庁舎の一室にて

街と丘を隔てる門まで戻ってくると、港の時計塔から鐘の音が五つ、小さく鳴り響いてきた。

三人は門を警邏する警察隊の一人にシュウに取り次いでくれるように頼んだ。しかし、隊員には、ここを離れられないので、直接、自分たちで警察隊庁舎に行くようにと言われた。もう夜の帳が降りる時間だが、この時間ならシュウは大抵まだ庁舎にいるらしい。

警察隊庁舎に着き、隊員の一人に尋ねると、話の通り、シュウはまだ勤務していた。対応まで少し時間がかかるということで三人は庁舎二階の一室に通される。

部屋の窓からは温かい街の明かりが見えている。ここにきて穏やかな日常に戻ってきたという感慨がクリアスの胸の内に自然と沸き上がった。シュウはしばらく来そうにない。この間を利用できると思ったのか、飛龍が小声でクリアスに尋ねる。

「そういえばクリアス、君が使える魔法って他にもあるの?」

この部屋には三人以外、人はいないのだが、口外できない話のためか飛龍は声を潜めている。クリアスもなんとなく小声になる。

「あるけど数は少ないわ。理の魔法は〈前駆魔法リンクスペル〉と〈鍵呪文キースペル〉の二つを揃えないと使えないから……いくつかは片方だけ分かってるんだけど」

「そうだ、それについて聞きたかったんだ。君が遺跡で唱えていた呪文は僕には一つだったように聞こえたんだけど……」

「〈前駆魔法リンクスペル〉は一度唱えるとその後はもう唱える必要はないのよ。そこもよくわかっていないんだけど……」

「ふ~ん、なるほどね。あの遺跡の壁を壊したのはどういう魔法なの?」

飛龍はよほど興味があるのか、立て続けに質問をぶつける。

「あれは鉱業用に使われていた魔法で、特定の物質だけを分解する魔法なの。だから、鉱物とかには効力はあるけど、木とか生き物には何の影響も与えないわ。いろいろ試したけど布とか革もだめだったわね。だから用途は選ぶけど、鍛冶屋や細工師の人たちからしたらすごく便利な魔法じゃないかしら」

少し愉し気な抑揚がその声に混じり、飛龍も笑みを返す。

「初めて『理の魔法』を使えたときは、やっぱり嬉しかった?」

その問いにクリアスは笑顔を浮かべながらも、その顔に影を落とした。

「そうね。初めて使えたその時はね……」

「ごめん。君の友達がいなくなったっていうのに……」

謝る飛龍にクリアスは慌てて、両手を胸の前で振る。

「ううん、違うの。そのことじゃないわ。だって別に私が『理の魔法』を発動させたからから彼女がいなくなったわけでもないし……」

しかし、そう口にしたものの、クリアスは自身の中にそれを否定できない気持ちがあることを自覚せずにはいられなかった。

――本当に私が『理の魔法』を使えたのと彼女の失踪は関係がない? 私が『理の魔法』を使ってすぐに彼女はいなくなった。もし、彼女が自分の意思で姿を消したのなら……。

これまで幾度となく考えたことが頭の中を回り続ける。そんな渦巻く思考の中を当て所なく彷徨っていると、

「そのことじゃない?」

飛龍の声にクリアスは現実に引き戻された。

「え……、ああ、『理の魔法』を使えたときのことね」

意識を先の話に戻し、改めて当時のことを思い出す。

「もちろん魔法を使えた時は嬉しかったわ。教会で話したじゃない? 才能がないって言われても、私は努力し続けようと決めたって。それがようやく実ったと思えた時だったわ」

クリアスは遠い目をして、その時の情景を思い出す。あの時の感動は一生忘れないだろう。

「でも、その後、私以外の人が誰も使えないってことが分かって、そのとき、初めて実感したの。これが才能ってものなのかなって……」

か細い声で語られる話を飛龍は黙って聞いている。

「それまで私は才能がなくても努力すれば夢は叶うって信じてた。だから努力してきた。でも、『理の魔法』が誰にでも使えるものじゃないと分かって、才能ってものを自覚したとき、なんだか、これまでの自分をすべて否定されたような気がして、喜びもどこかにいっちゃった……。皮肉よね。よりによって私がずっと求めていた『理の魔法』にそんなことを意識させられるなんて……」

