第3話

 翌日、従者とランシェルはまだ日ののぼらないうちに森を出発した。ブラウン王国まではまだ距離がある。

 昼までには到着する心積こころづもりでいた。王家には、昨日の夕方頃には着くと連絡していた為、さぞ心配をかけてしまったことだろう。出来るだけ早く着いたほうが良いに違いない、と早々に出発したのである。

 森から王城までの道のりは何事もなく進んだ。


「ここで待て」


 予定通り昼前に城に到着した2人は、馬車から降りて門の中へ入る。従者は門番に、客人が到着したむねを王子に報告するよう言い渡す。すると、一人が足早に駆けていった。

 ランシェルが兵の訓練場に行きたいと告げると、もう一人の門番が、では王子にはそのように伝えておきますと言ってくれた。

 門番の好意に甘え、ランシェルは訓練場へと向かうべく辺りを見渡す。そんな彼女の様子を眺めていた従者が、後ろでため息を溢した。


「連れてってやるから大人しくしろ」

「……うっ……はい」


 今度もランシェルは大人しく従うしかない。そもそも、王城を訪れた事のない彼女が訓練場の場所を知らないのは言うまでもない。

 歩いている間、2人に会話は特になかった。お互いに無言のまま訓練場に到着する。


「よぉ。客人連れて来たぞー」


 リュウが扉を開けると、たった今訓練を終えたばかりなのか、汗をかいて休憩している兵士が大勢いた。その中で一番体格の良い男がリュウに向けて手を挙げる。


「おー、帰ってきたか。随分遅かったな」

「まぁ、色々あってな」

「そーかい。ま、任務ご苦労さん」

「あはは。どーも」


 親しげな2人の会話を聞いて、ランシェルははたと一つの考えに思い至った。

 そうか、この従者も一応は兵士のはず。いつもはここで仲間たちと汗水たらして訓練にいそしんでいるのかもしれない。先程まで頼りにしていた背中が、その男と一緒に居ると少し子供っぽく見えてしまうのが不思議だった。

 ランシェルは自然と肩の力が抜ける。そのまま何とはなしに部屋をぐるりと見渡すと、一人の青年の前でその視線が止まった。急にぱっと目を輝かせると、彼女はその人物の元へと駆けていく。

 青年はタオルで汗をぬぐっていたが、足音に気付いて横を向く。こちらに走ってくる人物を認識すると、青年は軽く目を見張って反射的に両手を広げていた。

 そこにランシェルがすっぽりと収まる。


「……………………ランシェル?」


 青年は不思議そうにその名を呼ぶ。呼ばれたランシェルは顔を上げてにこりと笑った。


「久しぶり!お兄ちゃん」

「あぁ。……いや、ていうか、何でお前がここに……」

「俺が連れて来たからだけど?第一王子の命令でな」


 青年は従者を見て、困ったような顔をする。


「フィル王子が、ですか……」

「そうそう。僕が招待したんだよ」

「フィル王子!」


 声のした方向に視線を向けると、そこには綺麗な金髪に金色の瞳の青年が立っていた。フィルと呼ばれた青年は、ランシェルの手をそっと取った。


「初めまして、ランシェル・ブランジェ様。私はブラウン王国第一王子、フィル・V・ブラウンと申します。お会い出来て光栄です」


 ランシェルの手の甲にフィルの唇が触れる。思わず見入ってしまうほど優雅な動作だった。

 フィルはランシェルに優しく微笑む。


「どうぞ、我が国の舞踏会、楽しんでいって下さいね」

「………………は、はい……」


 ランシェルは半ば呆然ぼうぜんと返事をする。

 フィルは、青年と従者の2人が苦虫を噛み潰したような顔で自分を見ている事に気付く。困ったように嘆息たんそくして、視線を青年に移した。


「……それはそうと、僕は君にこんな可愛らしい妹さんが居た事に驚いているよ」


 今度は青年が肩をすくめる。


「別に。聞かれなかったから答えなかっただけです」

「あ、それに私達、本当の兄妹では……」

「……え?」


 フィルがランシェルに視線を戻す。彼女はおずおずと続けた。


「えと、ケインお兄ちゃんは先代村長のお孫さんで、私は赤子の頃から父と一緒に村長の家にお世話になっていて……。そこに居たのが兄だけだったので、自然とそう呼ぶように……」

「なんだ。じゃあお前ら、血も繋がってねぇのか」

「リュウ」


 たしなめるような口調でフィルがリュウの名を呼ぶ。

 その視線を受けて、リュウは自嘲じちょう気味に笑った。


「まぁ、それに関しちゃ、俺らも似たようなもんだしな」


 フィルは、今度は何も言えずに口を閉ざす。ケインも、2人から視線を逸らした。

 一人だけ状況を読み込めないでいるランシェルは、3人それぞれに視線を投じ、首を傾げる。


「…………どういうこと、ですか?」


 問いをそのまま口に出すと、リュウと目が合った。いぶかる彼女に対し、彼はにやりと笑ってみせる。

 少しだけ驚いた顔をして、フィルはランシェルを見つめる。


「……もしかして、リュウの事ご存じありませんでしたか?」

「何を、ですか……?」


 ますます了見りょうけんめないランシェルだ。

 フィルは、隣で意地汚い笑みを浮かべるリュウを一瞥いちべつし、ランシェルに同情の視線をくれる。

 見れば、ケインも似たような表情をとっていたが、さすがに何も知らない妹が可哀想になったのか、そっと彼女に教えてやる。


「ランシェル。この人はな、こんな格好はしてるが、一応この国の第二王子」

「え………………へ!?」


 ひと呼吸分たっぷりと間が開いた後、ランシェルはすっ頓狂とんきょうな声を上げる。当の本人であるリュウは、フィルの隣で声を出して笑っていた。ランシェルはそれを見てムッとした表情になる。


