信じる道

日が徐々に昇り、照り付ける太陽が滲むような暑さを提供し始める。

三人は街の外の丘陵地帯へと続く道の前まで来ていた。これまで歩いてきた市街との境には門があり、そこから人の倍ほどの高さの壁が両側に続いている。魔物の侵入を警戒するためか、警察隊員が二人駐留しており、一人は門に併設された物見台の上で街の外を伺い、一人は門の警備に当たっていた。

壁の向こうに見える緑の丘。その上を縫うように黄土色の道が続いているが、その先を飛龍が戸惑いがちに眺める。

「……博物館の別館っていうから街のすぐ近くだと思ってたんだけど、こんなに遠いの?」

ゆるく蛇行した道が丘の上まで続いているが、その先に遺跡や別館の姿はない。それは目的の場所が、丘を隔てたさらに向こう側であることを示していた。

「そうね。だいたい歩いて一時間ぐらいらしいわ。だから少し急ぎましょう」

「そんなに歩くんだ……」

そんな話をしながら門の手前まで来ると、警察隊員の一人が話しかけてきた。

「お前たちのことは隊長から聞いている。遺跡にある博物館の別館までいくそうだな。腕に覚えがあるのかは知らんが、油断はしないことだ。特に魔物がでる夜になる前には戻るように」

そう警告した後、その警察隊員は門の扉を開ける。クリアスたちが通り抜けると再び門が閉まり、閂が下りる鈍い音が響く。目の前に広がる穏やかな緑の景観に反して、緊張感が増す。

「それじゃ、十分注意していきましょう」

そういってクリアスは一歩踏み出すが――

「ああ、ちょっと待って」

出鼻を挫くように飛龍から制止の声がかかる。振り返ると、アインが持っていた荷物入れの中から何かを取り出していた。出てきたのは乳白色の石材とも金属とも見て取れる不思議な材質からなるナックルグローブ、いや手甲か。

「それ、なんなの?」

「魔物がいるかもしれないなら、備えはしておかないとな」

答えながらアインはそれを手早く取り付け始める。その様子を見ながら、クリアスはずっと聞こうと思っていたことを口にする。

「あの、今更なんだけど、二人って何か武術の心得とかあるの?」

その質問にアインは呆れたような顔をする。

「本当に今更だな。逆に聞くが、ないと思っていたのか? こいつの剣は何のためにある?」

そういって飛龍の剣を親指で指し示す。

「何のためって………えっと、何のためなの?」

飛龍の剣に疑問の眼を向けるクリアス。その視線を追うようにアインは飛龍の剣を一瞥し、

「……そうだな。今のは俺が間違っていた。こんな剣だと不安にもなるな」

「いやいや、アイン。そこはフォローしてよ!」

相棒の冷たい眼差しに飛龍は抗議の声を上げる。

「この剣は切れないけど別にお飾りじゃないんだ。こんな剣でも叩かれたら痛いよ!」

必死に弁明する飛龍だが、逆に言えば、それは「痛いよ」のレベルで済む程度にも聞こえる。確かに金属の塊ではあるから打撃用の武器として考えればいいのかもしれないが……。

クリアスは魔物と遭遇し、飛龍が戦っている様子を想像する。襲ってくる魔物。それを飛龍がこの刃のない剣でひたすらタコ殴りに……

――ゼッタイ、ヤダ……そんなの……

現実的に考えれば魔物と遭遇すればまずは逃げるしかない。ただ、もし、二人に倒すまでいかなくとも、魔物を追い払うだけの剣術や武術があるなら心強いことは間違いない。

「……それじゃ二人ともそこそこの腕はあるってこと?」

しかし、飛龍は全く緊迫感のない様子で首を傾げる。

「どうなのかな? アイン、僕らの強さってどう思う?」

「さあな、少なくともファーミィーぐらいなら勝てるがな」

ファーミィーとは一般人でも知っている有名な魔物の名だ。手足の短いずんぐりむっくりの体にふわふわの毛を纏った小さな魔物で、お飾りのような歯で噛みついてくるだけで人間に害を及ぼすことはほとんどない。ついでに付け加えると見た目はけっこう可愛いらしい。

――そんなの私だって追い払えるわよ……

少しでも安心材料を得たかったのだが、逆に二人の話を聞いてクリアスは不安になった。

「まあでもやっぱり第一には逃げることを考えようよ。それ以前に魔物には出会わないことを祈るけどね」

結局、その結論になるのか、とクリアスは心の中で嘆息した。しかし、二人をただ当てにするというのも身勝手だ。クリアスはそう自分を戒め、ただ魔物が出てこないことを祈りながら歩を前に進めた。


「これなら心配する必要はなかったね」

飛龍が背後を振り返り、ここまでの道のりを眺める。結果的に何事もなく、三人はミッテル遺跡に到着した。

丘陵は黄土の一本道が伸びる以外は、遥か先まで見通しが効く丈の短い草が一面に広がり、丘の頂に到着した時には、今いる遺跡群が一望できるほどだった。丘陵の左手には、鬱蒼とした森が街の方まで広がっているが、遺跡へと繋がる道とはそれなりに距離があり、魔物がいても少なくとも不意を衝かれることはなさそうだった。爽やかな風が吹く牧歌的な光景に、本当にこんなところに魔物がいるのかと、クリアスは少し信じられない気分になった。

