び回れる翼をもらったんだから」


 決まったな……。“純粋”なアヤならこれは心にぶっ刺さるハズだ。これは完全にお兄様ムーヴで良い感じだろう。

 すると、アヤはオレの膝の上に仰向けに横たわってくる。うぉ!?


「なら……今だけ翼を休ませてください。『鳳』の……お兄様の側で」


 そう言ってアヤはオレを見上げると、目を閉じた。

 正直、滅茶苦茶……可愛い……。月明かり効果も相まって神秘しさえも感じる。もはや、神話生物だろ。

 程なくしてアヤは寝息立て始めた。


「…………寝ちゃうのね」


 そう言えば『里』では敬う人が多くてずっと気を張ってる感じだったのかもしれない。

 今は揺り籠変わりになってあげますか。






「トキ」

「どうした? じっ様」

「縁側で寝てる二人に毛布を持って行ってやれ」

「ほほ。じっ様は本当に孫世代には甘々じゃのぅ」

「やかましい」

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