1-4 聖女狩りの黒騎士  ……ペトリ

 血帯びた北風が平原を吹き抜ける。


 はためく黒竜旗の前に、一人の乙女が立つ。高位聖職者の純白の僧衣は煤に塗れ、白銀の儀礼用甲冑パレードアーマーにはうっすらと血痕が付着している。


 勝敗は決した。〈教会〉の戦略的要衝である信仰生存圏を巡る決戦──戦乙女たちの会戦──は、〈帝国〉の勝利で終わった。朝方から始まった戦闘は昼前にはほぼ決着し、夕方には追撃も完了した。戦場左翼を任された帝国軍第三軍団は、均衡を打ち破るとそのまま敵を圧倒。その嚆矢こうしとなった黒騎兵オールブラックスは、勢いのまま天使の錦旗になだれ込み、そして追撃戦ののち、教会軍の旗印となった〈教会七聖女〉の一人を捕らえることに成功した。


 天使の錦旗を取り囲む一万の帝国軍第三軍団に向かい、聖女が茨の兜を外し、剣を解く。教会軍の軍旗は掲げられているが、その横には白旗も掲げられている。

「我らの降伏の証をお渡しします。この戦いの勝者たる黒き吹雪の名に、慈悲を請います。どうか寛大なる心をもって、士卒らの生命の保護をお願いします」

 信仰生存圏の戦いで教会軍の旗印となった聖女が跪き、降伏の証として自らの剣を捧げる。

「慎んでお預かりします。あなた方の勇戦に敬意を表し、相応しき処遇を取り計らいましょう」

 ペトリは一礼し、聖女から剣を受け取った。戦場のときほどではないが、ペトリの手は震えていた。対して、剣を捧げる聖女の手が揺らぐことはなかった。

 降伏交渉の場に立ち会ったペトリは、一人の将として、彼女に尊敬の念を覚えた。

 対峙する第二聖女サラは立派な人物だった──最も懸命なる者──彼女自身が剣を取って戦ったわけではないし、軍を指揮したわけでもない。しかし、壊走する教会軍の中で殿軍を担った彼女の軍の戦いぶり、負けてなお俯かず降伏交渉の場に臨む姿勢は、その二つ名に恥じぬものだった。


「第二聖女サラ以下、教会軍第二聖女親衛隊二千名の降伏をここに受け入れます。この剣と我が名に誓い、第三軍団にてその生命を保護します」

 ペトリは第二聖女より受け取った剣を、上官であり第三軍団軍団長のマクシミリアン・ストロムブラード将軍に渡した。 

「よくやったなペトリ」

 敵軍の旗印から降伏の剣を受け取るという大役を果たし、ペトリは胸をなでおろした。ペトリの肩を叩く聖女狩りの黒騎士は、優しい声色で戦功を労ってくれた。その黒い瞳は、満面の笑みを浮かべていた。


 聖女狩りの黒騎士──かつて騎士殺しの黒騎士と呼ばれていたマクシミリアン・ストロムブラード将軍は、開戦初期、〈帝国〉に侵攻した教会遠征軍の旗印となった聖女を捕らえたことでその二つ名を賜った。

 当時、ストロムブラード将軍の部下であったペトリの兄は、一連の戦役で大功を立て、先帝より北風の騎士の名を賜った。しかし兄は生きて帰ってはこなかった。

 あれから十二年が過ぎた。ペトリは二十五歳に、妹のヴィヴィカは二十三歳になった。あの日、戦場へと出立する兄の背を見送った子供は、黒き吹雪の名を賜り、北風の騎士の名を受け継ぎ、それぞれに戦場で生きている。

 当時、黒騎兵オールブラックスの指揮官だったストロムブラード将軍も、今や五十二歳となった。もう初老と言える年齢であり、髪も髭もほとんど白くなっていた。とはいえ、未だ漆黒の胸甲騎兵の軍装に身を包むその黒い瞳は燃えていた。だからこそ、帝国軍主力五軍団で最も攻撃的と称される第三軍団とストロムブラード将軍は、再び聖女を捕らえるという大戦果を上げられたのだろうとペトリは思った。


 形式的な儀礼が終わったので、ペトリは場から退がった。ここからはストロムブラード将軍とその幕僚たち、そして第二聖女の軍を実際に指揮していた将官らとの実務的な交渉となる。


 去り際、ペトリに向かい第二聖女サラが会釈した。ペトリはぎこちない動きで会釈を返した。聖女の瞳は、深い悲しみに満ちながらも、温かな微笑みを浮かべているように見えた。


 そうして二人がそれぞれに背を向けたときだった。どこからか、火と火薬と油の臭いがした。

 ほんの些細な違和感にペトリが気付いたその瞬間だった。黒騎士が叫んだ。

「そいつを殺せ!」

 叫ぶと同時に、ストロムブラード将軍が燧石式拳銃フリントロック・ピストル革袋ホルスターから引き抜き、構える。

 火薬が激発する。放たれた弾丸が、第二聖女に近づこうとした一人の教会騎士の足を撃ち抜く。


 誰もが呆気に取られながら、銃弾の行方を見ていた。ストロムブラード将軍は構えていた拳銃を捨て、幕僚の拳銃を取ろうとしている。


 状況の飲み込めぬ、ほんの一瞬の空白──撃たれた男は地面に崩れ落ち、そして爆発した。


 爆風に煽られ、ペトリは尻もちをついた。

 幸い、すぐに起き上がることはできた。爆心地から離れていたこともあって無傷ではあった。ただ、しばらくは音が聞こえなかった。

 空白ののち、ゆっくりと、悲鳴と呻き声が増えていく。

 爆発した男のものか、燃える肉塊を中心に、辺りには血と肉と内臓が飛び散っていた。その周りには、焼け焦げ、無数の鉛玉にハチの巣にされた体がいくつか転がっていた。


「ふざけやがって! 危ねぇだろボケ!」

 どこからか、聞き慣れた罵声が響く。悲鳴と呻き声をかき消し、弟のミッコが降伏した敵兵に殴りかかる。手にしたウォーピックで兜ごと相手の頭を砕き、倒れる死体を蹴り飛ばし唾を吐き捨てる。

