第447話 おまたせ

 天月は七海を求めて母屋へ軽く駆けていた所に銃声を聞き、歩を早めた。

 すると、七海が襲われている様子に脊髄反射で刀を抜き、熊の尻へ投げ刺す。

 尻を襲った唐突な痛みに熊は身をよじらせ、天月は更に加速。その尻に刺さった刀を掴み抜き、振り返る熊の視線と入れ違う様に脇を抜けた。

 そして、七海を庇う様に巨熊を正面から見据える。






 2メートル近い熊を前にしても天月の様子は普段と変わらず、余裕さえ感じる佇まいだった。


「おまたせ、ケイさん。俺が来たからにはもう安心ですよ」


 走ってきたのか、軽く滴る汗が天月の爽やかさを際立たせ、ピンチを救った完璧なタイミングと微笑みは100%天然の笑顔。

 その様に10人中9人は恋に落ちるだろう。


「……まぁ……助かったよ」


 最低限のお礼を言う七海は残り1割の人間だった。それに未だにピンチを脱したとは言えない。


「新次郎! ケイとユウヒを逃がせ!」


 後ろで戦っているジョージの声。七海は彼が片腕を血に染めて力無く垂れている様子に致命傷を負ったと見る。


「ジョーさん! そっちは!?」

「こっちは退却の手がある! 目の前にヤツに集中しろ!!」

「OK」


 天月は目の前の熊に集中する様に刀を逆手に構える。

 ジョージと飛龍は熊吉ともう1頭の足止めに撤した。


「グガァ!」


 3頭目の熊が刀を持つ天月へ襲いかかる。七海はユウヒを抱えつつ、その脇を抜けるタイミングを図った。






「ケイさん」

「どうした? コエ」


 それは、3本勝負を終えた日の寝る前。コエは天月の事を七海に聞いた。


「新次郎さんってスポーツ選手だよね?」

「と言うか、天月家全体がそう言う事に特化した一族だな」

「そうなんだ」

「結構有名な話だぜ? 中でも当主である天月早雲は一代で警視庁の武術顧問に成り上がった、傑物だよ」


 早雲と同世代でもある師――シモンから当時の世代は凄まじかったと聞かされた。


「天月は昔から優秀な遺伝子を娶って、より質の高い子孫を選別して世代を繋いで来た一族だ。そんな長い年月の果てに台頭してきたのが今世紀の天月なんだよ」

「詳しいんだね」

「ほれ」


 七海はスマホで検索できる天月家に関する情報をコエに見せた。


「長男の方はヘビー級の絶対王者。それだけでもイカれてる強さだけどな。次男のヤツは特にヤバい」

「新次郎さんの事?」

「ヤロウは、国内には競い合うヤツが居ないからって、海外に単身移住してその国でオリンピック代表になって他の天月と戦おうとするヤツだ」

「……今の話はどこにも情報が無いけど?」

「アイツが勝手に寄って来て勝手に話すんだよ。全く……面倒なヤツだよホント」


 七海は心底うんざりするようにそう言った。






「まったくさぁ、君たち集まり過ぎだよ。他に予定無いの?」


 襲いかかる熊の脇を抜けながら天月は逆手の刀で斬りつける。


「バワァ!!」

「おっと」


 振り向く様に四足歩行で食らいかかる熊の牙を乗り上げる様に天月は避け、その背に刀を突き刺す。


「流石に刺さらないか」


 毛皮と飢餓状態の痩せた身体には刀による攻撃は効果が薄く、僅かに切っ先が刺さるに留まる。いや、そもそも――


「そう言う武器じゃないもんな」


 天月は暴れる熊の背から降りて改めて向き直った。

 刀は基本的には防御に秀でた武器だ。攻めに使うのであれば“筋”を通さねばならない。


「やれやれ。昔、親父に一度見せて貰ったヤツでもやってみるかね」


 天月は姿勢を正し刀を上段に構えると、ふー、と息を吐き集中力を高める。

 一方的に尻やら切りつけられている熊の怒りは最高値に達しており、狂った様に天月へ突進する。


「秘剣」


 天月は間合いに入る完璧なタイミングで刀を振り下ろす。

 熊はその瞬間だけ我に返った。その刀を受けると致命傷を負う。そう感じさせる野生の勘が強引に突進速度を減速させた。


 その結果、上段からの振り下ろしは空振りに終わり、天月は大きく隙を晒す。

 熊は立ち上がり巨大な影を作りつつ、天月へ食らいかかる。


「燕返し」


 その瞬間だった。高速に羽根上げた切り返しの一閃が熊の身体を斬りつける。


「ギャワ!!?」

「んー、やっぱり親父の言う通り長さが必要か」


 毛皮に阻まれた事と、長さの足りない刀身では浅く皮膚を斬るに止める。


 父親である天月早雲は有名過ぎる技故に、相手に致命傷を負わせるには三尺(約90センチ)は振り回せないと実戦では使えない、と判断していた。


「つまり、佐々木小次郎クンは最適解を振り回してたワケだ」


 怯んだ熊は再び四足歩行へ。図らずとも間合いに入ると斬られる事を理解したのか、少し距離を取った。


「悪いがここは通さないよ。何せ最愛の女性ひとが後ろには居るんでね」

「よっと」


 その時、七海はユウヒを抱えつつ戦いに集中する天月と熊の隙をついて横を抜けていた。


「先に行くぞ。お前も適当に切り上げろよ」


 そう言って七海は走っていく。その様を両雄は無言で眺めていたが天月は、ふっ、と笑う。


「流石ケイさん! ドライに俺を置き去りにする所も素敵だぁ!」

「ゴァァ!」


 熊は天月に襲いかかる。おっとっと、と天月はステップを踏んで余裕の動きで熊と入れ違った。


「ケイさーん。待ってくださいよー」


 天月は納刀しつつ七海の後を追い、その場をから離脱する。






 三人が逃げた様をジョージは確認すると再度叫ぶ。


「コエ!! 必ず迎えに行く!! それまで隠れてろ!!」


 動かない片腕ではコエを連れて三頭は突破出来ない。ジョージは冷静に場を見極めて最善の判断を下す。


「ゴガァァ!!」

「ゴルルル……」


 しかし、目の前の熊吉と鼻を斬られた熊はジョージと飛龍を逃がすつもりはなかった。


「飛龍! 先に行け!」


 主の指示に飛龍は先に駆ける。


「才蔵!」


 その時、丸い玉がその場へどこからか飛んで来ると、ちゅど! と煙幕を炸裂させる。


「ガァァァ!?」

「ゴルルァ!?」


 困惑する二頭はジョージを見失い、その隙を突いて彼も離脱する。


「グガァ!!」


 煙幕から抜けたジョージを、天月と相対した三頭目が襲いかかる。


「――――」


 しかし、ソレは不意にジョージが視界から消えた事で空振りに終わった。

 古式『間切り』。極端な緩急によって死角に回ったジョージを熊はロスト。視線をめぐらせると走るジョージの背が見える。

 まだ追い付ける距離。熊はその背を追う――


「笑止千万!」


 どこからともなくそんな声と共に横からクナイが飛んで来て、熊の眼に突き刺さった。


「グゴァァ!!?」

「才蔵! お前は大和達と母屋を見張れ!」

「承知!」


 ジョージと飛龍も死地から離脱に成功する。

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