6 夏目漱石に問い詰めてやりたかった
「じゃあさ、この、胸の奥からこみ上げる、絶対曲げられない気持ちはなんだろう。僕は死ぬほど音楽が好きで、月下さんと逆風と先生と明とみんなでやりたくて、絶対、誰かに、譲りたくない。みんなと音楽をやれないなら、生きる意味なんてない」
胸が熱くなった。
あぁ、結晶くんも私と同じ気持ちなんだ。
「……わかんないけど、それは、絶対、幸せなことだよ」
私が念を込めて言うと、結晶くんは満面の笑みで笑った。
「そうだよね。やっぱりそうだよ」自己肯定する結晶くんを、痛いほどわかる。「やっぱ月下さんのこと好きだ」
「いぃ!?」
突然の告白だった。自分の耳を疑ってしまうほどだ。
ど、どういう意味だ。バンドメンバーとしてか、女友達として?
「やっぱ気づかなかったかー。月下さんから言い出したんだよ、初めて二人で練習から帰った日のこと」
結晶くんは闇の中で照っている半月を照らした。
「あの日に言った『月が綺麗だね』。正確にいえば「月が綺麗ですね」だけど
――夏目漱石が愛してるって言いたいけどいえなくて、ごまかした言葉なんだ」
え、あ、ああああああああああ?
頭の中が、闇鍋みたいにぐちゃぐちゃと混乱した。
そうだ、確かに結晶くんは言った。ほんとに、唐突に。
そして、何より、田舎に帰ったあの日、私も同じこと言った! 何の知識もなく! ただ意中の人に気持ちをぶつけたくて。でも誤魔化したくて。
逆風くんは知っていたのか、気づいたのか? 夏目漱石? 有名じゃん。昭和のお札で見かけたし。いやいや、私の気持ちはいいし。いまは結晶くんの返事だし――
「けど、振られちゃったなー、やっぱ」
「!?」
ダメだ、全然会話が追い付かない。これが学年主席を取った人の頭なのか。
「わ、私、何も言ってないよ!!!」
結晶くんはにやにやと笑う。
「君色イントロ。あれ、片想いの歌でしょ。誰に向けて歌っているかわかるよ」
澄ました顔の結晶くんを見て、もう一度アスファルトを見た。
やばい、いまの私の顔、地面より熱くなってる、自信ある。
「この前の練習で集まった時から、二人の雰囲気が違うって気づいたよ。先生も明も何も言わなかったけどさ、明らかに距離近いのわかったし」
「そ、そうだったかあ!?」
動揺して変な声がでた。
それを聞いて結晶くんが吹き出す。
「でもさ、いい曲だよ。振られたけど、いい曲」
なぜか振られたことを強調される!
「で、聴いてわかった。やっぱ月下さんと演奏したいんだ。月下さんの作る曲を支えたい。僕の演奏で、月下さんの曲を一層魅力的にしたい。そんな誉れ高い栄誉があることか」
自身満々に告げる結晶くんに、顔が熱くなった。
ある意味、好きの告白より強い感情だった。
「僕は月下さんに憧れた。音楽のセンスの高さも。その生き方も。ピアノっていう芸術に触れている人間として、恋人だったらどれだけ素敵なことだろうと思った。
けど、それは邪念なんだよね。君をいくら愛して、仮に愛されようと、君の才能は君だけの物なんだ。僕が月下さんに求めているものは、僕自身が手に入れなきゃいけない物なんだ」
全っ然! 話の筋が見えない!!!
私、マラソンは辛うじて才能あるかもしれないけど、音楽は全然だし。ギター下手だし。結晶くんのほうがよっぽど上手い。買いかぶりも買いかぶり。穴があったら入りたい。
私の混乱をよそに結晶くんは続ける。
「そして僕は絶対に月下さんになれない。だからせめて、月下さんを支えられる存在でありたい」
「私、結晶くんが思っているほど大した人間じゃ全然全然全然ないよ!」
結晶くんはこくんと頷く。
「うん。僕の自己満足だから気にしないで」
いや、人の話、聞いてないし!
また少し夜が暗くなる。
車のライトの明かりが増して、人工的な明かりが目に飛び込んでくる。
――私は、結晶くんに何かしたんだろうか。
わからない。ただ、私は、夏目漱石の恋愛文句も知らないバカな人間で、初めて好きっていわれた男の子に、何の返事もできず、ただただぼーっとしている間抜けな子だ。
「要するに、僕の失恋は最高の形で幕を閉じたってこと」
「は、はあ……」
結晶くんは腕を十字に伸ばした後、半月を見る。
「さて、すっきりしたし、明日からまた頑張ろうか。発表会の日、逆風をぶちのめしてやろうよ。僕たちなら絶対にやれる」
「え、ええ……あ、うん……。はい……」
戸惑いながら頷くほかない。
なんか告白されて、自己完結されて、勝手に終わったのだけど。私の立場は一体なんなのだろうか。いや、いいのか。私は逆風くんが好きだし。変に三角関係もなくバンドは円満に進むのだから。
だが、どうも癪に障る。
逆風くんもそうだけど、結晶くんも頭おかしい。
私の周りはこんなやつばっかなのか。
それとも、なんだ。
男子ってそういう生き物か!?
月が綺麗ですねといった夏目漱石に、小一時間問い詰めてやりたかった。
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