「ミッコ止めろ!」

 ペトリは飛び出し、弟の体を後ろから押さえつけた。

「殺すな! 彼らは捕虜だぞ!」

「あぁ!? 知るかそんなの!」

 暴れる弟を押さえつけることは困難だった。弟は兵士としては問題児だった。しかし戦士としてはペトリよりも優れていた。強き北風ノーサー最後の男子は、黒騎兵オールブラックスの中でも若くして最強と目されるほどだった。

 ただ、ペトリはこの傍若無人な弟が苦手だった。その凶暴さは死んだ父を思い起こさせた。誰も面倒を見る人間がいないので仕方なく部下としているが、本当は関わりたくなかった。


 混沌とした空気が渦巻く。取っ組み合いの兄弟喧嘩の頭上で、再び黒騎士の怒号が轟く。

「第三軍団! 今すぐ捕虜どもの身ぐるみを剥げ! 抵抗するなら将官だろうと従軍聖職者だろうと構わず殺せ! 俺が許す! ふざけたマネをしたらどうなるか、思い知らせろ!」

 黒騎士の号令とともに、暴力が再び場を支配する。

 慈悲を請う声を、抵抗する声を、命乞いの声を、殺意に満ちた暴力が等しく押さえつける。暴力は有無を言わさず装具を奪い取り、そして気まぐれに命を奪っていく。

 もう慈悲はなかった。ストロムブラード将軍の命令に従い動き始めた第三軍団の兵士たちに、一切の容赦はなかった。ただ、先ほどまで暴れていた弟のミッコだけは、命令するストロムブラード将軍を睨みつけながら後方へ去っていった。


 ペトリは群れをかき分け、第二聖女のもとに駆け寄った。第二聖女サラはいた。しかし後頭部から背中は焼け爛れ、頭髪は皮膚ごとめくれ上がり、顔面は血塗れになっていた。

 声をかけたが返事はなかった。ただ、その目はペトリに気付いていた。もがきながら、息もしていた。

 第二聖女サラは生きていた。ペトリは第三軍団の軍医を呼び、搬送させた。

「迂闊だった。よりにもよって爆殺かよ」

 第二聖女サラを見送るストロムブラード将軍の黒い兜には真新しい凹みがいくつかあった。ペトリは指摘したが、運が良かったと笑い飛ばされた。

「誰がこのようなことを……」

「教皇のユーロニモスか、元帥のロートリンゲンか。多分ユーロニモスの刺客だろうな」

「戦は終わったんですよ。それなのになぜ……」

「旗印にした聖女に降伏されると困るんだろ。身内の恥晒しになるだけじゃなく、〈教会七聖女〉の外交カードを奪われたことになる。だったら戦場にいるうちに始末して、正々堂々戦って勇敢に死にましたってことにした方が後腐れはない」

 それではまるで捨て石ではないか──ペトリは聖女の境遇とその末路に同情した。

「聖女を捕らえろって命令は一応遂行できたが、死体でも陛下は満足してくれるかな?」

 身ぐるみ剥され連行される教会軍の兵士たちを横目に、ストロムブラード将軍が笑う。

「さぁ、どうでしょうか……」

 まだ生きているが、その点を指摘する気にはなれなかった。

「死体でも使い道はありそうだけどな。十字架に磔にして飾るとか、投石器で教皇府の城内に飛ばすとか。問題は、あそこまで外傷が酷いのを敵が聖女として認識してくれるかどうかだけど」

 聞くも悍ましい所業の数々を想像し、ペトリは陰鬱な気分になった。ただ、想像力をかき立てる黒騎士は至って平然としていた。

「まぁ、オクセンシェルナならいい使い方を考えるだろ」

 ニヤリと笑う黒騎士の横顔を見て、ペトリは確信した──この戦争はまだ終わらない、と。

 戦いの前夜、〈帝国〉の皇帝クリスティーナ一世は言った。戦乙女たちの会戦に勝てば、十二年間続いた戦争は一週間で終わる、と。しかしこんな後味の悪い状況でどうやって戦争を終わらせるのか、ペトリには想像できなかった。


「次は教皇府だ。ここから先は先帝や〈東の覇王プレスター・ジョン〉ですら征服できなかった、偉大なる神の掃き溜めを進むことになる……。頑張ろうぜ、ペトリ」


 そう言って微笑む瞳の色を見て、ペトリはなぜか寒気を覚えた。


 南の地平線を眺めるマクシミリアン・ストロムブラード将軍の黒い瞳は、冬の終わりの夕陽に輝いていた。


 ペトリが死んだ兄のあとを追って帝国軍に仕官してから十年が経った。その間、共に数多の死線を越え、幾多の屍を築き上げながらも、黒騎士は何も変わっていなかった。黒騎士は老いてなお、騎士殺しは聖女狩りとなってなお、相も変わらず、戦争ごっこに興じる無邪気な子供のように、戦争という日常を楽しんでいるように見えた。

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