思い出の時間

空木創平

思い出の時間

 図書室内には窓を打つ雨の音だけが響いていた。図書委員である俺は、図書貸し出し受付の席に着き、文庫本を読んでいた。


 今は放課後で図書委員である俺以外に生徒は一人しかいなかった。その生徒は長い黒髪で眼鏡をかけた女子生徒で我が高校の数少ない図書室利用者の一人だった。彼女とは会話らしい会話はしたことがないが、図書の貸出対応で、名前と所属クラスは知っていた。二年B組の天崎透。


 彼女の特等席は入り口から一番遠い窓側の席。その席で、普段は読書や授業で出された課題をやっているようだった。しかし、今日はいつもとは違い、スマホを取り出し、操作する訳でもなく、凝視していた。


 俺は物語の世界に没頭していた。しかし、何やら先ほどから視線を感じる。文庫本へ顔を向けたまま、視線を少しだけ天崎の方へ向ける。すると、天崎がこちらをじっと睨みつけているような感じだった。俺はゆっくりと視線を文庫本へ戻した。なぜ、俺を睨んでいるのだろう、睨まれるようなことに思い当たる節がない。そもそも会話だってまともにしたことがないのだ。何もあるわけがない。考えていても仕方がないので、考えることを止めた。


「深海君、これどういう意味か分かる?」


 物語の世界に居た俺は、頭上からの突然の声に驚き、現実に引き戻された。いつの間にか、目の前には天崎がスマホの画面を俺の方に向けて立っていた。


「えっ?」

 

 自分が気づかない間に目のままで移動していたことにも驚いたが、天崎が図書の貸出・返却以外で話かけてきたことに驚いた。今までそんなこと一度もなかったからだ。


「これ、どういう意味か分かる?」


 さっきの俺の返答が、聞き取れなかったから発せられたものだと判断した天崎が、同じセリフを繰り返す。そういう意味じゃないんだけどなと思いつつ、向けられたスマホを見た。スマホの画面にはメールの本文が表示されていた。


       こ こ に

       2S2S5W

         わ た し の お も

         0+4+3W5S1S7S

     い お い て お

     1W1S1W4E1S

         き ま

         

       し た

       

     

     2W9+1W

         4


 平仮名の文章と謎の文字列が奇妙なバランスで並んでいた。メール本文の最後には数字の「4」が書かれており、最後の文字列の一行前は空白になっていた。どうやらこの文字列は暗号のようである。目線を上げると、天崎が鋭い視線を俺に向けていた。もしかして、天崎は俺に対して怒っている?直接言うのではなく暗号にして俺を試しているのか。そう考えると、さっき睨んでいたことの説明もつく。しかし、俺には彼女を怒らせるようなことをした覚えは全くない。こうなれば手段は一つ。


「天崎は何で怒ってるの?」


 俺は直接質問した。すると、天崎はスマホの画面を自分に向けて


「このメールにはそういう意味が込められているの?」


と言った。その応えは俺の質問の意図から外れたものだった。


「いや、そうじゃなくて……」


「えっ……、どういうこと?」


「えっと……」


 どういうこととはこちらのセリフだ。話が噛合っていない。


「メールの話じゃなくて、天崎自身が何で怒ってるのかって聞いたんだけど……」


「怒ってる?何に?」


「俺に?」


「なぜ?」


 天崎は何のことを言っているのかわからないという表情で首を傾げた。


「それを聞いたんだけど……って、一度話を整理しよう。天崎は何を俺に確認したかったの?」


「このメールに書かれている内容の意味だけど」


 三度目になる同じセリフ。


「あの、できればもう少し丁寧に説明してもらえると、ありがたいんだけど」


 そこで、天崎はハッとした表情になる。


「ご、ごめんなさい。話の過程を飛ばしてた」


 気が付いてくれて良かった。


 天崎がそのまま話を続けようとしたので、俺は近くの机の椅子に座るよう勧めた。


「ありがとう。では改めて、このメールについて、確認というか、お願いしたいことがあるの」


 天崎は視線をスマホに落とし、俯き加減で話し始めた。その様子から、どうやら俺に対して怒っているわけではなさそうだ。


「お願いしたいことって?」


「このメール、私の親友から送られてきたメールなんだけど、さっき見せたように暗号のようになっていて、何を伝えたいのかわからなかった。だから、深海君になら解けるかなと思って」


 ここで、俺の頭に疑問が二つ浮かんだ。


「ちょっと質問しても良い?」


 天崎は頷いた。


「暗号の解を考えるのは問題ないよ。でも、どうして俺に解けると思ったの?あと、その親友さんに直接何が言いたいのか聞くのが、一番手っ取り早い方法だと思うんだけど」


 質問の後、気のせいか一瞬だけ空気が変わったような気がした。


「深海君にお願いしようと思ったのは、いつもミステリーを読んでいるようだったから、単純に暗号解読とかが得意だと思って。あと、こっちの理由の方が大きいのだけど、私この学校に友達と呼べる人がいない。まともに会話したことがあるのは深海君くらいだったから」


「あっ……」


 天崎が話した内容に気まずさを感じ、咄嗟になんと返したら良いかわからなくなる。そして、再び疑問が浮かぶ。俺、天崎とちゃんとした会話したことあったっけ?もしかして、本の貸出対応のこと?