才能があると分かったのならそれを素直に喜べばいい。そう思った時もあった。しかし、胸の中の蟠りは未だ消えてはいなかった。

「それは違うだろ」

唐突にアインが口を開いた。面食らうクリアスをアインはひたと見つめる。

「魔法を使うには大雑把に分けて二つの能力を鍛える必要があるんだろ? 総魔力量と放出魔力量とかいったか。だが、いくら才能があっても、これらは鍛錬を積まなければ大きくなることはない。つまり、それまでの努力がなければ、お前は『理の魔法』も発動させることはできなかったはずだ。違うか?」

クリアスは目を丸くする。アインの言っていることは正しい。だが、総魔力量や放出魔力量などという言葉は一般の人間は普通知らない。そういえば教会で魔法の才能についての話を持ち出したのもアインだった。

「アインって、どうしてそんなに魔法に詳しいの?」

率直な疑問をぶつけると、アインは何かを思い出すかのように上を向く。

「知り合いに魔導士がいてな。そいつに教えてもらった」

確かに魔導士の知り合いがいるなら聞いたことがあっても不思議ではない。しかし、普通こんな専門用語まで正確に覚えているだろうか?

クリアスがそんな疑問を抱く中、話に置いて行かれた飛龍がアインに尋ねる。

「ねえ、その総魔力量とか放出魔力量っていうのは何なの?」

「簡単に例えるとだな。はちみつの瓶の大きさが総魔力量。はちみつをすくい出せるスプーンの大きさが放出魔力量だ。つまり、総魔力量が大きいほど多くの魔力が使える。放出魔力量が大きいと一度に大きな魔力を消費する魔法が使える」

アインの説明に飛龍は天井を見上げ、考え込み、

「……つまり、総魔力量が大きくて放出魔力量が小さいと威力の小さい魔法が多く使える。でも瞬間的に多くの魔力を使う魔法は使えない?」

「そうだな。逆に放出魔力量が大きくても総魔力量が少ないと威力の大きい魔法は使えるが、すぐに魔力を使い果たしてしまうことになる。ちなみに放出魔力量が大きいと簡単な魔法なら呪文の詠唱なしに魔法を発動させられるらしい」

「そういえば、クリアスはあの地下の施設で光の魔法を使った時、呪文を唱えなかったよね。それは放出魔力量が大きいってこと?」

飛龍は最後の質問をクリアスに向けて言った。

「そうね。あの魔法なら詠唱なしでも使えるわ。……でもアイン、あなた本当に詳しいのね」

「大したことじゃない。全部受け売りだ」

そう言い放つアインにひとしきり感心した後、クリアスは先の説明の一部を思い出し、くすりと笑う。

「でもさっきの例え、よく言われるのは、だいたい水瓶と柄杓とかそういうものよ。はちみつの瓶とスプーンなんて初めて聞いたわ」

「……あいつは甘いもの好きだったからな」

呆れたように言い捨てるアイン。だが、クリアスは何気なしに放たれたその言葉にピンときた。

「ねえ、アイン。その魔導士って女の人でしょ」

「……そうだが、それがどうした?」

「どんな人だったの?」

興味津々という文字をその笑顔に張り付けて食いつくクリアス。それを見て、アインはうんざりしたように答える。

「言っておくが、お前が想像しているような関係じゃないぞ。もう、長い間会ってないしな」

「ふ~ん、長い間会ってないのにそんな細かいことまで覚えてるんだ」

アインは面倒臭そうな顔をして、そっぽを向く。クリアスは笑いながらそれ以上の追及はせず、代わりに湧き上がる感謝の気持ちをその瞳に湛え、アインの愛想のない顔を見つめた。

才能の話をして思いを打ち明けた時、アインは魔法を使えたのは才能だけではなく、積み上げた努力があったからこそと言ってくれた。クリアスもそうと信じていた。しかし、自分で思うのではなく、他者から掛けられたその言葉により、それまで抱えていた重荷が急に軽くなったような気がした。だから、感謝の意を込めて、これ以上、アインが困るような質問はしないでおこうと決めた。