「……最初から従者の格好なんてされてたら、王子だなんて誰も気付きませんよ」

「……だろうな。ま、俺は一生、王子の格好なんざする気もねぇし。ーー王子なんてなりたくもねぇよ」


 ランシェルは目を見開く。移動の間も意地悪な態度を見せていたリュウだったが、語尾に冷たさを感じたのは初めてだった。

 瞳の中に、怒りと悲しみが見え隠れした気がした。

 ランシェルは一つ頭を振ると、リュウに向かって爽やかな笑みを浮かべる。


「では、一生従者の格好でもされていては?お似合いですよ」


 皮肉たっぷりなランシェルの発言に、彼は一瞬ぽかんとしていたが、彼女の返答に満足したように、ニッと笑った。その笑みに、何だか恥ずかしくなったランシェルは、少しだけ頬を膨らませる。


「……笑わないで下さい」

「2人仲良いんだね~」

「そこでなごむのもやめてください」


 ニコニコと微笑むフィルに、ランシェルは余計に恥ずかしくなって声を荒げてしまう。だがフィルのほうは気にした様子はなく、ランシェルはため息をつく。


「……王子、そろそろ時間です」


 声を上げたのはケインだった。いつの間にやら服装を整え、腰に帯剣たいけんを差した彼は、フィルに声をかける。フィルは頷く事で応じ、ランシェルに一礼した。


「ーーランシェル様。私がお招きしておきながら大変恐縮なのですが、私は公務のため暫く城を離れなければなりません。その間はリュウがランシェル様の護衛をしますから、何かあれば彼にお申し付け下さい」

「……何で俺なんだよ」

「お前は一生従者なんだろ?だったら私の管轄かんかつだし、公務を果たすのが従者の役目だよ。自分の言葉に責任を持ちなさい」

「……てめぇ……」


 上手く丸め込まれたリュウが低くうなる。だがそんな彼の態度も軽く聞き流すと、ランシェルに向かって手を上下に動かす。呼ばれているのだと気付いて、ランシェルは素直に従った。次にフィルは自分の耳をとんとんと叩く。

 ランシェルは訝りながらも彼に耳を傾ける。すると、フィルは屈んで顔をランシェルの耳に近付けた。


「リュウは言葉遣いはキツいですが、意外と優しい奴です。安心して城でお過ごし下さいね」


 フィルの顔がランシェルから離れた。彼女はそのままフィルを見つめ、あわく微笑む。


「……私も、そう思います」


 何故か自信ありげにそう呟くランシェルに、フィルは笑顔になった。


「ーーではランシェル様。舞踏会の短い間ですが、ゆっくりとなさってください。それでは、私はこれで」


 お互いに一礼し、フィルはケインと共に馬車に乗って行ってしまう。よほど急ぎの公務なのか、2人は一度も後ろを振り返らなかった。

 彼らを見送るランシェル。刹那、急に頭上に重みが加わり、ランシェルは思わずつんのめりそうになる。それを何とか堪えて、彼女は首だけを上に向けた。

 リュウはランシェルの頭に両腕を乗せ、そこに自分の頭をさらに被せていた。

 従者として日々鍛練をし、剣の腕前も相当に高いと思われるのに、意外と細い腕だなと、その時ランシェルは思った。

 だが、もろに体重が掛かりやすいこの体勢の中では、その考えは一瞬にして何処かへ飛ぶ。わざとやっているのか、すごく、重い。


「…………重いんですけど」


 直球に文句もんくを告げてリュウの腕を振り払うと、彼は痛てー、とまたもわざとらしく片手を押さえた。しかし、その瞳に宿るのは、相変わらずの意地悪な笑みと、ほんの少しの温かな光。

 彼の考えている事はよく分からないが、それでも、ただの意地悪な人ではないと思う。

 ……よく分からないけど、そう思う。

 リュウはランシェルから振りほどかれた手を腰に当てると、こちらを見てきた。その堂々とした態度の中には、従者の格好で隠していても隠しきれない品格がある。まぎれもなく、この人は私達とは違う世界で生きてきた人なんだと思い知らされた。


「……で?これからのご予定は?」

「え?私が決めるんですか?」

「当たり前だろ。俺はお前の護衛だからな。決めるのはお前」


 城の敷地の外に出なければ自由にして良いと言われたので、ランシェルはうーんと頭を捻る。

 城の中を散策するのも良いし、王や王妃に挨拶も済ませたい。薬学の研究にも興味があるし、このまま兵士達の訓練を見学するのも捨てがたいな。……と、あれこれ思いを巡らせていたランシェルは、ふとしたようにリュウを見た。


「あ、あの」

「何?」

「舞踏会って……」

「……?」

「ダンスとか、……踊りますか?」

「そりゃ、舞踏会だからな」

「そ、そうですよね……」


 何を当然の事を、と言わんばかりのリュウの態度に、ランシェルはがくりと肩を落とす。

 そんな彼女を見て全てを察した彼は、城に目を向ける。

 顎に手を当ててしばらく思案した後、ランシェルに目線だけをくれた。そして、小馬鹿にしたようにふっと笑った。

 ……再び嫌な予感。

 ランシェルが若干および腰になっていると、リュウは顎をしゃくって城の離れを示す。


「ついてきな。良いとこに連れてってやるよ」

「…………?」


 ランシェルは眉を寄せたが、リュウはそれきり何も話さずに離れに向かって歩き出してしまう。彼女は少し戸惑いながらも、彼の後ろを追いかけていった。

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