僕と「KAI」

永山まい

prologue

 「KAI」は人気者である。

 そう僕が確信したのは、今から半年前に遡る。

 **

 その日も、一番に問題を解き終えたのは僕であり、一番に教室を後にしたのも僕である。成績トップの園田美空を抜いて帰宅することは、この塾内ではとんでもない偉業であった。

 塾を出た後、ふとスマートフォンに目をやると「俺の家でゲーム中だけど、海斗も来る?」という文字が見えたが、木曜日に限っては決まって誘いに乗ることはない。「今日は無理そう」とだけ打つと「悪いな、俊太」と心の中で友人に懺悔したが、もはや習慣である。

 スマートフォンに午後六時二十分と表示されているのを見ると、僕は一層足を速めた。この一秒を争うスリルを味わうのは、毎週木曜日の醍醐味である。

 僕が英語を苦手科目から得意科目へと変化を遂げた要因は、紛れもなく「ラジオ」である。決して、「英語リスニング」がテーマのラジオではない。ごく一般的な、視聴者から届いたお便りを読み上げるスタイルのものだ。この毎週木曜日放送、「おかえり、ラジオショー」の熱狂的ファンである僕は、塾から早く帰る方法を考えた結果、解けた人から帰宅方式である英語の問題を一早く突破することであった。達成すためには、英語を予習する他ない。その結果絶対的王者であった、園田に勝利するほどになったのだ。

 自宅に到着すると、僕は脇目も振らずラジオカセットの元へと駆け付けた。今日もラジオ開始五分前には待機する優秀ぶりである。

 このラジオに心酔することになったのは、まだ僕が小学生だった五年前の夏、父が車で流しているのを聞き、何となく応募したお便りが採用されてしまったことが始まりである。

 気が付くと、時計の針は六時三十分を指していた。聴きなれたオープニングテーマ曲が自室に響き渡る。極力ボリュームを抑えるのは、隣室の姉に注意され、この至極の時間を邪魔されないようにするためだ。

 このラジオのパーソナリティーである、幸田玲也は若者を中心に絶大な支持を受けている。僕のお便りが採用された時点では、コアな地方ラジオであり、存在を殆ど知られていなかったが、幸田の視聴者のお悩みに真摯に向き合う人柄や聴いていて心地の良い声は多くの人々の心を掴んだ。一年もしないうちにその人気は爆発し、全国ラジオへと急成長した。

 手の届かない存在になってしまったようで寂しい気持ちはあったが、僕にとって幸田玲也は永遠の憧れであり、ファンであることに変わりはなかった。

「続いて、ラジオネーム『魔法の貯金箱』さん━」

 幸田の柔和な声は何度聴いても僕の胸を高鳴らせる。

 それから一時間、集中を切らさず、ラジオに食い入っていたが今日も僕のラジオネーム「KAI」が呼ばれることはなかった。最初にして奇跡の採用以来、僕のお便りは採用されていない。有名になってしまったことも間違いなく要因ではあるが、欲をかいてしまっている以上、もう読まれることはないのではと半ば諦め状態だ。

