第514話 彼と繋がる256人の縁

 アヤに対して使える手札は多くなかった。

 中でもサンボは一番有効な手段だったのだが……それを耐えてアヤは立ち上がる。

 天才で、努力家で、根性もあるって……アヤのスーパーガールっぷりに、お兄様はとても嬉しいですよ。

 なんて他人事で考えてる場合じゃねぇ! 何か……他に手を――


「……参ります」


 アヤが動く。ゆらりと感じた瞬間には、内側に入られていた。平然と無拍子を使って来ましたね。反応出来ませんよ。そして、手の平をオレの胸に乗せている。あ、これって古式の『空気打ち』――


「ふっ!」

「んが!」


 放たれる衝撃と同時に身体を僅かにズラして、ゼロレンジの『空気打ち』に耐える。

 アヤが狙ったのはオレの右肺だった。直撃でなかったものの、コッフ……と空気が口から出る。アヤの動きが――


「――――」


 速すぎる。アヤは余計な思考を捨てた様子で、そのままオレの手首と襟首を掴むと足を払って背負い投げに移る。

 だが、オレは咄嗟に和服の帯を掴んで投げられるのを阻止。しかし、アヤの動きは更に先へ行っていた。


「うげ!?」


 背負い投げが難しいと悟ると、彼女は全体重で背を押し付けて来たのだ。そして、アヤと外堀の壁に挟まれる形で激突する。

 結構な衝撃。しかし、オレは帯は離さない。背をとっている今の状況なら、呼吸さえ整えば再び投げ――


「お兄様」


 すると、アヤはいつの間にか帯をほどいてこちらへ向き直っていた。帯が無くなった事で崩れる着物は下着姿をさらけ出すも、アヤはそれさえも意に返さない。

 羞恥心など無いかのように向けてくる瞳は何よりも力強く、オレは動きを止めた。そして、オレの胸に手をゆっくりと添える。


「何度でも……アヤは立ち上がります。だから――」


 もう、一人にならなくて良いのです。そうアヤの瞳がそう言っていた。


 その瞳にオレは――――






 白鷺綾は“純粋”な娘だった。

 向かい合えばその者の内側を“純粋”な観点で察する事が出来る。

 そして、今ようやくケンゴの本心を垣間見る事が出来た。

 真っ黒。真っ暗ではなく、真っ黒なのだ。

 彼は深層心理下において、現実味のない存在として己を捉えており、ジョージの話した通りに自分を現実のモノとして認識していない。

 故に、その顔も真っ黒に消え、心は覗いた者を呑み込み、ケンゴ以外のナニかで構成させれている。


 大丈夫……アヤはお兄様の側に――


 アヤは更にケンゴの心に踏み込んだ。すると、見えたのは真っ暗な彼の背後に立つ、同じ様に顔が真っ黒な人だった。


「――――」


 それは一人や二人ではない。何十……何百と背後に佇むソレらは、大人から子供まで全てが真っ黒な顔でケンゴへ顔を向けていた。


「あ……」


 アヤは理解してしまった。

 ケンゴの持つ“本来の繋がり”とは、生きている人間たちとのモノではない。

 256人。ケンゴを除く『WATER DROP号』で消えた“彼ら”は全員が、生き残った彼の行く末をずっと見ているのだ。


 ソレをアヤは見てしまい、ケンゴに対して“純粋”な――


「ごめんな」


 ケンゴが明るい声をアヤにかけると、全ての闇が一気に消えて、優しい笑顔が向けられていた。

 アヤは、そこでケンゴに対して“恐怖”を抱いたのだと理解した。


「……なぜ……謝るのです?」

「お前の表情を見ればわかるよ。怖がらせたみたいだからさ」

「あ……あぁ……お兄様……ごめん……ごめんなさい……」


 アヤは崩れる様にその場に座り込むと、自らケンゴを突き放してしまった事を謝る様に涙を流した。


「いいんだ。オレを理解しようとしてくれて嬉しかったよ」


 ケンゴは後悔から涙を流すアヤを優しく撫でる。こうなる事はわかっていた。

 アヤは本当に純粋で誰よりも他人を知ろうとするから……一緒に居ればいつかはこうなっただろう。


「ばっ様。何かアヤに羽織る物を持ってきて」






 ケンゴとアヤの勝負は、アヤが戦闘不可になった事で自然とケンゴの勝ちとなった。

 見ている者の中で、何があったのか理解できた者は身内以外には居なかっただろう。


「全員、アヤは近い内に帰ってくる。この件はあまり掘り起こさない様にね」


 圭介は中継を切った後にそう言って場を解散し、門下生を鍛練へ戻す。


「……アヤでダメなら……誰が彼を救える?」


 もはやケンゴを救う手段は無いのだと圭介は感じていた。



「……全てから護っても……ケンゴと共に歩む者が居ないわ……」


 ミコトはアヤでは無理だった様子にもう彼が寄り添える相手は居ないのだと、配信を閉じた。



「……兄、アキ姉……二人はケンゴの側には居らんのか?」


 楓は23年前に里へ戻ってきた時からずっと闇を抱え続けている甥を前に、何も出来ない自分の無力差を改めて実感した。






「……」


 ジョージはトキが上着を羽織らせ、泣くアヤを必死に宥めるケンゴを見ていた。


「ケンゴ」

「なに? 今、アヤの方で忙しいんだけど」

「先に風呂に入れ」

「いや……まだ夕方だし……外に出るかもしれない――」

「いいから。風呂に入れ」


 少し穏和な声色のジョージにケンゴは、気にしなくていいからね、とアヤに言葉を残して母屋へ入って行った。


「アヤ、大丈夫か?」

「……トキお婆様……アヤは……」

「アヤ」


 ジョージの声にトキとアヤは視線を向ける。


「今後、ケンゴの過去に関わるな。お前は綺麗すぎる」

「……はい」


 やはり、家族ではケンゴの心に寄り添うのは不可能だ。強い信頼関係があればある程、ソレが消えた時が耐えられないのだろう。

 だから、絶対に過去を話そうとはせず、何かあればすぐに消える事が出来るように一定の距離を保っている。

 アイツが誰もが愛せないのは、己に実感が持てず、更に無意識にソレに怯えているからだ。


「……」


 もう家族間ではケンゴは救えない。なら……アイツが外で作った繋がりに頼るしかない。

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