第2話

 パチ……パチ……。

 ランシェルの目が覚めると、目の前にオレンジ色に光る炎が見えた。横に視線をずらすと、若い青年が木に寄りかかりながらこちらを見ていた。


「……起きたか?」

「………………」


 青年は、闇に呑まれてしまいそうなほど真っ黒な髪色をしていた。

 少し会話をすると、この青年が先程の従者だということが分かってきた。

 彼はずっとフードを被っていたので、顔まで認識することが出来なかったのだ。


「……あっ!」


 するとランシェルは突然、声を上げて辺りを見渡した。

 そして自分の足元に黄色い物を見つけると、ほっと息をつく。

 それを見て青年は訝しげに眉を寄せた。


「……それは?」

「これはヘテロの実です。王妃様に持っていって差し上げようと思って」

「ふぅん」


 ランシェルは、先程からの従者の態度に少しばかり違和感を覚えた。従者であるはずなのに、王家からの招待客に対して不躾ぶしつけではないか。

 だが、従者は本来王家に仕えているのだ。任務中とはいえ、非常事態。その元凶となったランシェルに対して少し冷たくなるのは当然かもしれない。

 見た目からしても、彼女より2、3歳程度年上であるようだし。

 ランシェルは細かい事は気にするのをやめて立ち上がった。


「……どこに行くんだよ、お前」

「え?あ、私、少し気絶してしまってたみたいですし、日が落ちる前に早く馬車に戻ったほうが良いかなと……」


 ちらっと従者のほうを見ると、青年は半ば不機嫌そうに自分の膝を指差した。


「これ」


 するとそこには、止血する為に布が巻き付いているのが確認出来た。かなり深い傷のようでんでしまったらしい。崖から落ちた時に、ランシェルをかばった際、下にあった木の枝で切れてしまったと推測出来る。


「お前のせいでこうなったんだぞ。そんな早く動ける訳ねーだろーが」

「あ……」


 ランシェルは従者に駆け寄ると、ヘテロの実を枝でくだいて傷口に塗り始めた。

 傷口が痛むのか、従者は時折眉を寄せながら、彼女の行動を眺めていた。


「……それ、王妃にやるんじゃねーの?」

「え?」


 従者の言葉に一瞬手が止まったが、すぐに笑って作業を再開した。


「気にしないで下さい。ヘテロの実は確かに貴重なものですけど、種は取り出したので、これを村に持ち帰って植えればまたえてきますから。王妃様へは、別のお薬を用意してあるので大丈夫です。それに今は、貴方の傷のほうが優先ですので」


 そう言うとランシェは従者を見上げる。すると従者もランシェルを見返してきた。

 従者の瞳は黒曜石を散りばめたような綺麗な黒だった。端整たんせいな顔立ちをしており、ランシェルは思わず見入ってしまう。


「……何?」


 不審に思った従者が声をかける。ランシェルは、はっとして首を振った。


「助けてくれてありがとう」


 突然の礼に一瞬驚いたような顔をしたが、その顔はすぐに意地の悪そうな笑みに変わる。


「どーいたしまして」

「ーーーー……」


 ランシェルは瞠目どうもくする。だが、従者はそれには気付かずに視線を下に落とした。


「とりあえず、出発するのは明日だ。どちらにしろ今日はもう遅い。食料も全部の中だし、腹が減る前にとっとと寝ろ」

「あ、……はい」


 ランシェルは大人しく目を閉じるが、寝る気になれずそっと瞳を開ける。すると従者は相変わらず森の奥を眺めていた。

 おそらく、自分達に危険がないか確認してくれているのだろう。

 ……何故だか分からないけれど、この従者の後ろ姿を見ると、妙に安心出来た。


「あ、あの」


 そっと呼び掛けると、従者は黙ってこちらを向いてきた。

 ランシェルは勇気を振り絞って口を開く。


「……貴方の、名前は……?」


 その質問に、従者はきょをつかれた顔をした後、しばらく考えるような素振りを見せた。その沈黙がランシェルにとっては長く感じて、もしかしたら、聞いてはいけない事だったのかもしれないと思い至った。しかしもう、取り消す事は出来ない。

 心臓の音を十ほど数えたあたりで、従者はゆっくりと口を開く。


「……リュウ」


 それだけ告げ、再び口を閉ざしてしまう。ランシェルは小さく呟いて、ふと空をあおいだ。

 そういえば、馬車の中にクリスが作ってくれたクッキーを置いてきてしまった。本来なら今頃王国に届いているだろうその食べ物は、きっとカチカチに固くなってしまっているに違いない。こんなことになるなら、馬車に置いてこなければ良かった。

 クリスの作るクッキーは、特殊な花の蜜を隠し味に使っているため、普通の調理法方で作ったものよりも格段に美味しい。

 甘くて香ばしい香りが思い出され、ランシェルの腹の虫が大きく鳴り響いた。


「……………………」


 従者が不思議そうに一つ瞬きする。

 ランシェルが恥ずかしくなって俯くのと、従者が吹き出すのは、ほぼ同時。


「くっ……、はははっ……。やべぇー」

「うぅ……」


 ランシェルはもはや、ぐぅの音も出ない。

 その間にも、従者はさも可笑おかしそうに笑いながら、目に溜まった涙をぬぐった。


「腹は正直だねぇー」

「う、うるさいっ」

「くくっ。ちょっと待ってな。仕方ねぇから、何か探してきてやるよ」


 そう言って立ち上がり、従者は森の奥に入り込んでいく。足を怪我してるのだから自分が行くとリュウに言ったのだが、俺が動いたほうが早いと一蹴いっしゅうされた。火の手もあるのでそこから動く事も出来ず、ランシェルは火の粉を見つめながら彼を大人しく待った。

 ……それにしても。


「……何であのタイミングで鳴るかなー……」


 少し自分の腹の空気の読めなさを呪いながら、ランシェルは深いため息をつく。

 ……リュウが戻ってくるまでそれほど時間はかからなかった。


「ほらよ」


 ぽとん、と自分の前に落ちてきたものに視線を移す。……オレンのだった。市場でも売られている需要の高い食材で、甘酸っぱさが人気の果物である。

 ユリテルド村で育ったランシェルには縁のないものだったが、幼い時に父がブラウン王国で買ってきてくれた事があり、その味は今でも思い出せる。

 ランシェルは何だか嬉しくなってオレンの実を一つかじる。

 懐かしい味に自然と笑みが溢れた。

 礼を言おうと顔を上げ、そのまま動けなくなった。

 リュウが何とも言えない、優しい笑みでこちらを見ているから。


「ーーーー……」


 ランシェルは胸がきゅっと締め付けられるような感覚がして、思わず俯く。彼はそれを見ていぶかしげな顔をしながらも、何も追及せずに別の事を口にした。


「食ったら今度こそ寝ろよー。また腹でも鳴ったら俺の仕事が増える」


 それを聞いたランシェルの顔がしぶくなる。


「……そんなに鳴りません」

「どーかねー」

「もう寝ます。おやすみなさい!」


 半ば不貞腐れ気味に体を横にすると、リュウが小さく笑ったのが分かった。

 ……まったく。優しいのか意地悪なのか良く分からない人だ。

 ランシェルは文句を心の中で並べながら瞳を閉じた。自分が思っていたよりも疲れていたのか、すぐに眠りの淵に落ちる。

 規則正しい寝息を立て始めた彼女を横目に見た彼は、周りを注意深く見渡した後、ようやくその瞼をゆっくりと降ろした。

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