4
辰巳と別れた私は勢いあまって無心でギターを練習していた。
とにかく、いろんな感情を爆発させたかった。二リットルあった麦茶は気づけばなくなって、日が沈んで空が赤くなっていた。
そろそろ両親が仕事から帰ってくるだろう。
軽トラのエンジン音がした。お祖父ちゃんと一影が帰ってきたみたいだ。ギターをそっと横に置いたとき、ドタドタドタと、あのマイペースな一影が、家の中を走っていた。音は私に近づいてくる。こりゃ練習を止めないとな。
「みっふぃー、大変だぁ」
「どうしたんよ、珍しい」
「さっき駅に通りかかったら、知らない男の人いた」
「へぇー誰かの親戚?」
「ちがうよー。東京から来たんだってー!」
声が上ずっている。
知らんがな。ここにいる人たち全員が都会のことを東京と呼んでいる。
「それでー。誰に用があるんですかーって聞いたの」
「誰だったの?」
「みっふぃー」
い!? どう考えても学校関係の人じゃん。
暑いからめっちゃラフな格好なんだけど。白シャツだし、短パンだし。ぎりぎりスポブラつけてたけど、汗だくだし。
「どんな人なの。もしかして前髪で片目隠してる?」
「そうそう」
「それを早くいえ!」
まずい! もう一回シャワー浴びなきゃ!!
こんな格好はまず過ぎる。可愛くもなきゃ色気もない! 幻滅される!!!
私が腰を上げた矢先、
「練習中だったか?」
――立っていた。
誰よりも一番会いたくて、いまこの瞬間だけ、一番会いたくない人が。
「ちょちょちょ!!!! か、帰って!! あーいや、帰らないで!! てかお願いだから少しだけ私を見ないで――ってかなんで我が家に来てんの!!!!!」
もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「月下の弟が勝手に入っていいって言ったから」
「そうだけど、そうじゃねーし!!!」
思わず汗だくのシャツを腕でガードしながら、
「だだ、だって、昨日の電話で来なくていいって言って――」
「一応……。てか、月下、お前すごい汗臭いぞ。一回シャワー浴びろ」
「うっせーー!!!」
最初からそのつもりだったわ!! 本当に最低なやつ!!
そこからは嵐だった。
畑仕事から帰ってきたお父さんは、辰巳ではない男友達に気が動転して、食事ができるより早く日本酒を飲み始め、お母さんは学校生活を根掘り葉掘り聞き始める(逆風くんは空気を読んで、当たり障りのないことを報告した)。お祖父ちゃんは猟銃を自慢して、お祖母ちゃんは粉からそばを打った。
一影は、不思議と、いつもの三倍くらいぼーっと、私と逆風くんを見比べた。
何も考えずに来た逆風くんは、必然的に私の家で泊まることになり、その夜は遅くまで練習した。
日付が変わる頃、私と逆風くんは軒先に座って、練習の熱を冷ましていた。
脇にはスイカと麦茶が置いていて、暗闇の奥から聴こえる蛙や鈴の音に浸りながら、真っ白に輝く月を見ていた。
「聞いていた以上に何もないところだな……」
「だから来なくていいっていったのに……」
「でも、自然が豊かで綺麗だ。いい場所だな……」
右肩のすぐ横で逆風くんがいる。一〇センチも満たない距離、その狭い距離は空気を通じて彼の熱を感じる。少し指を伸せば、彼の指に触れられた。
その気持ちをぐっと我慢して、前髪で隠れた瞳に向いた。
「ねぇ……なんで来たの? 明日の朝出発するのに、忙しかったんじゃない?」
「天才ランナー月下美尋のルーツを探ろうと……」
「取材なら帰ってください」
冗談半分で笑うと、逆風くんもつられて笑った。そこから、今度は隠れていない右目を私に向ける。
「やっぱり、心配だった」胸がとくんと熱くなる。「俺が近くにいるときは、会えばどうにでもなると思ってる。でも、いないから」
「……なんでそんなこというかな」
嬉しさを誤魔化すように唇をとがらす。
ほんとはいますぐでも触れたかった。
でも、私と逆風くんの距離は、見上げる白い月くらいに遠い気がした。
「月下は泣き虫だから」
まっすぐ見つめられる。
顔が熱くて、思わず目を背ける。
もう直視できない。好きっていう自覚がある。優しくされたくなる。甘えたくなる。
心臓が、バクバクいってる。
「大丈夫だから……。逆風くんいなくても……平気だから……」
嘘だ。ほんとうはずっとそばにいてほしい。一緒にいるだけで幸福感に満ちる。
ううん、これも嘘。一緒にいるだけじゃ足りない。もっと、ぬくもりが欲しい。
「本当か?」
さっきからずっと見つめられてる。
熱い。どうしよう。声に、出したくなる。おもむろに、ぬるくなった麦茶を飲んで空を見上げる。
「…………月が、綺麗だね」
告げた途端、身体中が熱くなった。これが精一杯だった。
「ああ……」
逆風くんは、私と同じように麦茶を飲んで同じように空を見上げた。
勘のいい逆風くんは、私が誤魔化しているのを気づいているだろうか。怖い。やっぱり悟られたくない。もし恋をしているのがばれたら、私、もうそばにいられる自信ない。
「月下っていい名前だな」
「え? え?」
「こっちに来てよかった。バンド、頑張ろうな」
「うん!」
わからないけど、嬉しそうにいう逆風くんに嬉しくなった。
――やっぱり、もっと触れたいなんて欲張りだ。
私と逆風くんは音楽で繋がっていて、彼に打ち勝てなきゃ、受け入れてもらう資格はない。いま、恋っていう横道にそれたら、私自身が絶対納得しない。
天才が孤独であるなら、いまは一時の幸福を捨てて貪欲に才能を磨くべきだ。
私は、心の底から逆風くんに認めてもらいたい。
対等に平等に互いに競い合うことで、ようやく認め合うことができる。
今度は私が逆風くんを助ける。そのためにどんな努力も厭わない。
「みっふぃー。そろそろ寝るよー」
居間の古い時計が一二時を鳴らす頃に、一影が来た。
客室は残っているのだが、一影はなぜか逆風くんを同じ部屋で寝させたいらしい。
他人に無関心な一影が珍しいな。
「じゃあ、月下。また明日」
「うん。起きたら準備するね」
片づけをして私は自室に戻ると、練習の疲れかすぐに寝た。
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