第13話

「……っはぁ、はぁ……っ」


 元々体力のないランシェルにとって、全力疾走で地下通路までやってくるのは至難しなんの技だ。それに、昨日訪れた部屋に行ってみても、アレンは見つからなかった。

 一体どこに……。


「ーーーーせよ……っ!」

「!」


 今のはアレンの声だ。ランシェルは部屋から飛び出し、声のしたほうへ走り出す。


「ーー、ーーっ!」


 言い争う声が聞こえる。どうやらすでに、アレンの父も彼に気付いてしまったらしい。

 声を頼りに、とある部屋の前にたどり着くと、ランシェルは勢いよくその扉を押し開けた。

 バンッ!!

 突然の大きな音に、中に居た3人が同時に扉のほうを振り向く。アレンもこちらに気付いた。


「ランシェ!」

「アレン!」


 2人の声はほぼ同時に発せられた。

 アレンの体は、一人の男によって雁字搦がんじがらめにされていた。ランシェルはその男を睨む。


「あんた達、何してんだよ!」

「……おいおいまたかよ。勘弁してくれよ、ガーデュオさん。また目撃者が増えて……」


 アレンの父は、ガーデュオという名前らしい。ガーデュオは怒りを顕にした。


「うるっせーな!こいつらごと、売り飛ばしちまえば良いだろうが!」

「ふざけんなよ!アレンを離せっ!!」

「黙れ!こ……んのっ!クソガキがッ!!」


 アレンの元へ走り出すランシェルに、ガーデュオはその太い腕を振り回し、彼女をぎ払った。

 思ったよりも軽い彼女の体は、そのまま地面に打ち付けられ、衝撃で帽子が宙を舞う。

 ランシェルの細くて綺麗な長い髪があらわとなった。


「い……たた……」

「あ、お前……っ!」


 はっとしたランシェルが慌てて帽子を拾いに行くが、もう遅い。


「…………ランシェ……?」


 聞こえたのは、アレンの声だった。次に、商人の男が口を開く。


「あ、ガーデュオさん!俺、こいつ知ってますよ。こいつ、ユリテルド村の村長ですぜ!」

「ユリテルド村の村長だあ?村長はあの、シワだらけの爺じゃなかったか?」

「最近新しい村長に代わったって話ですぜ?きっとこいつ、俺達の事を取り締まりに来たに違いねー!」


 ランシェルはぐっと唇を噛んだ。

 この商人の男、一度会った事があるのか。

 ならば、これ以上隠す事は無意味に等しい。

 ランシェルはゆっくりと立ち上がった。


「おい、お前。……こいつの言ってる事は本当の事か?」


 ガーデュオは憤怒ふんぬの混じった瞳でランシェルを睨みつけた。彼女はごくりと唾を飲み込む。


「……そう……だよ」


 声が震える。緊張しているのか、怖さで震えているのか。たぶん両方だと自覚しながら、ランシェルはガーデュオを見つめ返した。


「私はユリテルド村の村長、ランシェル・ブランジェ。今、ブラウン王国を騒がせている人攫いの現状を調査するべく、ここに来ました。ガーデュオ、そしてそこの商人の方、……この件について、心当たりがおありでしょう?」


