ニュース(人民網日本語版)に見る中国人と台湾客家(フォーカス台湾)
@MasatoHiraguri
第1話 中国人と台湾客家
2022年6月28日
V.1.1
平栗雅人
1.務本(むほん)の思想
中国人は枝葉末葉も大切にするが、その大元を常に見ている。
台湾客家のように、目先の利益ばかり追うというようなことはしない。
2. 歴史を大切にする
中国人は自分(たち)の歴史をしっかりと持っている。
台湾客家のように「日本統治時代」などという言葉で自分たちの過去をごまかさない。
彼ら客家が何かというと使用する「日本統治時代」という言葉は、
① 自分たちが日本人によって支配されていた、自分たちに主体性がなかった時代という、自らに対する反省をこめた言葉であり、自分たちは征服された被害者であったという慙愧と日本人に対する怨恨をこめた言葉なのか。
それとも、
② 日本人に支配(統治)されて、私たち客家は幸せだった、日本の皆さん、私たちを支配(ダムや道路を建設し、学問を教え、精神的に導いてくれた)してくれて有難う、という感謝の気持ちが込められた「日本統治時代」なのか。
台湾客家の口ぶりは、まるで台湾の歴史は「日本統治時代」から始まったような印象を与えるし、台湾フォーカスという台湾国営ニュース社の毎日の記事でも、「日本統治時代」の話ばかりだ。
しかし、中国人の場合(人民網日本語版)、○○省で発掘された何億年前の化石だとか、200万年前の中国人の住居跡の発掘といった話が非常に多い。
台湾だって、探せばそういう話(遺跡や歴史的遺構)はあるはずなのに、全く出てこない。故意に避けているかのようだ。
台湾客家たちは、「台湾の歴史は日本統治時代から始まった」のあって中国の支配下ではなかった、ということにしたいのであろうか。
3. 中国人は衆庶を大切にし、多様性を容認するお国柄
4. 雄大な発想と創造力
中国人の発想とは、その雄大な大自然がバックボーンになっているため、途方もなく大きい。台湾の自然が小さいということではなく、台湾客家には大自然を大自然としてありのままに受け入れる素養・素地がない(と、わたし平栗雅人は見る)。
ここが中国人と台湾客家との決定的な違いだ。間違いなく、台湾客家は中国人ではない。
中国人は大自然そのもの、一方で台湾客家とは、アメリカ的な作り物・マトリックス(虚構)の目で見ているから、大自然を見ても大自然と一体になれない。これはユダヤ人や韓国人と非常によく似ている特性の一つだ。
だから、中国人の発想は雄大であり、台湾客家のそれは、いかにも「せせこましい」。国土の大きさの違いではない、それぞれの国を支配する人間の「器量の差」である。
5. 徳の政治
○ 公明正大 → 第二次世界大戦以降は、すっかり世界の暴力団に成り下がってしまったアメリカに対しても、正々堂々と自分の主張ができる。
○ 台湾客家と異なり、政治に「道」がある。
V.2.1
2022年7月1日
平栗雅人
(続く)
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