2022年度 名大祭 リレー小説
名古屋大学文芸サークル
リレー1
暑さが少しつらくなったこの季節。私は有名大学の大学祭にやってきた。この大学では、文芸サークルがリレー小説を行っていた。私も参加できるらしく、筆を取ってみた。せっかくなので、「アヤメ」に関することを書こう。書き出しは、
私がアヤメになったところから始めよう。
私が「アヤメ」と周りから呼ばれ始めたのは、23才の夏だった。本名とは全く違うニックネームを友人の鈴木が突然に呼び初めた事がきっかけだった。アヤメと呼ばれ初めてからは、突然に金運がアップし、宝くじ1等に複数回当選するなどして数億円の資産を手にすることができたが、それが不幸の始まりだった。
「アヤメ」の尋常ではない金運に、周囲の誰もが気づいたが、私に対して露骨な妬みや下心を向けることは無かった。むしろ「アヤメ」の響きに不思議な力を感じたのか鈴木以外の知人、果ては知人の知人までもが私を「アヤメ」と呼ぶようになり、また他にも「アヤメ」と呼ばれる人がキャンパスに表れるようになったと風の噂で聞くようになった。
誰も私を元の名前で呼ばなくなり、数多の「アヤメ」の一人になった頃、一人の男が帰り道の私に声をかけた。「こんばんは、○○さん」数ヵ月振りに本名で呼ばれ魂消た私に、彼は続けた。「○○、美しい名前ですね。僕ならもっと大切にしてあげられる。」
それから私はその男とすごす時間を日が経つごとに増やしていった。男は私を「アヤメ」としてではなく本来の私として扱ってくれる唯一の人だった。周りが私のことをどれだけ「アヤメ」と呼ぼうと下心しかない汚い目で私を見ようと私にはこの男さえいればどうだってよかった。しかしどれだけ同じ時間をすごそうと彼は決して名前を教えてくれなかった。私はこの男にどこか死んだはずの兄「カケル」の面影を見ていたので勝手に「カケル」と呼ぶことにした。そんな彼との日常にどこか違和感を抱き始めたのは雪がふりはじめそうな季節だった。
初めはささいな変化だった。どこか顔に疲れが見えたり、食事の量が減ったりと、普段から過ごしていなければ分からない程度のもの。しかし途々に彼の様子は悪化していき、病院に行くよう私が本気で勧め始めたある日。彼が突如として姿を消した。残されたのは私宛ての一枚の手紙のみ。封を開けて中を読んだ私は思わず目を見開いた。
『○○へ。急にいなくなってしまってごめんね。実は、君にずっと隠していたことがあるんだ。僕は、本当は人間じゃない。花の精なんだ。君のお兄さんが大学でアヤメを育てていたことは覚えているかい。それが僕だ。彼は君一人を残してしまうことが心配で僕に託したんだ。君に幸福を与えてほしいと言って。だから僕は君の傍で生きてきた。君と過ごす毎日は本当に楽しかった。でも、今年の冬の寒さを僕は乗りこえられそうにない。ついにお別れだ。今までありがとう。さよなら』
最後の一文は視界がぼやけて読めなかった。私は家を飛び出した。向かうのは兄の大学。懐かしさのある研究室の扉を勢いよく開ければ、葉の色はあせて、今にも倒れそうになっているアヤメが一本鉢に植えられていた。私はそれを胸に抱えて叫んだ。
「いかないでよ! 私に幸せをくれるんでしょ! あなたがいなきゃ、私は幸せになんてなれない! 私を私として見てくれる人なんていなくなる! お願いだから、私とずっと生きていてよ!」
目からこぼれ落ちたしずくが一粒、しなびた緑の上に垂れた。瞬間。辺りが暖かい光で包まれていった。
「○○、もう書けた?」背後から彼がのぞき込んできた。私はうん、と返事をすると、紙をホワイトボードに貼りに行った。部屋を出て二人で歩く。彼の濃い紫色の服が目に鮮やかだ。
嘘かまことか、決めるのはこれを読むあなた次第。でもとりあえず、私は幸せだ。
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