「へー、そのラジオまだ聴いてるの?」

 突然の呼びかけに慌てて振り返ると、そこにはジャージ姿の姉が眠そうな顔をしてこちらを見ていた。

「当たり前だろ。」

「今時ラジオ聴くなんて、中学生にしては珍しいじゃない?」

 そう吐き捨て、ラジオカセットを嘲笑うかのようにスマートフォンをいじりながらリビングへと姿を消した。

 確かに今時カセットでラジオを聞く中学生など絶滅危惧種に違いない。

 誰が何と言おうと、僕はカセットラジオを聴き続ける。

 そう高を括った翌週、僕は自室で崩れ落ちていた。


「突然の発表にはなってしまうのですが、『おかえり、ラジオショー』は来週の第二百八回を持ちまして、終了します。長らくのご愛顧をありがとうございました。」

 いつかの授業で耳にした、「青天の霹靂」とは正にこのことだろう。

 理解が追い付かず、ただただ呆然と幸田の言葉に耳を傾けることしかできない。

 どうやら彼は、「幸田玲也」個人としての活動に主力を注ぎ、今後は動画配信サービスやテレビなど手広く活躍したいからと、本人経っての希望だという。

 幸田だけは、このラジオに居続けてくれると信じ込んでいた。姉の言うように、結局僕は時代に取り残されているのかもしれないと思わざるを得なかった。


 **

「おかえり、ラジオショー」の衝撃的終幕から一カ月、僕は別人のように俊太とゲームに勤しんでいた。

 あれ以来、ラジオカセットすら見ていない。その日のうちに、クローゼットの奥へとしまい込んだのは、僕なりの反抗心であった。

 唯一の幼馴染である上田俊太は、僕を横目にゲームをしながら呑気にポテトチップスを口に放り込んでいる。

「最近遊んでくれるはいいけど、元気なくね?」

「元気がないから、遊んでるんだよ。」

「まあ、こっちにしたら好都合だけど。何かあった?」

 それから簡潔に事の経緯を話すと、俊太は顔顰めた。

「幸田玲也?その名前、最近どっかで聞いたような気がするんだよな・・・」

 僕は幸田玲也の存在は愚か、ラジオを聴いていることすら、家族以外に口外したことは一度もない。そのため、ラジオに全く興味がない俊太に聞き覚えがあることは妙であった。

 俊太は少しの間考え込むと、何かを思い出したように目を見開き、慌てた様子でスマートフォンをいじり始めた。

「分かった!これを見てみろ!」

 俊太が差し出したスマートフォンの画面には、はっきりと「幸田玲也」の文字が映し出されていた。

「『Moon』の配信者だ。最近流行ってるからちょくちょく見てたんだよ。」

 配信サービスアプリ『Moon』の存在は流行りに疎い僕でも認識している程の人気ぶりである。誰でも自由にラジオを配信することができるアプリである。

 幸田玲也は「配信者」として活動していたのだ。

 **

 家族が寝静まり、時計を見るなり、日を跨いだことを確認すると、僕はいつも通りマイクヘッドホンをつけパソコンを開いた。

 いくら家族が寝ているからといって、安心できないのは自室の間取りの悪さにあることは言うまでもない。姉の部屋が真隣りである以上は声を潜める他なかった。

 コメント欄がそれなりのスピード感で更新されているのを見ると、「KAI」の人気の成長を自覚せざるを得なかった。

 幸田玲也が配信者になったと知ったあの日、僕は視聴者ではなく、幸田と同じ「配信者」となった。そのきっかけは間違いなく、幸田に読まれた「最初で最後のお便り」にあるだろう。

「nono」、コメント欄にその名前を見つけ、口角が上がってしまうのを誰かに見られていないか不安になりながら、声色を整える。

「いらっしゃい、今日も来てくれてありがとう。」

 こんなセリフ、僕にはとても似合わない。少なくとも、「小野海斗」はこんな風に言わない。僕は僕でなく、「KAI」になっていた。

 「nono」は、始めたばかりの頃から皆勤賞を誇る数少ない熱烈なファンである。一時間配信して五人程度だった視聴者は、半年経過した今となってはフォロワー数五千人という一般人にしてはそれなりの人気者になっていた。そう、「小野海斗」とは対照的である。

 僕はずっと幸田のように声を届ける仕事に憧れを持っていたが、自分なんかにできるわけがないと思っていた。何か取り柄があるわけでもなく、学校では目立たない存在である。誰も僕に興味はないと思っていた、だけど、

「『KAI』さんの声って心地いいですね、安心する。」

 そんなコメントをくれたのが「nono」であった。彼女はいつも温かいコメントをしてくれる。アイコンである綺麗な空のように彼女の心は澄んでいるみたいだ。こんなことあってはならないと分かっていながら、彼女は数多くの視聴者の中でも特別な存在になっていた。