と、いつの間にか緩やかな空気が流れていた部屋に、不意に硬い音が響いた。そして、そのノックの音と同じく謹厳な表情をしたシュウが入ってきた。

「私に話があるそうだな。何でも遺跡についてのことだとか……」

「……はい。そうなんです」

途端に事の重要さを思い出し、クリアスは居住まいを正す。

三人はシュウと向かい合わせに座る。クリアスはいったん飛龍とアインに目配せしたあと、遺跡での出来事、そして、そこで行われていたらしい恐ろしい試みのことを話した。ただ、当然『理の魔法』や飛龍の剣のことは伏せて話した。

シュウは魔物化の研究と聞いたとき、わずかに驚きの声を上げたが、最後まで口を挟むことなく説明を聞いていた。そして、クリアスがすべてを話し終えると、窓から遠く街の夕餉を彩る喧騒が届いてくる中、ゆっくりと口を開く。

「今の話……」

短く切った言葉とともに、その眼に疑義の光が灯る。

「俄かには信じられんな」

クリアスは机の下で拳を握った。予想していたとはいえ、はっきりと示された否定の言葉にすがる糸を断ち切られた思いだった。

「よかったらどこが納得できないか教えてくれないでしょうか?」

飛龍が真剣な眼差しで問うと、シュウは冷厳な眼差しで答える。

「まず遺跡で行われていたというその研究。クリアス、お前は確かに魔法学院の学生で、古代語もある程度分かるのかもしれない。だが、そこに書かれていたのは本当に魔物化の研究だったのか? 読み間違いや解釈が違っているということはないのか?」

そこを突かれるとはクリアスは思っていなかった。ただ、シュウから見ればクリアスは一介の学生。その能力を疑われても仕方はない。

「それはほぼ間違いないと断言できます。サーレスト文字は私の研究にも深く関わっていますし、それにあの文書は抽象的な表現ではなく、具体的な言葉で書かれていました。わずかな語彙の解釈の間違いはあったとしても、内容を大きく取り違えていることはないはずです」

クリアスはきっぱりと言い切った。シュウが小さく頷く。

「そうか。だが、その話を証明する物的証拠はあるのか? その地下で見つけた資料の一つでも持ち出してはいないのか?」

「それは……」

そこは痛いところだった。あの時、あの資料を持ち出すことができていれば、研究を裏付ける確たる証拠として提出することができた。ただ、突然の魔物の襲来にそれどころではなかった。言い淀むクリアスを見ながらシュウが続ける。

「もしお前たちの話を信じるなら、今、証拠を持っていなくても、遺跡へ調べに行けばわかる、と言いたいところだが、その施設への入り口は崩れてしまい、中には入れないそうだな。それもお前たちが出てきた直後に崩れたという。そんな偶然が起きるものなのか? 私も一度あそこへは行ったことがあるが、あの遺跡は古いものの、そんなに簡単に崩れるようには見えなかったがな」

クリアスはぐっと言葉に詰まる。『理の魔法』のことを話せない以上、遺跡に関しては突然崩れたと説明するしかなかった。だが、客観的に見れば、どうしてもそこはおかしいと思わざるを得ないだろう。

「そして、その施設で魔物に襲われたということだが、元々あの遺跡付近では魔物の目撃情報があり、危険性については警告していたはずだ。その魔物が魔物化の研究とやらで生み出されたものと考えるよりは、以前からそこに住み着いていた個体と考える方が自然だ」

「でも、あの魔物たちは閉ざされた入り口の中にいたんですよ?」

飛龍がいうと、シュウは少し思案してから答えた。

「その地下施設を全部見たのか? 他にも入り口があるかもしれないだろう? それに魔物と言えど、そんな閉鎖空間に長期間も飲まず食わずで閉じ込められていたら生きていけるはずがない」

それはクリアスも疑問に思っていた。あの魔物たちはどうやって命を繋いでいたのか。シュウの言う通り、他に入り口があったのか。しかし、例え他に地下に通じる道があったとしてもそこを簡単に行き来できるとは思えなかった。なぜなら、そんな出入り口があるなら、クリアスたちが通ったあんな複雑な仕掛けのある入り口を作る必要はないからだ。

