第30話

はじまってしまいましたが、慌ててはいけないのです



 「開拓村の村民たちの避難は完了しましたか?」


 「村民たちが牛や馬などの家畜を連れてゆきたいと言い張っていて、遅れています。」


 「男爵家で買い取るということはできないのでしょうか?」


 「申し訳ありません。そこまで余裕はなく、商業ギルドなどにも話を持ちかけましたが、開拓村の家畜は農耕馬や牛ですので、わざわざ買い取るまでの価値がないと言われました。」


 「いいじゃねぇか。冒険者たちにも手伝わせるように俺の方から伝達しておくから、街に連れてきてやれ。」


 「ジェラルド様。」


 「農民たちにすれば、家族であり財産だ。そう簡単に割り切れるもんじゃないだろう。それに籠城戦になっちまえば、非常食になる。」


 「意外にえげつないのう。じゃが、その通りじゃな。」


 ロリは腕を組んで頷いた。


 彼女たちは北大通の入り口にある市庁舎の最上階のフロアすべてを使ったエミリアの執務室に陣取り、作戦指揮所として情報の集約や命令を矢継ぎ早に出していた。


 大きな机にはエミリアがロリを出迎えた時に着用していた非正式の軍装を着用していた。


 彼女の前には大きなテーブルをつなげて、左側に領主の事務部門も取り仕切る家令のジェンセンと市役所の事務方トップである執政官が陣取り、ロートバルトの情報集約と避難指示を出していた。

 テーブルの右側は男爵家の軍事部門の長であるマムルクのサラディンと非公的軍事組織である冒険者ギルドのマスターのジェラルドがアニカやコッペリアが伝えてくる斥候や城壁で見張りをしている衛士たちの情報を取りまとめていた。


 エミリアのそばには、ロリとユズが控えて侍女やメイドが持ってくるお茶や軽食をつまみながらジェンセンやサラディン、ジェラルドの報告を聞き、相談し、裁可を行なっていた。


 「小鬼どもはどうじゃ?」


 「市壁の堡塁(ほうるい)からは見えないそうだが、斥候たちの情報では予想地点に集結をしているそうだ。」


 「集結となると小鬼(ゴブリン)を統べる高位の小鬼(ゴブリン)がまた出現したということですか?」


 「だろうな。奴らの中心部まではさすがに潜り込めないが大きな火が見えるそうだ。」


 「先月に王は倒したんだよね。また王が生まれたの?」


 「今回の『蝕」では小鬼の王(ゴブリン・キング)が数体確認されている。人と同じなのだよ、娘よ。それぞれの小鬼の国が争いより大きくなってゆくということだ。」


 サラディンの言葉にユズはうんざりした表情を見せた。


 「小鬼(ゴブリン)の帝国ってとこだね。」


 「だとすれば、今回の敵の長は小鬼の皇帝(ゴブリン・エンペラー)といったところですね。」


 「まったく、くだらないのじゃ。」


 遠くで鐘の音が響いた。


 その場にいたものたちが口を閉じ、外に目を向けた。


 「教会の終課の鐘の音ですね。」

 ホッとしたようにエミリアが口を開いた。


 そっと侍女が彼女の後ろに立った。


 「女主人(ミストレス) エミリア様。奥の間にお休みできるように用意してあります。」


 「アンナ、このような非常時に私が休むわけにはゆきません。」


 困った表情を浮かべた侍女のアンナは家令のジェンセンを見たが、彼は執政官とともに避難民の落ち着き先に関しての打ち合わせでアンナの手助けをできる余裕はなかった。


 「エミリア様、いざという時に眠かったり疲れたりして使い物にならなくなっては下々であるこっちが困るぜ。上に立つものは休む時にはちゃんと休む。それも仕事のうちだ。」


 「し、しかしジェラルド様。」


 「ジェラルドの言う通りじゃ。妾もそろそろ眠いのじゃ。付き合うのじゃ。」


 「うっ……はい、付き添わさせていただきます。」


 「ユズはもう少し大丈夫じゃろ?」


 「うん、まあね。二〜三日くらいなら寝なくても平気だから、安心して寝てていいよ。」


 「まあ、『青の部族』の方は違いますのですね。では、ユズ様、よろしくお願いいたします。」


 侍女のアンナとメイドたちに付き添われて下がるエミリアとロリに手を振って見送ったユズは空いたエミリアの席に腰を下ろして大きなあくびをした。 


 「適当なところで寝てもいい? 起きているのは大丈夫だけど、集中力が落ちて魔法に失敗してもシャレにならないでしょう。」


 「ああ、ユズちゃんは最後の切り札だからな。」


 「極大魔法を撃って、街を壊しちゃっても許してね。」


 「そん時は俺たちは瓦礫の下だぜ。」


 「ジェラルドさんとサラディンさんはきっと大丈夫だよ。」


 ユズは大きなあくびをもう一度見せて、アイテムボックスから黒糖のお菓子を出してぽりぽりとかじりはじめた。






 ロリとエミリアは渡り廊下を抜けて奥の男爵家別邸に入った。そこでメイドたちの手によって、入浴を済ませた。


 氷によって冷やされた甘いワインの炭酸水割りを飲み、塩を振ったナッツをつまんでいるうちに、精神的緊張と入浴後の体の火照りを冷ました二人は大きなベッドに二人で横になった。


 「誰かとともに寝るなんて、初めてです。」


 「妾もじゃな。旅路以外で友達と一緒に寝るなどなかったと思うぞ。」


 「あっ……申し訳ありません。」


 「なんじゃ? もしかして記憶のことを謝ったのか? ならば気にすることはないのじゃ。それよりも、妾がエミリアのことを友達と呼んだことの方を喜ぶのじゃ。」


 「あっ……はい……嬉しいです。こんなことがなければ、もっと喜んでいたのですが……」


 「であるか。ともかく、寝るのじゃ。明日も忙しいぞ」


 「はい。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る