宿探し

 帝国の雰囲気は王国や皇国とは全く異なっていた。どのようにして作ったのか想像できない高い高い建物。行き交う人々の数はとても両手じゃ数えられない。皆が慌ただしく動いていて相手がいないのに相槌を打っていたり話していたりする人も見られ、異様な光景だった。

 そんな中で一際目立っていたのがどんな高い建物より高く、大きく鏡で作られたのかと思うデザインの建物が奥の方に存在を示している。きっと、あれが皇帝の住まう城なのだろうとアーサは思う。あれを城と呼んでいいのか分からないけれど。


 アーサとゼオンは帝国の港に着いて、ここまで一緒に船に乗ってきた護衛とはお別れをした。あまり大人数で帝国をうろちょろとしていると目立って皇帝に見つかってしまう可能性が高くなってしまうからだ。もうバレている可能性だってあるのだが。

 護衛が帰る理由はもう一つあった。皇国もルウィトルが口にしていなかっただけでこれから大混乱に陥ってしまう。そんな中で皇王の座も不安定になっていくのに護衛が少ないとルウィトルの命まで危うくなってくる。大聖堂との衝突を少しでも抑えるために、ただでさえ味方の少ない皇王の近くに守る者が一人でも多くいなければいけないのだ。


 アーサはいきなり皇帝の前に現れるのは危険だと考えた。それによってエレノアにどんな被害を与えてしまうか分からない。だからといって待ちすぎても良くないのは確かだ。準備は入念に。それでいて迅速に終わらせなければいけないとゼオンと共に約束をした。


「まずは宿探しだな。野宿するわけにもいかねぇし」

「高級な場所は皇帝の手が近い可能性がある。この首都からできるだけ遠くに行こうか」


 アーサとゼオンは宿を探すため、この都会的な場所から離れるべく歩き出した。そのときに金だけは落とさないように気をつけて歩く。初体験のこの人混みで、お金が落ちてしまったり取られても気づかないと思ったからだ。

 しばらく歩いているとあんなに栄えていた帝国でも高い建物がなくなってきて、庶民が住んでいると考えられる二階建ての家やこじんまりとした建物や空へと煙をのぼらせる工場が多くなってきた。それでも人は多い。


「そういえば皇国へ身を潜めていたとき、お前とエレノアは夫婦としていたそうだね。皇王から聞いたときは思わず皇王の首を絞めそうになってしまったよ」


 今まで無言だったアーサは突然ゼオンに話しかけてきた。驚いたゼオンはアーサの方を向くと、アーサは心では笑っていない笑顔を向けていて、隠しきれていない殺意がピリピリとゼオンの肌を焼くように迫る。


「いや、それはエレノアが」

「エレノアのせいにするんだ? 情けない男だな」

「あ!? うっせぇな。姉弟とかだとバレるだろ。めんどくさいから他人でも一緒にいるって言える夫婦がやりやすいってなったんだよ」


 ゼオンはアーサから視線を外して怒ったように言う。何もないのになぜかゼオンの頬、そして耳までも真っ赤に染まってしまっている。


「ほお。そこは千歩譲っても、許せないけど何より二年近く一緒に住んでたっていうのが僕は、もう死んでしまいそうだ」


 アーサが項垂れて言うと殺意剥き出しの睨みでゼオンを見る。情緒は大丈夫かとゼオンは心配になる。だが、アーサは人差し指だけをゼオンの唇に当てた。ゼオンは怒りか照れか、顔を更に赤くさせてもごもごし出す。アーサの顔は至って真剣だ。


「エレノアにまさか──」

「出すわけねぇだろ腐れ外道が! 大体、お前があのとき森に兵を連れて来たからこうなったんだろ。自業自得だ」

「勘違いじゃないか。黒竜もお前もバカすぎる。バカな男に振り回されたエレノアが可哀想で仕方ない」


 ゼオンは「はあ?」と言いながら眉をしかめる。

 アーサが言うには何としてでも先王からは遠ざけたかったし、ルゼやゼオンの手にも渡って欲しくないから事情を何も知らない兵にルゼとゼオンを止める役目を与え、その隙に自分がエレノアをより安全な場所に匿おうとしていたらしい。