 商人が明らかに動揺の色をみせる。対するガーデュオは毅然きぜんとしたものだ。


「ふん……っ。そんなの、知るわけねーだろ」

「そ、そそそ、そーですよ!」


 ガーデュオの態度に圧され、商人も強気で言い返す。

 ランシェルは、どうしたものかと思案を巡らす。

 刹那。


「ーーじゃあ、この帳簿の説明はどうつけるつもり?」

「お、お前!いつの間に……」


 ガーデュオ達がランシェルに気を取られてる間に、アレンは自力で縄をほどくと、机に置いてあった帳簿を奪ってみせた。

 してやったり、といったような笑みを浮かべるアレンに、ランシェルはほっと息をつく。


「…………アレン、その帳簿を俺に返して、とっとと失せな」


 どすの利いたガーデュオの声に、アレンは笑みを消し、必死の形相ぎょうそうで父親に訴えかけた。


「父さん、こういうことはもう止めなよ!母さんだって、それで苦悩がたたって死んだんじゃないか!この酒場を建てた時、もうやらないって言ってたのに!」

「……るせーな。お前には関係のない事だ」


 アレン達のやり取りから、ガーデュオはここに来る前からこういう事を繰り返してきたようだ。

 一歩、アレンに近付くガーデュオに対し、アレンは帳簿を握り締めて一歩下がる。


「…………父さんがやめる気がないのなら、俺は、この帳簿を持ってブラウン王国に行く」

「……………………んだと?」


 ガーデュオの声は小さかった。対照的に拳は強く握られ、血管が浮き出していた。


「……いいからそれ、返しやがれ」

「…………嫌だっ」

「返せっつってんだろ、このクソガキがぁっっ!!」


 ガーデュオが拳を振り上げる。

 その瞬間、ランシェルは走り出していた。アレンに体当たりしながら転がり避け、標的のいなくなったガーデュオの拳が木製の箱を粉砕する。

 ランシェルが彼を睨んだ。だが、ガーデュオは妙に冷静になって彼女を見下ろす。


「あぁ、そういや、邪魔なお嬢ちゃんがもう一人居たな。……女は売り飛ばせば金になる。……死にたくなかったらそこ退けな、お嬢ちゃん」


 そう言いながら、ガーデュオは腰に下げていた剣のつかに手をかけ、ゆっくりとそれを引き抜いた。

 明らかに2人の表情が変わる。

 さすがは元々王宮で働いていた男の剣。しっかりと研ぎ澄まされている。あんなもので斬られたら、重症どころでは済むまい。

 ランシェルはアレンを庇うように前に出た。

 ガーデュオはそれを見て鼻で笑ってみせた。


「退けな、お嬢ちゃん。……ーー命は、惜しいだろ?」


 ぞくりと背中がざわついた。だが、ランシェルは先程よりも鋭く男を睨みつける。


「…………確かに、私は村長という立場を背負っている以上、簡単に死ぬ訳にはいかない。……でも、お前のような者に生かされてまで欲しいものでもない。私の命はくれてやるから、アレンと、今囚われている被害者達を解放しなさい」

「ランシェ……?」


 先程までとは打って変わって強気でガーデュオに命令するランシェルの姿は、村長としての威厳いげんともなっていた。だが、ガーデュオはそれでも冷静さを失わず、ゆっくりと剣を振り上げる。


「……へっ、そうかい……。んじゃ、お望み通り殺してやるよっ!!」

「父さん!!やめてっ!!」

「ーーーーーーっ」


 ガーデュオの剣が振り下ろされるのを見て、アレンはランシェルに向かって手を伸ばす。


 ……ダメだ……間に合わない……っ!