「もう一つの質問だけど、親友にはもう直接聞くことはできない。二か月前に亡くなってしまったから……」


 天崎の表情が曇る。


「あの……、ごめん」


 俺はそんな言葉しか吐き出すことができなかった。状況は想像よりも遥かに深刻らしい。


「いや、深海君が謝ることはないよ。急に押しかけているのはこっちだし、親友のことは話さないといけないことだったから」


 天崎は視線を下に落とし話を続けた。


「このメールはその親友が亡くなった日の前日の夜に送信されたものなの。その日の昼間、お見舞いで病院に行っていた。その時、とあることで喧嘩してしまったの。それで、メールがきていたことには気づいていたんだけど、無視してしまった……。次の日親友が亡くなったって聞いて、強く後悔した。こんな最後になるなんて思ってもいなかったから。同時に何が書かれているのか怖くてもうメールを開くことができなかった」


 天崎が視線を俺に向けた。


「楽しい思い出もたくさんあったはずなのに、最後の病室での出来事ばかりが蘇る。私たちの思い出の時間を進めるにはこのメールの内容を知ることしかないの。例えどんな内容だったとしても。だからお願いします。協力してください」


 天崎は深く頭を下げた。


 俺にこの話を断るつもりはなかった。ほとんど話をしたことがない(天崎基準では会話したことあるらしいが)俺に、ここまで事情を話してくれて、天崎の真剣さが伝わり、力になりたいと思ったからだ。それに何より、暗号はすでに解けている。


「それは、別に大丈夫だけど」


「本当!ありがとう」


 天崎が嬉しそうに微笑んだ。さっきまで鋭い視線で睨まれていたように感じていたから、その表情が新鮮に思えた。


「その前にもう一度確認するね。もしメールの内容がマイナスな内容だったとしても気持ちは変わらないんだね」


「うん。覚悟は決めてる」


「わかった。じゃあ、早速、暗号について説明するよ」


 その言葉に、天崎に驚きの表情が浮かぶ。


「説明するって、もうわかったの?」


「うん。最初に見せてもらったときにね」


 天崎のスマホを机の上に置いてもらう。


「まず目につくのは、平仮名の文と、数字、アルファベットの文字列。行の並びがバラバラになっている意図はよくわからないけど、最初三行の文の下に文字列があることがわかる。そして、最後の行だけ、平仮名の文が空白で、文字列だけが並んでいる。つまりこれは、平仮名と文字列がセットになっていて、最後の文字列を読み解くことができれば、天崎の親友の気持ちを知ることができるということ。あともう一つ、メール本文の最後、真ん中辺りに入力されている数字の『4』が気になるけど、これは後で説明する。とりあえず、ここまで大丈夫?」


 天崎が真剣な表情で頷く。


「じゃあ、次行くね。さっきも言ったとおり、上下の文と文字列はそれぞれ対応しているから、それらの間の法則を見つけ出せれば、文字列を文章として読むことができる。最初の三行が法則を見つけるヒントになっていて、頭に数字、その後ろに『+』の記号またはアルファベットがきていて、二つで一つの平仮名を表していることがわかる。加えて、使われている数字は0から9の十種類、数字の後ろにくる文字は『N』『S』『W』『E』のアルファベット四種類と『+』記号が一種類。これを今わかっている文章をヒントに数字十種類を日本語の子音として、アルファベットと記号を日本語の母音として五十音表に当てはめれば、暗号解読表が出来上がる」


「なるほど。じゃあ、それを作れば良いんだね」


「そうなんだけど、もっと簡単に解読できる方法もある。スマホを持っていれば」


「スマホ?」


「そう。数字を子音で表すのは良いとして、なぜ母音を表す文字がこれらなのか。母音を表す文字を縦から順に並べると『+』『W』『N』『E』『S』となりアルファベット順に並んでいる訳でもない」


「確かに」


 天崎が頷く。


「ということは、別に意味があるということ。ここでさっき保留にしていた数字の『4』が出てくる。これは数字の『4』ではない」


「どういうこと?」


「『4』単体で見ると気が付かないかもしれないが、『+』『W』『N』『E』『S』の文字と一緒だと見えてくると思うんだけど」


「……」


 天崎にはあまりピンとこないようだ。俺は話を続けた。


「この『4』は方角を表す記号を示している。そして、アルファベットの四文字はそれぞれ東西南北を英語にした時の頭文字をとっている。『+』の記号は中心だね。つまり、スマホの上側が北、下が南、左が西で、右が東を表している」


