幸せを願って
夏の痛くなるような日から逃げたいとき、エレノアは決まってルゼのいる洞窟へやって来る。夏の暑さが本格的になってきた今、こうして洞窟にいることの方が多くなっていた。
「ルゼは人間になるとかないの?」
エレノアの突然すぎる問いにルゼは声をあげて笑った。
「おとぎ話の読みすぎだ。竜は竜だ」
「そうなのね。確かに、ここ最近お母様の集めていた本を読んでいたからかもしれないわ。本当のことだと思っちゃった」
「昔いたある馬鹿は魔法で人間の姿に変わっていたけどな」
少し肩を落としかけていたエレノアだが、ルゼのその言葉を聞いて瞬く間に目を輝かせた。
「本当に!? すごいわ。魔法で人間にもなれるのね」
「妖精の最高峰でもある竜なら、そのくらいできる。が、魔力の消耗が激しいという点もある。ただでさえ魔力が少ない俺にはできない」
「なぜルゼは魔力が少ないの?」
エレノアは恐る恐るルゼに尋ねる。ルゼは少し迷っているように視線を動かした。
「馬鹿なことをした代償さ」
話してはくれたが詳しいことは何も言わない。きっと言いたくないことなのだろうとエレノアは思い、これ以上質問するのはやめた。
ルゼはいつもその昔というものに何か引っかかっているように感じる。一体、過去に何があったのか。エレノアは考えずにはいられなかった。
「どうせ本に書いてないか調べる気だろう。余計なことには首を突っ込まない方が良い。いずれ、知るときが来てしまうだろうから」
「あなたがそう言うなら、そうしとくわ。あなたの言う通り、城の書斎で何か文献がないか探そうと思ってしまっていたところだったのよ。今はまだ知らないでいておくわ」
エレノアがそう微笑んで言うと、ルゼも満足そうに息を吐いた。だが、ルゼはまだ諦めていないエレノアには気づけなかった。
「あ、そうだ。契約を結ぶと何かできるようになるって言ってたわよね。私は何ができるようになったの?」
ルゼはその言葉に大きく目を開けた。そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。ルゼは改めて歳をとっていくことの恐ろしさを感じた。もう、いくつになるのかも分からないほどに歳を無駄にとってしまったと。まるで呪いのように。
「さっきも言ったように竜は妖精だ。妖精は人間が使うことのできない魔法を自由自在に操っている。契約を結んだことで、その主も魔法が使えるようになる」
エレノアは目を輝かせる。魔法を使うというのは古来より、人がずっと憧れてきたものだったからだ。こうしておとぎ話となるほど。
魔法石が流通してからはそれを利用して魔法を使い、生活を豊かにしていた。しかしシェレビアが魔法、及び魔法石の使用禁止令を出したことにより人々は魔法を使うことができなくなった。それにより科学という新しい学問が発達してきている今日である。そんなこともあってか、人々の中での魔法は時代遅れ。憧れの対象ではなくなってしまったのだ。
それでもエレノアは魔法にずっと憧れていた。父の制限の元、いつもしょぼい魔法しか使うことができなかったエレノアは父が使う立派な魔法に憧れていた。
「ただし、その魔法も一概に全て使えるわけではない。まず一、契約を結んだ妖精の魔力だ。この魔力がどれほど強いか、どれほど多いかで使える魔法も異なる。そして主となる人間の魔力適性度も関わってくる。その人間に魔力を受け入れる器がどれほどか。それで魔力の強さだったり使える魔法だったりが変わる。俺の魔力は置いといて、お前の器を調べるとしよう」
そうルゼが言うと、ルゼはエレノアに一本の木の枝を取ってくるように言った。偶然にも池の真ん中にある木から落ちた枝が足元に落ちていたので、それを使うことにした。
器の計測方法。まずは、枝を軽く地面に刺す。それを両手で持つ。妖精が地面に少量の魔力を流し、だんだんと主が拒絶反応を起こすまで量を増やしていく。どこまで耐えられたかで器を計測するのだ。
やり方を教わったエレノアは早速枝を地面に刺して目を閉じ、両手で枝を握った。ルゼは爪を地面に刺して、少しずつ魔力を流す。
「まだいけるか?」
「ええ。何ともないわ」
ルゼは度々こうしてエレノアに確認しながら流す魔力の量を増やしていく。本来は確認する必要がないのだが、まだエレノアが幼いこともあってルゼは心配だった。