 しかしランシェルは、一度たりともガーデュオから目を逸らさなかった。


 ーーーー刹那。

 カキィィイインという金属がぶつかり合う音が響き、ガーデュオの剣が後方へ弾き飛ぶ。

 当のガーデュオや、アレン、ランシェルまでもが呆然とそれを見つめる。はっとしたランシェルが、自分の斜め前に視線を動かした。

 初めは黒い影にしか見えなかったものが、徐々にはっきりと見知った人物の形をかたどっていく。


「……………………リュウ」


 ぽつりと呟いたその声は、だがしっかりと彼の耳に届いた。

 リュウはランシェルを見て、あのいつもの、意地の悪い笑みを浮かべてみせる

 。

「……時間稼ぎが仕事だったわりに、意外と度胸あるじゃんか」

「……………………」


 ……そう言えば、そうだった。リュウに任されていたのは、時間を稼ぐ事だけ。

 それなのに、帳簿も探して、ガーデュオ達にも見つかって……。

 もしかしたら余計な事までしてしまったかもしれない。ランシェルは急に居たたまれない気持ちになって俯く。

 そんな彼女の頭に、細いがしっかりとした手が置かれる。


「ーーーーご苦労さま」

「……ーー」


 リュウの言葉に、ランシェルは気持ちがふっと軽くなった気がした。

 もう、終わり。もう大丈夫なのだと、彼の姿が言外に告げていた。


「……そんで?ガーデュオ……だっけ?あんた、俺が誰だか分かるよな?」


 確信を持った言い方だった。リュウがブラウン王国の王子であることなど、ガーデュオは知る由もないのに。

 だが、ランシェルがガーデュオのほうに視線を向けると、彼は信じられないといった感じの瞳でリュウを見つめていた。なぜここに、とその口が動く。

 後ろにいるアレンが息を飲むのが伝わってきた。


「ガーデュオ。お前は今、ブラウン王国で人攫いが多発している事を知っているか?」

「いや、知らん」

「んじゃ、向こうの部屋にいた子供達は?」

「あれは、今夜の客人だ」

「……ふぅーん。……じゃ、この帳簿は?」

「…………!!」


 そこで明らかにガーデュオの表情が変わった。

 あれはアレンが持っていたはず。いつの間に……。

 ペラペラと帳簿の中身を捲りながら、リュウは目だけを細める。


「……こんだけ詳しく人身売買の記録が書いてあれば、言い逃れは不可能だな。もっと上手く隠せないなら、こんな商売するもんじゃねぇよ」


 リュウはそこで言葉をやめ、ガーデュオを見る。彼の拳が妙に力が入っているのが確認出来た。


「…………金になるからと、貴族のお嬢さんを拐ったのがお前の運の尽きだ。それに、自国で人身売買は重罪になってるから、誰にも見つからず誰にも裁きを受けないこの場所に逃げて来たんだろ?」

「…………そこまでお見通しか。さすがだな」


 目の前に立つ男の圧倒的な存在感に、ガーデュオはふっと笑った。


「だが、だからこそお前らは、俺を捕らえられない。ここはその娘ですら俺を取り締まれない村なんだからな」

「……………………」


 何か前にもあったな、こんなやり取り。

 リュウは心の中で深いため息を溢すと、ランシェルのほうをそっとうかがった。

 その視線に気付いたランシェルがこちらを向く。


「この娘が?」

「そうだ!そいつはユリテルド村の村長らしいが、俺のこの行為を見ても俺を捕らえようとはしていない。……この村にそんな権限はないからだ!違うか!」

「……確かに。今までのユリテルド村にはこれといった法が全くなかったらしいからな」

「………………ふんッ」


 ガーデュオが鼻を鳴らす。リュウは頭をポリポリと掻いていたが、ふとその手を止め、下を向いてにやりと笑った。


「ーーーーでも、最近面白い話が入ってね」

「…………面白い話……?」


 ガーデュオはそれに興味を持ったようだ。リュウは彼に向かって一つ頷く。


「今までどの国とも契約を交わさず、どこの国にも属してこなかったユリテルド村の村長が、ブラウン王国と契約を結んだってな」

「なーー……に……?」


 よく聴こえなかった、とでも言うように呆然と呟くガーデュオに、リュウはもう一度それを繰り返した。


「ユリテルド村とブラウン王国が契約を結んだんだよ。つまり、ユリテルド村はブラウン王国の領土となったわけで、ユリテルド村にはブラウン王国の法が通用するようになった訳だ」


 つまり、自分達はガーデュオを捕らえ、その罪を罰する事が出来るのだと、リュウはガーデュオに示していた。

 もう、彼らに逃げ道はない。




『ーーじゃ、ここからが本番だ』

 ランシェルの脳裏に、先日のリュウの声が浮かんだ。

 あの日ユリテルド村で作戦会議をした時にこの話を言われた時は、とても戸惑った。なにせ、何十年にも渡って他の国のどことも契約しない中立の村をきずいてきたのだ。それを、ランシェルの代で終わらせて良いものなのかどうか、彼女は長い間考えた。

 リュウはその間、黙って待っててくれた。

 もしかしたら、今すぐに決める事ではないのかもしれない。でも、悩んでる間に、被害はこの村にも及ぶかもしれない。ゆえに決意したのだ。


 それぞれの国が、自国を守るのに必死になっているように。

 数多の貴族達が自分の地位や家族を守りたいのと同じように。

 ランシェルにとって一番守りたいものは、この、ユリテルド村の村人達の平穏へいおんなのだからーー。

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