「それが、スマホとどう関係しているの?」


「文字のフリック入力だよ。スマホの文字入力キーボードの数字入力をかな入力に切り替えたときのキーの配置が対応している。例えば、『1』が『あ行』、『5』が『な行』みたいに。だから、数字で入力するキーを、アルファベットでフリックする方向を示していることになる」


 俺は、天崎に入力してみるように促した。


 天崎はゆっくりと自分のスマホを手に取り、文字を入力した。


「き、ら、い……」


 天崎がぽつりと呟き、スマホを机の上に置いた。


 これは俺に向けられた言葉ではない。さっきは俺への言葉と勘違いし、天崎が怒っているのかと思っていた。しかし、その言葉は天崎自身に向けられたものだった。

 覚悟していたとはいえ、堪えているに違いない。


 天崎が置いたスマホの画面が目に入る。さっきまで空欄だった行に「きらい」の三文字が並んでいた。そこでふと違和感を覚えた。暗号は解読できたはずなのに、何かが引っ掛かる。そもそも、天崎の親友はたったこの三文字を伝えるためにこんな回りくどいやり方をしたのだろうか。喧嘩の内容は聞いていないが仕返しなのか?天崎の様子を見ると、完全に機能停止しているようだった。


「あ、天崎……」


「……」


 無反応だ。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 聞こえていると信じて、話し続けた。


「親友さんとの喧嘩って何が原因だったの?」


「……」


「というのも、わざわざ謎解きが苦手な天崎に対して、送ったメッセージにしては中途半端というか。もし、喧嘩が原因で何か恨み言があるなら、もっときつい言葉とかもあるのにと思って。要は何が言いたいかというと、まだ何か伝えきれていない思いがあるんじゃないかと俺は思ってる」


 そこで、天崎が微かに反応した。


「メールを受信したのが、親友さんと喧嘩した日だったって言ってたから、もしかしたら何か関係があると思ったんだけど、もし、良かったら聞かせてくれない?」


「……お見舞いに行った帰り際に、話しておきたいことがあると三郷が言ったことが始まりだった」


 天崎が静かに話し始めた。三郷とは誰だと一瞬思ったが、すぐに天崎の親友のことだと気づいた。


「三郷は重苦しい、真剣な表情で話し始めた。その真剣さがこれで最後だからと言っている気がして、私には気持ち悪く感じた。だから、少し茶化してしまった。その空気を壊すために。そうしたら、三郷が怒ってしまって、私が一番言ってほしくない言葉を言った。『もう、話せるのは今日が最後かもしれない。伝えたいことは今伝える』と。それで、私もむきになってしまって、気弱な人間の話なんて聞きたくないと言って病室を飛び出してしまった。本当はお互い頭ではわかっていたのに。二人で過ごすことができる時間が、それほど長くはないことを。それでも、認めたくなかったの。認めた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れて、全てが終わってしまうような気がして……。でも、それは間違いだった。私の意志など関係なく、糸は突然切れてしまった。病室からの帰り道、何度も三郷から着信があった。私はすべて無視した。だから、三郷が私を嫌いになっていても何の不思議もない」


 話を終えた天崎の表情は暗い。


「話してくれて、ありがとう。今の話を聞いて思ったけど、やっぱり三郷さんが『きらい』を伝えるためだけに、あんなメールをしたとは思えない。天崎が病室を出た後に、電話してきたのも、きっと直接伝えたいことがあったからだ。何かメッセージを残せるようなもの心当たりはない?」


 天崎は考え込むようにスマホをじっと睨んでいた。それからゆっくり口を開いた。

「S、N、S……。私はやったことないけど、三郷はよく使っていた」


「それ、確認してみよう。三郷さんのSNSアカウントにログインできれば、何か残っているかもしれない」


「でも、IDはメールアドレスだからわかるけど、パスワードがわからない」


「パスワードならきっと、メールにあった『きらい』の文字列の方だと思う」


「わかった。試してみる」


 少しすると、天崎のスマホを見る目が見開かれた。


「ロ、ログインできた」


「何か残ってない?」


「未投稿のボイスメッセージが一件ある」


「そう。じゃあ、俺は廊下で待ってるから終わったら呼んで」


「うん。ありがとう」


 天崎が震える指で再生ボタンを押したところで、俺は図書室の扉を閉めた。

 


 図書室から泣きはらした目の天崎が出てきた。


「深海君。ありがとう」


 どうやら無事にメッセージは受け取れたようだ。


 メッセージの内容を聞くようなことはしなかったが、一つだけ気になっていたことを聞いた。


「どうして、パスワードが『きらい』だったの?」


「『こっちだって人の話を最後まで聞かない人は嫌い』だって。」


 天崎微笑みながら答えた。


「私が喧嘩の途中で病室飛び出したから、その続きだったみたい。でも、ちゃんと仲直りできたよ」


「そう、それはよかった」


 俺はボイスメッセージを聞いていない。だから、三郷さんがメールに書かれた方角記号が指すもう一つの気持ちを、天崎に伝えているかはわからない。今は気づいていなくても、思い出の時間が進めば、気づく日が来るかもしれない。


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