やってはいけない

行季流伽

音楽室の噂

 僕の学校には、夜になると音楽室のピアノがひとりでにる、といううわさがある。

 もちろん、全校生徒が信じているわけじゃない。むしろ、こんな子供じみたうわさを信じているのは、ほんの一部だけだ。

 そう、例えば彼女のような。

「ツッチー! 見てみて!」

 バンッと大きな音を鳴らして開け放たれた扉の方を見ると、天然パーマ気味のツインテールを揺らしながら、メグが立っていた。

「扉は静かに開けろよ。で、どうした?」

 声をかける前から彼女はツカツカと部屋に入ってきて、僕の机の上へ勢いそのままに紙を一枚叩きつけた。

超常現象解決部ちょうじょうげんしょうかいけつぶに、初めてちゃんとした依頼が来たのよ。見て!」

 言われるがままに机に置かれた紙を覗き込むと、「夜中に学校のグランドピアノが勝手に鳴っていて、なんだか怖いです。超常現象解決部の皆さんで、もう二度と夜中にピアノがならないように解決してください。」と印刷されていた。

「へぇ、あのうわさになってるやつ?」

「ええそうよ。これまで何度か夜中に学校を探索したけれど、私は一度も聞いたことがないわ。それをこの子は聞いたって言うのよ。」

「夜中に学校に忍び込むのはダメだろ」

 校庭までしか入ってないわよ、と悪びれること無く言い放って、彼女は続ける。

「この世に非科学的なことなんてないって証明するために、そんな常識守っていられないわ」

「非科学はダメだけど、非常識ならいいってか」

 否定も肯定もせずに、メグは右手で自分のツインテールの毛先をくるくると遊ばせながら、話を続ける。

「お昼の間にある程度は現場を見ておきたいの。一緒についてきてよ」

「えっ、今日? 急すぎないか?」

 まさか、こんなに早く話が進むなんて思ってもいなかった。座ったままの体制で彼女を見上げると、さも当たり前かのような顔をしている。

「何言ってるのよ、ぜんは急げっていうでしょ」

「いや、これは善ではないでしょ」

「新入部員にとやかく言う権利なしっ!」

 言うと同時に、ビシリと伸ばした人差し指を突きつけられた。入部3日目の僕に発言権はないらしい。

「ほら、早く音楽室にいくの!」

「わかったわかった、ちょっと落ち着けよ」

 振り回されることに軽くため息をつきながら立ち上がると、僕らの様子を見て周りの人達がクスクスと笑っていた。


 僕が先頭に立って音楽室の扉を開けると、部屋の中には誰もいなかった。

「失礼しまーす」

 僕の脇をスルリとすり抜けて、メグは音楽室に入っていき、そのまま例の、夜中に鳴るピアノのところへ向かっていく。僕はあわててそれについていった。

 メグはグランドピアノの前で足を止めると、

「これが、問題のピアノね」

と言って、勢いよくグランドピアノの下を覗き込んだ。

「ほら、まずは話題になっているものの近くに何か仕掛けられてないかを確認するのよ」

 メグもスカートを履いているんだから、もう少しそのおてんばがどうにかならないものかなと呆れながら、僕はグランドピアノの中を覗く。

 30秒ほどじっくり観察したあとで、ここにはなにもなさそう、というメグのつぶやきが聞こえた。

「ピアノの中にも、何も無さそうだ」

 その呟きに応えて、僕もそう言った。

 それから、ピアノのあしの周り、ピアノの周りの床、音楽室内にある机や椅子、棚なんかの備品、の果てには天井も調べたけれど、そのなかに人工的にピアノが鳴るような仕掛けがほどこされていそうなものは見つからなかった。

「絶対、何かのトリックなのに……」

 メグは目をせながら、あごに手をあてて考え込んでいた。

「何も見つからないってことは、本物の怪奇現象なんじゃないの?」

「そんなことない!」

 いたずら心で少しだけおどけてみせると、想像以上に強い言葉でメグに否定されてしまった。

 その一言で部屋は静まり返り、僕たちの間には、間違えて嫌いな野菜を食べてしまったときのような気まずさが流れる。

 しまったな、と感じたので、雰囲気を元に戻すべく、気になっていたことを聞いてみる。

「メグは、どうしてそんなに怪奇現象かいきげんしょうを否定するんだ?」

 すると、メグは全人類がそう感じているのが当たり前だという表情でこう言うのだ。

「だって、理解できない現象が世の中に存在しているなんて、怖いじゃない」

 言い放たれたその意味をよくよく考えてみれば、つまりは正体がわからないような幽霊ゆうれいやお化けのたぐいが怖いと言っているわけで。あんなにおてんばなメグにも、女の子らしい可愛いところもあるんだな、と少し笑ってしまった。

