転生の聖女はモブで陰キャの死にたがりでした
椰子草 奈那史
一章 聖女の目覚めは囂しく
#1ー1 蹴破りますわよ(ルイーズサイド①)
磨き上げられた大理石の長い回廊は、朝の陽光を受けて眩い光を放っていました。
回廊を抜け、最も奥まったところにある細微なレリーフが施された純白の扉の前に辿り着くと、
「聖女様、お目覚めでございますか?」
扉の向こうからは何の答えもありません。
「聖女イングリッド様、ご起床の時間でございます」
私はもう一度ノックをした後、扉に張り付くように耳を当てました。
部屋の中からは微かにカサカサと衣擦れのような音が聞こえます。
「イングリッド様、暖炉もクローゼットも塞いでおりますのでどこへも隠れられませんわ。早くここをお開けくださいませ」
ですがそれに答える声はなく、部屋からは明らかに動揺したようなバタバタとした音だけが聞こえていました。
「蹴破りますわよ」
私が声のトーンを一段上げると不意に物音は静まり、少し遅れて内側から鍵を開ける音がしました。
扉が指三本分ほど開き、真っ暗な隙間から黒い大きな瞳が私を睨みつけます。
「まだ、寝てたい」
瞳の主――聖女イングリッド様は不機嫌そうに呟きました。
「なりませんわ。戒律で定められたお時間でございます」
「うっ、お腹が……お腹が痛い」
「ほほほ、祝福された聖女様ともあられる方がお戯れを。有り得ませんわ」
「とにかく、出たくないのっ――ふぐっ⁉」
イングリッド様が扉を閉めようとしますが、扉はピクリとも動きませんでした。
なぜなら私の靴が扉の隙間に差し込まれていたからです。
「いつの間に⁉ このっ、このっ!」
イングリッド様は扉を少しだけ大きく開くと、私の靴を挟むように二度、三度と打ちつけてきました。
「無駄でございます。このような事を想定して、靴には鉄板が仕込んでおりますので」
「ぐぅ……」
抵抗する無駄を悟られたのか、イングリッド様はドアから離れ暗闇の中へと消えました。
「それではお支度をさせていただきます」
扉を開け放ち真っ暗な部屋へ踏み込むと、私は閉ざされていた厚手のカーテンを順番に開いていきます。
大きな窓から陽光が差し込むたびに、イングリッド様は住処を追われる夜行生物のように部屋の中を逃げ惑いました。
「ほら、今日はとても気持ちのよい朝でございますわ」
振り返った私を、イングリッド様は頭から被った毛布の隙間から恨めしそうな眼差しで睨んでおいででした。
※※※
「こちらが本日のご朝食でございます」
テーブルに運ばれた品々を前に、聖女の白い装束に身を包んだイングリッド様がため息をつかれました。
「
「鹿のソテーと香草のサラダ、木の実とキノコのスープでございます。お気に召されないでしょうか」
イングリッド様が再びため息をつかれながら、小さく「マック食べたい」と呟かれました。
「『マック』とは、いかなるものでございますか?」
私の問にはお答えにならず、イングリッド様は緩慢な手つきで食事を始められました。
※※※
聖女様の身の回りのお世話は、通常は修道女が行うことが慣例とされてきたそうでございます。
ですがイングリッド様のあのご気性に、繊細なうら若き修道女達は三日と保たず次々と辞退してしまったと言うのです。
お困りになった教団の方々は、さる御方からの提案で私をお世話係としてお呼びになりました。
如何なる理由で私が選ばれたのかは存じませんが、おそらくはそのような方に耐性を持っているからと思われます。
私は十二歳の時に奇矯・変人で知られたある男爵家に奉公にあがり、その後六年間勤め上げてまいりました。
「お食事はもうお済みでございますか?」
私がお声をかけると、手が止まったままのイングリッド様が小さく頷かれました。
「まぁ、また香草を残されたのですか?」
「だって、それ臭いのよ。パクチーみたいな味がする」
「『パクチー』とはなんでございますか?」
「……なんでもない」
イングリッド様は時折不思議な単語や言葉を発せられます。
やはり聖女ともなられる方は、下々の者とは何かかけ離れた神秘の世界に身を置かれているのでしょうか。
【続く】
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