第513話 これで終わってくれぇ……
ケンゴは鉄槌打ちで固定した手とは反対の手で、木刀を持つアヤの手首を掴む。
「――――」
それはケンゴからすれば木刀を自由にさせない為の何気ない行動。しかし、アヤは掴まれた瞬間に木刀の柄から手を離し、ケンゴの手首を逆に掴む。
それは『地崩し』の初動。互いに重心の探り会いが始まり、再び動きが停止した。互いの姿勢が少しでも動けば、瞬く間に『地崩し』が発動する局面へと入っている。
「……」
お兄様……貴方は本当にとてつもないお方です。この状態では『白鷺剣術』の技は何一つ使えません。
そして『古式』においてはアヤよりもお兄様の方が術理は深い。今も無防備にさらけているお兄様の重心は完全に擬態ですね?
こちらが技を先に出す事を誘っている。そして、お兄様もアヤの重心を探っているのでしょう?
僅か数手でこの盤面へ辿り着くなど……アヤには真似出来そうにありません。
故に……越えて見せます!
あー、やべぇ……どうしよ。
熊吉との大立ち回りを見ていたから、アヤに木刀を自由にさせたらマズイと思って持ち手の手首を掴んだ。
しかし、アヤは即座に木刀から手を離し、オレの手首を逆に掴んで来たのだ。それならそうと『地崩し』を狙うが……
なぁに、コレェ……全く重心がブレないんだけど……
アヤはまるで大木のように安定している。震度6が来ても片足で立ってられそうな安定感だ。正直、何故アヤが『地崩し』をしてこないのか意味がわからない。
ちょっとぉ、これどうするのよ! この状態から出せる『古式』は『地崩し』しかないのよ!? ソレが出来ないなら……アタシ! どうすればいいのよっ! また詰みじゃない!
思わずオネェになってしまう程に絶望的な状況なのだ。誰かタスケテ……タスケテ……タスケ……うむぅ。仕方ねぇ!
『地崩し』のせめぎ合いの最中、ケンゴは空いている手で木刀を握った。
それはケンゴにとっては悪あがき。しかし、単調すぎるその振りはアヤにとって深い思考を挟むに値する。
木刀を!? お兄様は剣術も嗜んで……そんな話しは聞いておりませんが……ハッ! そう言えば、お兄様はナイフの扱いに長けていらっしゃる。ならば……剣術もあり得る話です!
アヤはケンゴの手を離し、様子を見るために初動の太刀筋は後ろに下がってかわす。次の太刀筋は完璧に合わせて、木刀を――
しかし、ケンゴは木刀をアヤへ向かって投げた。
「!!?」
武器を手放す!? 一体何故……くっ!
アヤはケンゴの動向を読む前に飛来する木刀を処理しなければならない。
避ける。受け止める。避けつつ接近。
三つの内、アヤが選択したのは――
「――これで」
木刀を受け止め、自らの物とした。とにかく、ケンゴから眼を離さない事を重点に置いて立ち回ったのである。だが、
「なんと……」
ケンゴはアヤへ接近していた。身を低く屈めて組み付くサンボタックル。木刀で迎え討つには即座に呼吸が間に合わない。
「くっ……」
なんと言う事だ。お兄様はこちらの動きを常に封じ続けている。
『白鷺剣術』の剣技ではダメだ。恐らく全て読み切られているのでしょう。ならば……柔にて迎え討ちます!
アヤの選択は実に合理的だった。
柔術として達人の域にある者ならば10人中9人は彼女のように迎え討つ選択を取るだろう。映像を見ている者もそれが最善であるとアヤの行動を正解と見る。だが、
「いや……ダメだ、アヤ。それは組むな」
「外で別の格闘技を積んだか。よりにもよってサンボとはな」
圭介とジョージはかつて柔術にてサンボとの戦いの経験があるゆえにアヤの構えは間違いであると瞬時に気がついた。
ケンゴはタックルで低い位置からアヤへ腰を掴む様に組み付く。
「――!」
しかし、アヤの安定した重心を倒す事は不可能だった。後方へ滑るだけで倒れる様子はない。
なんつー、安定感だよ! こっちの使える手札は切った……結果は――
それでもケンゴはアヤを押す。悪足掻きにも見えるソレに体重差から壁際へ押されていく。
そんな中、アヤは腰にしがみつくケンゴの襟首を掴むと、勢いを利用しそのままに壁に向かって剥がす様に投げた。
体勢は入れ替わる様にケンゴが先に壁にぶつかる形へと変わる。
僅でも組み付きが緩めば腕を差し入れて更なる柔術に移れる。この瞬間、アヤの中ではケンゴを地面に投げる所までのシミュレートを完全に終えていた。だが、
「――――」
投げ……剥がせない!?
アヤが襟首を掴んだ所でケンゴは強制的に勢いを停止させた。変わった重心では成人男性一人分を投げるにはアヤの筋力では圧倒的に足りない。
「ああ、そうか。アヤはサンボとの戦闘経験が無いのか」
ケンゴからすれば綱渡りの様な賭けの連続。だが、場に出したこの
「! お兄――」
アヤは組み付いたケンゴによって身体を持ち上げられた。そして、強引に背中から地面に叩きつけられる。
「――ッ! アッ……」
背を突き抜ける衝撃。自分の体重+勢いの乗ったサンボの投げにアヤは受身さえも取る事が出来なかった。
「あんな事になるんか」
「……」
トキはアヤを投げたケンゴに感心し、ジョージはこの形は必然となったと悟る。
柔とサンボ。
この二つは“相手に組み付いて投げる事が主体の格闘技”と言う共通点が存在するが、その本質は大きく異なる。
主に柔らかい回転を意識して投げる柔術は老若男女の誰もが会得できるモノであるだろう。
対してサンボの投げはその力強さにある。組み付き無理やり倒す、または無理やり投げる。
曲線をイメージする柔術と違い、直線的な力の動きをイメージするサンボは、技ではなく力強さに重点を置いた、“剛の柔”であるのだ。
そして今回の対戦において、二人の体重と体格はケンゴが圧倒的に優り、無理やり持ち上げて投げると言うサンボ特有の“投げ”が見事にハマった。
直線的な投げは柔術と違い受身のタイミングがほぼ取れない。
もし、サンボとの戦闘経験があるのなら柔術を持って組み付くのは間違った選択肢だとすぐに気づいただろう。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
アヤは落下の衝撃から何とか呼吸を整えようと必死だった。彼女にとっては初めての経験だろう。まともに受身も取れずに地面に叩きつけられたのは。
「……ぜぇ……ぜぇ……」
同時にケンゴも緊張状態の綱渡りから息が切れていた。
もう立つなよ……アヤ。頼むから……これで終わってくれぇ……
膝に手を置いて、中腰で呼吸を整えるケンゴの目の前でアヤは仰向けの状態で眼を閉じると、一度大きく息を吸う。
「まぁ、圭介の娘ならここで負けは認めんか」
そして、ゆっくりと起き上がると再びケンゴの前に立った。投げた衝撃で外れた髪止が地面に落ちる。
「……お兄様……アヤは……まだ負けていません……」
弱々しく立ち上がるも、その瞳だけは先ほどよりも強い意思を宿していた。
こりゃあ……『白鷺健吾』の誕生かな……
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