「あっ、今笑ったな!」

 メグは少し目を吊り上げてこちらを見てくるけれど、彼女の内情ないじょうを知った今では、それは怖くもなんともない。

「ごめんごめん」

 笑い混じりの謝罪しゃざいなので、本気で謝っているように聞こえないのか、メグはまだ怒っているようだ。軽くほほふくらませたまま、またビシリと僕を人差し指で指し、

ばつとして、今日の夜、もう一度一緒に探索しに来ること」

そう僕にげた。

「ツッチーがいないと中に入れないんだから、絶対に来ること!」

 言うだけ言うと、僕の返事を待たずにメグはさっさと音楽室を出ていってしまう。

 メグの背中を見送って、ふぅ、と一息ついた後で、探索によって少しだけ乱れてしまっていた音楽室の中を整頓せいとんする。

 片付ける音が響く中で今日の夜のことを思うと、少しだけ憂鬱ゆううつだった。


 夜になって、綺麗な満月が空に浮かんでいた。

 夜用よるよう通用口つうようぐちから校庭に入ると、校舎の入り口近いところにメグの後ろ姿が見えた。

「どこから入ったんだ」

 声をかけると、メグは肩をビクリと一瞬いっしゅんふるわせてから、ゆっくりと後ろを振り返った。目が合うとあからさまにほっとしたように全身の力が抜け、そして慌てて表情と姿勢ををつくろった。

「校門をえたのよ」

「全員が出来て当たり前みたいに言うな」

 それ危ないから今後こんご絶対ぜったい禁止きんしな、と伝えると、メグは人差し指を突きつけるお決まりのポーズで、ひどいだの人でなしだの言ってきた。僕は当たり前のことを言っただけなのに。

 若干むっとしたので、次に校門乗り越えてるの見つけたら今後こういうのに付き合ってやらないとくぎを刺すと、メグは急に大人しくなった。

 2人で職員用しょくいんようの入口から校舎の中に入ると、非常灯ひじょうとうの灯りだけでうすぼんやりと照らされている廊下があった。

 メグは、さっと僕の後ろに隠れて息を飲む。僕が何も言わずに歩き出すと、そのまま後ろをついてきた。

 今は、二人分の足音だけが廊下に響いている。ピアノが鳴るどころか、他の人間がいる様子さえない。そんな状況のまま、とうとう問題の音楽室の前までやってきた。

「メグが開けるか?」

 肩越かたごしに視線を後ろにやると、メグはすごい勢いで首を横に振りながら、

「やだ、ツッチーが開けて」

と言って、僕の両肩をぐいっと押した。

 仕方がないのでそのまま進み出て、かぎを使って音楽室の扉を開ける。普段から扉を開ける時に鳴っている、ガラガラという音が、やけに大きく聞こえた気がした。

 メグが後ろから僕の背中を押すので、ゆっくりと音楽室に足を踏み入れた。ピアノの音は鳴っていないし、最後に片付けたときの光景と何ら変わりはない。

 僕の肩越しに中を覗き込んでいたメグは、何もいないことが確認できたのか、僕の前まで進み出た。そして、もう一度辺りを見回して、安心したかのように部屋の中央に向かって言い放つ。

「ほら、やっぱりなんにもないじゃない」

 そのとき。

 ポーン、という明るい音が部屋に響く。たった一音で、周りの空気が固まってしまったかのようにメグは動かない。

 もう一音、さっきとは違うポーンという音が鳴る。音が鳴っている方向にゆっくりと首を向けてみると、それは確かにあのグランドピアノから鳴っていた。けれど、そのピアノの前に座って音をかなでている人影は見えない。窓から入ってくる月明りが、まるでスポットライトのように座る人のいない椅子を照らしていた。

いや――――っ!!」

 突然、メグが甲高かんだかさけごえをあげて、僕の横を通り過ぎ、音楽室を出て行った。

 ああ、だから夜の学校には忍び込むなと言ったのに。

 僕の後ろからコツコツと誰かが歩いてくる音がしたので入り口の扉の方を振り返ると、そこにはケイさんが懐中電灯かいちゅうでんとうを持って歩いていた。こちらをライトで照らして僕の姿を確認すると、にこやかに微笑んでくれる。

「あっ、土田先生つちだせんせい。お疲れ様です」

「どうも、ケイさ……警備員けいびいんさん、お疲れ様です」

 あいさつを返すと、さっきはすごい声が響いてましたね、と話を続けた。

「聞いていらっしゃったんですか」

「聞くも何も、校舎中こうしゃじゅうひびいてましたよ」

「そうでしたか」

 ケイさんと会話をしながら、僕はピアノに近づき、グランドピアノの中に仕込んであったスピーカーを取り外した。

「それにしても、よくそんなわかりやすい仕掛けがバレませんでしたね」

「僕もここまで上手くいくなんて思っていなくてですね、驚いているんですよ。日中に、先に音楽室を調べたいと言われたときは、ヒヤッとしましたがね」

 だから、自分でグランドピアノの中を率先そっせんして調べた。メグが自分でピアノの中を調べると言い出さなくて良かったと思ったし、可愛い生徒にうそをつくことには少しだけ胸が痛んだ。

 ポケットからスマホを取り出して、スピーカーから鳴っていたピアノの音を止める。

「あの子、なんていう名前でしたっけ」

「ああ、メグ……目黒めぐろですよ、目黒奏美めぐろかなみ

「そうだそうだ、目黒さんだ。こんなに怖い思いをしたんだから、もう夜の校舎にしのむなんて危ない真似まねをしないでくれるといいんですけどね」

まったくもって、その通りです」

 ケイさんから相談をもらって、もう危ないことをさせないためにと考えた計画だったけれど、本当に彼女がこれでりてくれたかどうかは、もう少し様子を見てみないとわからないだろう。

 今日何度目かのため息が僕の口からこぼれていく。もう二度と、犯人役なんてごめんだった。

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