エレノアは魔力の量が増えても全く表情を変えなかった。ルゼも今、魔力が少ないとはいえ竜だ。竜の魔力は他の妖精と比べものにはならないくらい強力。まだ上限ではないが、普通の人間なら拒絶反応を起こすくらいではあった。
「大丈夫か?」
「うん。逆にルゼの魔力が体に流れるのが心地良いくらい。すごく、落ち着くわ」
ルゼは目を伏せながら何も言わずに魔力の量をまた増やす。もうだいぶ魔力を流している。魔力も強力なものとなってきているというのに、まだエレノアは限界を迎えなかった。
「うっ……」
ルゼはエレノアが顔を顰めた瞬間、魔力を流すのをやめた。エレノアはその場に崩れ落ちた。その額には汗が浮かび、荒い息を吐いている。
心配をしたルゼであったがそれと同じくらい驚いていた。まさか、エレノアがこんなにも魔力を受け入れる器の持ち主であるとは思いもしなかった。人間は、もう器すら持たないはずなのに。
「そこの水を飲むと良い。体に害はない。むしろ安全だろう」
ルゼは明らかに顔の色が悪いエレノアにそう声かけた。エレノアはふらふらになりながらも冷たい水を飲む。疲れていた体が嘘のようにみるみる回復していく。荒れた息を整えて、またルゼの方へ振り向いた。
「私、魔法使える?」
「あ、ああ。人間にしておくにはもったいないほどの器を持っているくらいだ。魔法を使える。何がしたい。国滅ぼしか? それとも」
エレノアは楽しそうに話すルゼに向かって手を振った。国滅ぼしはしないと、父と約束しているから。
「そ、そんな物騒なことしないわ。あれはできるかしら」
エレノアはルゼを連れて両親の墓がある草原にやって来た。森の奥、傾斜になっていない平らな草原のさらに奥の方に墓が三つある。エレノアの両親の墓と従者たちの墓だ。
ルゼはなぜここに自分を連れてきたのか謎だった。
「まさか、死者を蘇らせようと? それはやめた方が良い。上手くいかなかった場合、お前にも被害がある。それに──」
「もう。そんなこともしないわ。寂しいけど、蘇らせようと思うほど心は弱くないもの。私がしたいのは、この草原を花畑にすることよ。緑の草だけも綺麗だけど、やっぱり美しい場所にしたいから」
エレノアは目を細めて言った。ルゼはぐっと瞼に力を込める。何か思うことがあったのか苦しげに三つの歪な墓を見つめる。
「……それくらい容易いことだ。今、やり方を教えよう」
ルゼはエレノアに丁寧にやり方を教えた。エレノアも呑み込みが早く、思っているより早く習得することができた。
「教えてくれてありがとう。分かったわ」
エレノアはルゼに教わったことを頭の中で思い出す。
自分のしたいこと、やりたいことをまず想像する。それを実現するために体内に流れる魔力に気を集中する。そして、それを手の方へ流れさせる。これは集中していれば自然とできるらしい。
エレノアは目を閉じ、頭の中で辺り一面の花畑を想像した。そして、先程から体に流れ始めた不思議な力に意識を持っていく。するとたちまち手の方が熱くなっていくのを感じた。それと同時にエレノアを中心として風が勢いよく舞い上がる。
「まさか、ここまでとは。上出来だ」
ルゼの驚きながらも感心した声にエレノアは恐る恐る目を開ける。その目の前に広がる光景にエレノアはその目を大きく開いて輝かせた。
緑色しか広がっていなかった草原が、色とりどりの花畑へと変化していたのだ。
「すごい! 成功したわ!」
「ああ。これにはお前の愛した者たちも喜んでいるだろうよ」
ルゼはそうエレノアを励ますつもりでそう言った。だが、エレノアの表情は影ってしまう。
「お母様や皆ならまだしも、お父様はきっと地に落ちてしまったわ。残忍なことをし続けた人なのよ。下から、この美しい景色を見てもらえるのかしら」
エレノアは弱々しい声で言った。少しの沈黙の後、ルゼはエレノアの両親の墓を見ながら口を開いた。
「子が親の行く末を勝手に決めてどうするのだ。酷いことをしたのは確かだろう。だが、お前に愛情を与えたのは誰だ。お前が願っていれば、父は天にでも行ける」
「……ルゼ。そうね。そうよ、お父様は酷い人だっけれど私にとっては優しくて素敵な父だった。そんなお父様なら、神様は許してくれるはずだわ」
エレノアはルゼにとびきりの笑顔を見せた。ルゼも満足そうに微笑む。そのとき吹いた、強くも優しい風は父のようだったとエレノアは感じた。
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