 僕は「KAI」になることで自信が持てるようになった。だけど、僕が「KAI」だなんて誰にもいえない。

 **

 もう急いで帰宅する必要が無くなってしまったからであろうか、僕はいつまで経っても英語の問題とにらめっこしていた。

華々しい一位抜けは嘘だったかのようになくなった。問題を解き終えた生徒の荷物をまとめる音が焦燥感を掻き立てる。

「それは、不定詞を使った問題ですよ。」

 優しくてか細い声がした方へ目をやると、そこには成績トップである園田美空の姿があった。秀才でありながら、品があり可憐な彼女に対して密かに想いを寄せる人は少なくないだろう。

「ありがとう・・」

 突然の声掛けに素っ気無い返事をするのが僕の限界であった。こんな時「KAI」であったら、何と返しただろうか。

「最近は用事がなくなったのですか?いつも血相変えて教室出てったけど」

 そう言ってくすりと笑う姿はどこか愛らしかった。

「まあ、そんなとこですかね。」

 答えにならぬ答えに嫌気がさす。そんな僕を他所に、彼女は何かを思い出したように目を輝かせた。

「そうだ、英語を勉強するのにオススメのアプリがあるんです。」

 リュックの中からスマートフォンを取り出し、こちらへと画面を向けた。

 差し出された画面を見て、言葉を失う。

 綺麗な空のアイコン、右端に映るプロフィールアイコンは「nono」と全く同じものであった。

 仮に園田さんが「nono」であったら、「KAI」の正体が僕であると知った時、失望させてしまうかもしれない。でも、まさか、こんな偶然があるのだろうか。

 あれこれと考え硬直する僕を園田さんは真っ直ぐに見つめていた。

「ごめんなさい。」

 今、なぜ園田さんが誤っているのか思考が追い付かない。

「私、小野君が「KAI」ってこと最初から知ってました。」

「なんで・・・」

 あまりの出来事に戸惑うことしかできなかった。そもそも園田さんとは、これまで交流をしたことはほとんどない。こうして話していることにも慣れない相手である。

「たまたま見ちゃったんです、小野君提出するプリントの裏に配信の事いろいろ書いてたでしょ?」

 プリントの裏、僕は授業中によく配信の詳細や案を走り書きする。小さく書いたため、誰かの目に留まることなど想像もしていなかった。

「何がともあれ、「KAI」みたいなやつが僕でがっかりだろ。」

「nono」とこうして会って話せているのは奇跡のようで、喜ぶべきなのかもしれない。だが、僕から絞り出されたのは謝罪の言葉であった。

「小野君だから、聴いてたんだよ。」

 やはり、園田さんの言葉には理解が追い付かない。

「それはどういう・・・?」

「小野君の声が好きだったから、配信に行ってたんだよ。隠しててごめんね。」

 彼女は今確かに、「KAI」ではなく「僕」に向かってそう告げた。

 僕の誰にも言えなかった想いは、静かに動きだそうとしていた。


 **

 Epilogue


「続いて、ラジオネーム『KAI』さんからのお便りです。おっ、この子は小学生みたいだね、小さい子がラジオ聴いてくれて有り難いなぁ。『こんにちは、僕は小学三年生です。お便りを送るのは初めてです。お父さんがいつもこのラジオを車の中で流しています。理由を聞くと、お母さんが好きだったラジオで、いつでも傍で聴いていられるようにと言っていました。お母さんは病気で一年前からいないです。このラジオは必ずお母さんに届いているとお父さんは言っていました。僕も、自分の声をお母さんに届けたいです。どうしたら幸田玲也さんみたいになれますか。』うん、「KAI」くんは、とても素敵な子だね。どうか、その気持ちを忘れないで欲しい。実は声を届けるお仕事は、ラジオ以外にもたくさん溢れているんだ。声優、アナウンサー、歌手とかね。でも、今は誰でも簡単に自分の声を届けるサービスに溢れているよ。ほんとにいい時代に生まれてきたと思う。その時代をうまく活用して「KAI」くんも、お母さんのように大切な人やいろんな人に声を届けてみると面白いんじゃないかな。そうだね、一緒に声を届けられる日が来るかもしれないと思って心待ちにしておくよ。大切な人の心に寄り添えるよう信じて。」

                      

 Fin.



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僕と「KAI」 永山まい @mainagayama-iu

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