赤い巨人とふたつの恋

三菅カムイ

第1話

 —— しまった。


 部活を終え、部室を出ようとしたそのとき、国語の教科書をロッカーに置いてきてしまったことに気がつく。

 明日までに提出すべき課題に必要だった。

 

 今日はツいてない。

 

 夕日で燃え上がるような校舎に駆け込むと、一直線に教室へ向かう。

 すると教室では、思いがけずジャージ姿のよく知った顔が帰る支度をしていた。

 彼女は僕に気がつくと、鞄に荷物を詰め込んでいた手を止め、その手をこちらに振ってくる。


 「あれ、木間きま じゃん。どうしたの?」

 「ちょっと忘れ物。どうやら今日はツいてないらしくてね」

 「へぇー。ほかにはどんな災難が?」


 ひとの不幸がちょっと面白かったのか、怪しげな笑みを浮かべながら彼女が聞いてくる。


 「廊下で滑って転ぶわ、国語の授業で二回も永田に当てられるわ」

 「前半はご愁傷様って感じだけど、後半は木間が永田先生の話を全然聞いてなかったからでしょ!」

 「ちょっと他のことを考えてただけだって。中学生だって色々あるんだよ」

 「ふーん。なら、しょうがないね。きっと赤い巨人の気まぐれだよ」


 —— 赤い巨人。その言葉自体、聞いたのはいつぶりだろう。


 「赤い巨人って、あの赤い巨人?」

 「そう、町の守り神のあの赤い巨人」 


 どこの田舎にもあるようなただの言い伝えの一つだ。

 山に住む気まぐれな赤い巨人は、この小さな町を見守りつつ、たまに小さな幸せを運んできたり、たまにどうしようもないいたずらを仕掛けたりしている、らしい。


 「はぁ、顔も知らないやつの暇つぶしに付き合わされる身にもなってほしいよ」

 「それもそうだね、ふふっ。きっと次はいいことあるよ!」

 「そういえば佐野こそなんで教室に?部活は?」

 「さっき終わったところ。汗かいちゃったからジャージに着替えてから帰ろうと思ってさ。急に木間が入ってきたからびっくりしたよ」

 「よかったよ、ぎりぎり明日からクラスでのあだ名が、のぞきま、にならなくて」

 「はははっ!それはそれでありかも?でもツいてたね。ほらっ、赤の巨人だってたまにはいいとこあるんだよ」

 「いやむしろ、そいつのせいで僕の中学校生活が平穏を失うところだったんだけど……」


 腰掛けた決して新しいとは言えない机が、僕らが笑うたびにぎしりと音を立てる。

 しばらくの間、お互いそんな調子で取り留めのない会話に夢中になっていた。


 ふと時計を見上げると、時刻は既に六時を回っている。


 もう少しこのまま話していたい気もしたけれど、僕らは暗くなる前に帰ることにして、教室を後にした。

 それに幸い、家の方角は同じだったので、もうしばらくはこの貴重な普通のひと時を味わっていられそうだ。



 「でさ、そしたら美久ちゃんがね。—— ねぇ!今、またひとの話聞いてなかったでしょ!」

 「聞いてるって。齋藤が川口に告って振られたって話でしょ?」

 「もう、そうだけど!そんなに四六時中、考えごとをしないといけないほど木間の人生は色々あるわけ?」 

 「いやぁ……ははっ」


 佐野の少し呆れたような笑顔を眺めながら、実際、考えごとのあまり半分ほど話を聞いていなかったことに心の中で謝罪した。


 こうして二人でゆっくり話すのはいつぶりだろう。


 同じクラスとはいえ、部活やらなんらでお互い忙しく、なかなか小学校の頃と同じようにはいかないものだ。


 「告白なんてこと、よくできるよほんと」

 「すごいよね!なんか憧れるなー」

 「告白されるのが?それとも、告白するのが?」

 「そりゃー、されるのも嬉しいけど、自分の思いをしっかり相手に伝えられるのって、なんかかっこいいといいますか」

 「そういうもんかな」

 「そういうもんだよ」


 後から思えば、この辺でやめて次の話題にでも移っておけばよかったのかもしれない。

 けれど、ずっと自分の中で気になっていたことについて、僕はどうやらはっきりさせておきたかったらしい。


 「だったら、誰かに告白でもすればいいじゃん」

 「えー、誰にさー?」

 「 そりゃあ、その……サッカー部のイケメン君とかさ……」

 「えー、なんでよー」


 佐野は僕の冗談を笑い飛ばすときのいつもの表情でそう言ったものの、それ以上は何も言わなかったし、僕も聞く勇気はなかった。


 「まあ、全ての人間がそんな勇気を持ってたら人生苦労しないよ」

 「……そうだね!」


 そうこうするうちに、神社の辺りまで来ていることに気がつく。

 もし、その入り口にそびえ立つ異様なほど背の高い鳥居がなければ、そこに神社が存在することなど気づかないほど鬱蒼とした木々が覆っていた。

 実のところ、僕はそれなりにこの場所が気に入っていたけれど、佐野との別れ道であるここが、今日ばかりは少し恨めしく思えた。


 「それじゃあ、また明日ね!」

 「うん、それじゃあ」



 家に着いて間もなく、結局、肝心なものを教室に置いてきたことに気がつく。完全に誰かさんに気を取られていたようだ。


 まったく、気分屋の守り神には困ったもんだ。と、一度は思ってみるものの、段々と、なんでもかんでも彼のせいにするのは申し訳ない気もしてくる。


だって、この件に関してだけは、悪いのはあのタイミングであの場所にいた佐野に違いないのだから。

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