第372話 あたしが一番多い

 眠る時間をずらすと、夜中にふと眼が冴える。身体を休める為に何度も寝起きを繰り返したあたしの眼は夜中に冴えてしまった。


「……12時半か」


 真っ暗な室内。効力の消えた冷えピタに違和感を覚えていると、横には母が布団を敷いて眠っていた。

 カレンさんは帰った様だ。代わりに母の健やかな寝息がすぐ隣で聞こえる。


「お帰りなさい。お母さん」


 眠っている母にそう言うと、リンちゃ~ん、もう一つ開けて良い~? とお酒を飲んでいる夢を見ている様子に微笑む。

 喉が渇いたので布団から起き上がると冷蔵庫を開けて何か飲み物を探す。


「ん? あはは」


 栄養ドリンクに“リンカ用”と書かれた付箋ふせんが貼られていた。多分、カレンさんだろう。あたしはそれを手に取ると蓋を開けて飲ませて貰う。


「ふー」


 まだ、熱はある。フワフワした感覚と身体の内側からの発熱に少しばかり暑い。しかし冴えた意識は、また布団に戻ると言う考えを少しだけ遠ざける。


「少しだけ――」


 あたしはサンダルを履いて、パジャマのまま部屋から出た。

 10月下旬の夜。夏の暑さが段々と収まる今期の夜風は、熱のある身体には心地よい涼しさを与えてくれる。

 部屋の正面にある柵にもたれかかる様に、その涼しさを堪能した。


「涼しい……」


 言うならば、お風呂から出た時に感じる温度差の心地良さに近い。解放感も相まって心身共に清々しさが駆け抜けるようだ。


「あれ? リンカちゃん?」


 その涼しさに気を取られていた為に丁度階段を上がってきた彼に気づかなかった。


 




「何とかなったか……」


 オレは資料を形にし終え、印刷は明日に回してギリギリ終電に乗ることが出来た。

 会社を出た時にふと見上げると、社長室と思われる最上階の部屋はまだ電気がついているのを確認。何となく、一礼してそのまま帰路へ。

 JRにガタンゴトンと揺られ、最寄駅の改札を抜け、余計な寄り道は避けてそのまま帰宅。

 最近、食パンにバターを塗って、チーズを乗せて、ケチャップをかけて焼いて食べる、雑飯にはまっている。栄養バランスを度外視したジャンクフードだが、旨いんだよなぁ、あれ。忙しい時や小腹が空いた時はもっぱらソレだ。


「今度はマヨネーズも追加してみるか……」


 食パンの可能性は無限大。スクランブルエッグにケチャップをかけて挟んで焼いて見るのも良いかもな。

 スーパーにタルタルソースが売ってるのも見かけたから、ツナマヨを作ってピザ風に焼くのもアリか。

 やっべ。腹減ってきたし、何かテンションも上がってきたぞ!


 夜中なので、アパートの階段は極力鳴らさない様に上がる。すると――


「あれ? リンカちゃん?」


 外廊下の柵に身体を預けて夜風に当たるお隣さんが居た。


「今帰りか?」

「まぁね。まさか……ずっと待ってたの?」

「そんなワケ無いだろ。ちょっと暑いから涼しんでただけだ」


 どうやら一人で動き回れる程度には回復した様だ。しかし、顔はまだ赤く、おでこには冷えピタ装備がデフォルトのご様子。油断は禁物である。


「気をつけてね。ぶり返すと結構キツイよ?」

「じゃあ、少し持ってってくれるか?」

「……え?」


 そう言うリンカは顔を赤くしたままこちらを見る。


「風邪。移すと治りが早くなるんだろ?」


 リンカはそう言うが、あまり知られてない事実をオレは彼女に説明する。


「リンカちゃん。実はね、あの移すと治るってのは迷信なんだ」

「そうなのか?」

「風邪を引いた人の隣に居たから風邪を引いた。発症力の高い病気ならそう言う事もあるけど、正常な状態で普通に治る風邪が移るってのはあんまり無いんだ」

「でも、結構そう言う話しは聞くぞ?」

「それは、たまたま免疫力が下がってる時に風邪を貰ったか、もともと風邪気味だった場合だよ。人って結構、知らない内に風邪気味だったりするからね。リンカちゃんも急に発症したでしょ?」


 そうなのか……、とリンカは少し考え込む。


「あんまり考えると知恵熱が出ちゃうよ? 風邪談議はまた今度にしよう」


 オレは良くなってきたリンカの体調を労り、部屋へ戻るように促す。風邪は油断すると長引くから、一気に治した方が良いのだ。


「夜も遅いし、身体が冷える前に部屋に戻った方が良いよ。折角、カレンさんとセナさんが看病してくれたんだからさ」


 リンカはオレ意外の他者を引き合いに出すと素直に従ってくれる。

 コレ、最近のリンカの生態を観察して学んだ事ね。まぁ……昔みたいに、おにーちゃん、って慕ってくれた時は素直だったけど。今は反抗期って事で受け入れておりますよ。ハイ。


「……あ、あのさ」

「ん?」


 オレは自分の部屋の鍵を開けるとリンカが意を決した様にこちらを見る。


「その……頭……」

「え? 頭に何かついてる?」

「え、いや……」


 なんだ? 何か言いたげな……むっ! まさかアレか? だが、アレは……再会初日で拒絶されたハズ。いや、しかし、あの時とは違って今はだいぶ関係は改善されている。つまり……イケる……か?


「やっぱり、何でもない。さっさと寝ろよ――」


 そう言って、自分の部屋の扉に手をかけたリンカの頭にオレは優しく手の平を乗せて撫でてあげた。

 昔から彼女が頭を撫でて欲しい時の反応は良く解ってる。これが今も機能しているかは未知数だが、これで合ってるハズ……合ってるよね?


「…………」


 リンカの動きが止まる。普段よりも高い彼女の体温が触れてみて良くわかった。

 すると、リンカは撫でるオレの手を触れるとこちらへ向き直る。その眼は、キッとして睨んでいた。アレェー?


「……リンカ様。通報は止めてください……」


 事案事項だ。手を掴まれてるし、逃げらんねぇ。地雷を踏んじまった。動いたら炸裂する。


「なら正直に答えろ」

「なんでしょう?」

「最近、あたし以外とキスしたか?」

「……………………」

「無言は最も罪深い肯定と見なす」

「しました……」

「何回?」

「……二回です」


 ショウコさんのツーキッス。

 事情を説明した時は、ショウコさんとの奇妙な冒険だけを話し、夜の事はしれっとかわしたと言うのにっ!


 するとリンカは病人とは思えない力で引っ張ってくる。思わずオレは前のめりになった所にリンカはキスをしてきた。


「――――」


 三秒もないマウストゥーマウス。オレは身体の機能を全て停止し、状況の把握の為にリソースを脳へフル投入する。


「これで、あたしが一番多い」


 リンカはそう言って顔を赤くしたまま笑うと、さっさと寝ろよ、と手を振って部屋へ戻って行った。


 オレは一時間くらい固まって居たがジャックがやってきて、何やってんだ? と猫パンチをした事でようやく動けた。

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