「最後に、遺跡を出た直後にお前たちを襲ったという黒装束の人物。この話については全くもって訳が分からない。この人物が博物館の館長と考えるのは荒唐無稽だ。彼とは面識があるが、とてもそんな芸当を行える人物ではない。最もお前たちも館長とは考えていないとの話だったが……」

飛龍、アイン、そして、クリアスも何も言えず沈黙する。シュウの疑念は尤もであり、実際にその場にいなかった人間に信じろというのは無理な話だった。

「ただ……」

シュウはそこで一度、間をとると、三人の顔を見渡していった。

「あまりに突飛すぎて、逆に嘘ではないようにも思える。もし、お前たちが何らかの理由で私を謀ろうとしているのなら、もっとそれらしい嘘を吐くはずだからだ」

突然、差し出された希望の手にクリアスは前のめりに問い返す。

「それじゃ、信じてくれるんですか?」

すがるような声に、しかし、シュウは首を振る。

「いや、さすがにこれだけではな。お前たちを信じるには、やはり何か一つでも今の話を裏付ける証拠が欲しい」

「証拠……ですか?」

そうはいってもクリアスにはこれ以上話せることは思いつかなかった。考え込むクリアスにシュウが再度、声をかける。

「どんな些細なことでもいい。私に示せるものはないのか?」

すると飛龍が低く抑えた声で言う。

「……今ここで示せるものはありません。ただ、一つだけ僕らの話を裏付けるものがあります。それを見つけ出してくれば信じてくれますか?」

「ほう、それは何だ?」

「影のような人物と闘った時、僕は最後にその人物の腕を剣で打ち据えました。何か鎖のようなもので防がれましたが、傷は負っていると思います。もし、腕に僕の剣と同じ型の傷がある人間がいれば、それが影の人物の正体です。その人物を僕らが探し出します。手探りですが当てがないわけではないです。あの場にいたのですから、あの影の人物は魔物化の研究と無関係とは思えません。さらに魔物化の研究を博物館の館長が行っているのなら、その人物は館長と関係が深い人物である可能性が高いと考えられます」

シュウは飛龍のその提案を熟考するように瞑目する。

「……すいぶんと仮定の上に成り立った話だな。ただ、傷痕が一致すれば、確かにお前たちが戦った相手であるという証左にはなる。そして、お前はその人物を館長の周りから洗おうというのだな?」

飛龍が頷くとシュウはしばらく顎に手を当て考え込む。そして、

「わかった。ことが事だけに私もただの世迷いごとと看過するわけにもいかない。その人物の捜索に私も同行させてもらえないだろうか?」

「えっ!?」

思いがけぬ提案にクリアスは思わず声を上げる。まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。対して飛龍は動揺などおくびにも出さず、しばし黙考してから平然といった。

「僕はそれでもいいです。二人はどうかな?」

問われてクリアスは逡巡した。飛龍の提案はもう一度あの影の人物と対峙することを前提としている。魔物ではないと飛龍はいうが、クリアスにとっては恐ろしい存在であることに変わりはない。しかし、もう一度状況を思い返しているうちに、その胸に沸々と一つの決意が湧き上がってくるのを感じた。

「正直、怖いけど、あんな恐ろしいこと放っておけないし……、警察隊隊長のシュウさんが一緒なら安心かな。ここまで来たらやるだけやろう!」

「全く、お前はいつも余計なことに首を突っ込むんだからな」

アインが呆れた声音でぼやくように言う。しかし、そこに否定の響きはなかった。

「決まりだな。では、また明日会おう。今日はこれで解散だ」

シュウがそう告げると、明日の待ち合わせ場所を決め、三人は警察隊庁舎を後にした。

クリアスは飛龍とアインに別れを告げると、宿舎への道を一人戻る。辺りは暗くなっているがまだ夜が更けるには早い時間帯。しかし――

今日一日のことを思い出す。あまりに情報量が多すぎて頭の整理がつかない。この街に来た時は、こんな事態に巻き込まれるとは全く想像すらしていなかった。

歩む速度がいつの間にか小走りになり、さらに速くなる。息が上がり始めるが、それでも速度を緩めなかった。

とにかく今は頭を空っぽにして寝床へ潜りたい、そんな気分だった。

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