 そんなの、今までのアーサの言動や行動からは想像できないし勘違いをして当たり前だとゼオンは思った。これはアーサが悪いと。


「黒竜は僕も巻き添えにしてウラに行くし、ゼオンはエレノアと一緒に皇国に逃げて共に生活してるしさ。こんなはずじゃなかったんだけど」

「お前は今までエレノア相手に何やってたかちゃんと振り返って反省しろ」


 ゼオンはため息を吐いてそそくさと歩き出す。アーサは塔にいたときと同じように独り言をボツボツと言い、下を見ながら歩いていた。ゼオンはそれを鬱陶しく思っていた。

 二人でそうこう盛り上がっているうちに家がぽつぽつとしか建っていない人の気配を全く感じない田舎に来てしまった。ゼオンが前までいた村の方が人気ひとけがあった気がする。


「うわ、人いねぇじゃん」

「ほら、もうすぐだ。頑張って歩いて」


 アーサはさっきまでの態度はまるで演技だったかのように軽い足取りで整備されていない道を歩く。


「もうすぐって、目的地があったのかよ」

「いいや。先人の知恵さ」


 アーサは自分の頭を指さしながら言う。

 何言ってんだこいつ。と口では言わないものの顔に出したゼオンは仕方なくアーサの後をついていく。

 それから日が少し傾いた頃に正面の方から鼻に食欲を湧かせる匂いが届く。ゼオンは何があるのかとアーサより右側に移動して目の前を見ると今まで木造の家を見てこなかったのに全てが木でできた大きめのログハウスがそこにあった。開いた窓から煙が出ており、それがこの匂いの正体だと気づく。

 妖精が住んでいるような可愛らしい家に、ゼオンは目を奪われてそこに立ち尽くす。家に対して何か違和感を感じたのはなぜだか、そのときは気づけなかったが、とにかくこの家は異様なのだ。


「着いた。まだ住んでいて良かった」


 立っているゼオンを置いてアーサは家の方に歩き出す。ゼオンも慌てて、家の中に入ってしまったアーサの後を追いかけて家の中に入る。良い匂いがよりはっきりと全身を包み込んで食欲だけが脳を駆け巡った。


 家の中もほとんどが木でできたもので、机や椅子、棚や階段、机に置いてあるコップでさえ木製だ。木の温かみを感じて初めて来た他人の家なのにほっこりとしてしまう。

 ゼオンが家の中のありとあらゆる物を見るように視線をあちらこちらにやっていると奥の方から足音が聞こえた。

 女性のような長い深緑の髪を三つ編みにして黒縁の眼鏡をかけた長身の、恐らく男性が大きな木のスプーンを持ってこちらに歩いてきた。にこやかに笑いながらアーサを見ている。


「こんな辺鄙な所に誰かと思ったら白竜じゃないか。何百年ぶりかな。元気してた?」

「一回死んだが今は元気してる。そっちも変わってないようで」

「良かった。まあ僕らは顕現してから見た目は変わらないからね。それで、そっちの子供みたいに色々見てくれてる子は? どっかで拾ってきたの?」

「いや。……弟だよ」

「弟! 似てないねぇ。事情は、分かんないけど歓迎するよ。今ちょうどシチューを作っていたんだ。食べてくよね」


 アーサは頷くと、男性も嬉しそうに頷いて奥の方、キッチンへと戻っていった。広い部屋に二人きりだけになるとアーサは後ろを振り返ってゼオンの方を見る。


「一般人でも疲れるくらいの距離を歩いてるんだから、座れるときに座って休んでおいてよ」


 ゼオンは「ああ」と絞り出したような声で言いながらアーサの隣の椅子に座る。ちょうど良い高さだ。


「……なあ、あいつ何者だ? 数百年ぶりとか姿が変わんねぇとか言ってたけど」

「ああ、彼は──」


 アーサが説明しようとしたとき、二人の前の机に湯気の上がるシチューが置かれる。男性は二人の真向かいに座ると肘をつき、手を組んで嬉しそうに微笑む。


「僕はウル。幻の島、今はウラか。そこにある大きな木から顕現した妖精さ」


 ゼオンは開いた口が塞がらなかった。

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