図書委員の考察【天使憑きの実習生】
甚平
1話
「……ですからヤベ先生、緊張してしまって、ほんとうに申し訳ありません」
「ああ、大丈夫ですよ、それくらい。全然、なんてことなかったですから」
昼休みの職員室は、先生たちでごった返している。先生のバーゲンセールだ。こんなところには一秒だっていたくない、そもそも来たくない、と誰だって思うが、図書委員の当番という、押し付けられた役割によって来なければいけない日がある。
「ちょっと、その、えっと、テンシツキが出てしまって、授業の邪魔になったり」
教育実習で来たカナエ先生が、ペコペコと頭を下げていた。
テンシツキが出た?
テンシツキってなに?
テン・シツキ? 外国人?
担任のヤベ先生は、どうやらそれが分かるようだ。話しているのを見ていた私たちにカナエ先生は気づいたようで、少し困ったように眉を寄せる。その顔がリンゴのように赤い。
これは恋だな、と私は思う。教育実習先で始まる恋、お姉ちゃんの本棚にあるレディコミとかで見たやつだ。小学校の高学年こと5年生にもなった私はすぐに察し、一緒に来たソウタに耳打ちする。しかし返ってきたのは「いいから早く図書室のカギ取りに来ましたと言え」とつれない返事。幼稚園のころからの幼馴染だけど、いつも人の楽しみを台無しにするやつだった。正論を言うことが正しいことだと思ってるような男子なんだ。
「あ、次の授業の準備、行ってきますね」
私が聞く前に、カナエ先生は、そそくさと離れていった。そそ草というのがどんな草だと思うかソウタに聞くと、ソウタはヤベ先生に「図書室のカギをお借りします」と言って棚の方に歩いて行ってしまう。まあ、やつは暗い上に性格が悪く、一人が好きな変わり者だ。成績が良くてスポーツができて顔が多少整っていなければイジメられていただろう。私に。命拾いしたな。命って拾ったりできるものなのか知らないけど。
「どうした。アオイは、一緒に行かないのか?」
ソウタに無視されたことで立ち尽くしていると、ヤベ先生が声をかけてくれる。
「あ、はい、ええ……先生、カナエ先生と何を話していたんですか?」
「授業の話だよ」
「昼休みなのに?」
「ああ。周りよりも年が上で焦ってるようだし、カナエ先生は真面目だからね」
「へ~……テンシツキってなんですか?」
「なに?」
「テンシツキってなんですか?」
「なにが?」
「さっき話してたじゃないですか、カナエ先生が『テンシツキが出た』って」
「ああ、あれな……」
うん、とヤベ先生は頷いて続ける。
「テンシツキが出たんだよ」
「だから、テンシツキってなんですか」
「そうか、アオイは知らないか。知っててもおかしくはないんだが」
「知らないので教えてください」
「……俺が若いころは、辞書を持ち歩いて、知らない時はすぐ調べたりしたんだ」
「へえ~」
「どう思う、アオイ」
「テンシツキってなんだろうなって思ってますけど」
ヤベ先生は椅子に座ったまま、何度も頷いて唇を噛む。
「うん、だからな、調べることって大事だと思うんだよ」
「だから先生に聞いてるんですけど」
「いや、自分で調べることに価値がある。勉強っていうのはそういうものなんだ」
「分からないことがあったら、すぐに聞けっていつもヤベ先生が」
「例えば漢字を何度も書いて練習するだろ? 身に着けるっていうのは自分の努力が」
「テンシツキってなんですか?」
「アオイ!」
厳しい声を出して、先生は難しい顔を向けてくる。ちょっと怖い。
「は、はい」
「自分で調べるんだ」
そう言うと、ヤベ先生は椅子の向きを変えて、忙しそうにプリントを片づけたり机に広げたりしだした。あまり意味が無さそうだけど、これ以上会話はしませんというアピールだと受け取って、私は仕方なく「ありがとうございました」と言って職員室を後にした。
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