目の前には小奇麗な二階建ての建物。遺跡の管理棟と資料保管庫を兼ねる博物館の別館だ。その先には別館とは対照的に古びた石造りの遺跡が点在している。ちなみにこの遺跡の先にはさらに南へと続く街道があるが、ペオエクスへは海路を使用してくる人がほとんどで、この陸路経由で来る人はほぼ皆無だ。

ともあれここまで来たら特に迷うことはない。クリアスは別館の入り口の鍵を開け、中に入る。その鍵を借り受けるため、この別館に行くことをクリアスはレベッカには打ち明けていた。以前にもこの別館に行きたいと告げたことがあり、その時は猛反対され、今回も予想通りレベッカは反対の声を上げたが、最後には折れて館長には内緒でこの別館の鍵を貸してくれた。もちろん、館長に鍵のことがばれたときには、クリアスは自分が持ち出したというつもりだった。友人にいらぬ罪を背負わせるわけにはいかない。

「さて、と……私はこれから資料の調べに入るけど、二人はどうするの?」

ここに来て初めてクリアスはその疑問に思い当たった。古代文字の読めない二人は特にこの場所ですることはない。有り余る時間をどうするのか。

すると飛龍はきょとんとして答えた。

「え? いや、僕らも何か手伝うよ。だって他にすることないし」

「そう……なの? でもそんなにすることはないと思うけど……。たぶん、資料は分類されて保管されているはずだから、場所が分かれば後は私が内容を確かめるだけだし……」

調査を開始してほどなく――保管資料の目録を探し当て、それを辿るとアルトリア文明の資料はすぐに見つかった。この別館は街の博物館と似た構造で、クリアスが博物館で利用していたのと同じような部屋が二階にあったため、そこで資料を確認することにした。そして、資料をその部屋に移し終えると、クリアスの言う通り、二人にはすることがなくなった。

よってクリアスが資料を調べている間、必然的に二人は同室で寛ぐことになった。

しかし、ただ、ひたすら時間を潰すというのもそれはそれで苦痛である。アインはすぐに部屋のソファに横になり「終わったら起こせ」といって眼を閉じた。飛龍は最初、クリアスが古代文字の内容を書き写すのを興味深げに眺めたり、読めもしない資料をめくったりしていたが、内容が分からなければ、やはり興味は長続きしなかった。

途中、持参してきた昼食を三人で食べ、それで間を繋いだものの、すぐに二人にとっては空虚な時間が訪れる。

飛龍は窓際に立ち、しばらく外の景色を茫漠とした目で見つめていたが、やがて「ちょっと遺跡を見学してくる」といって部屋を出ようとする。

「待って。魔物がいるかもしれないのよ。一人じゃ危険よ」

「大丈夫だよ。すぐそこの遺跡に行くだけだから」

その楽観的な返事にクリアスは不安を隠せなかったが、当の本人は気にせず部屋を出て行ってしまった。そしてアインはというと、相変わらず午睡を決め込んでいた。

なんとなく弛緩した空気を感じながらも、クリアスは再び資料との格闘に戻った。しかし、調べるにつれ、その口から落胆の溜め息が漏れる。

保管されていた資料は思った以上に少なく、これなら全てを見たとしても二日とかからなさそうだった。しかも目を通した限りでは内容は既知のものばかり。クリアスにとっては『理の魔法』解明への道が遠のいたことになり、飛龍にとっては剣の由来の手掛かりがまたしても途絶えたことになる。ただ、飛龍とアインにとっては無為な時間を過ごす期間が短くなったと言えば救いはあるか。

「でも、やれるだけのことはしないとね」

鳥の声と風のそよぐ音が窓を優しく叩き、麗らかな午後ともいえる時間が流れていく――

そうして資料の半分も調べ終わったとき、ふと目を上げたクリアスは部屋の中に生じた変化に気づいた。ソファにいたアインの姿がない。どこへ行ったのだろうか? 

締め切った部屋の中は空気の流れのない静けさに包まれ、誰もいない光景に自分一人だけの世界にいるような錯覚に襲われる。

一度ぎゅっと瞬きし、僅かの時間だけ浸っていたその夢のような世界から抜け出ると、すぐ隣に何かの気配を感じた。何気なしに眼を向けるとすぐ側に人が立っている。

「きゃあ!」

椅子から転げ落ちそうになりながら驚くクリアスに対し、いつの間にか移動していたアインが怪訝な表情で見下ろす。

「お、脅かさないでよ。いきなりそんなところに立って……」

「お前が没頭して気づかなかっただけだろう?」

そういうとアインは少し体を離し、部屋の壁に背を預け、腕を組む。

「少し聞きたいことがあるんだが、今いいか?」

「? うん、ちょうど休憩しようと思ってたところだから」

基本的に無口なアインからこうして話を振られるのは初めてだったため、クリアスは少し緊張しながら向き直る。

「お前、どうして俺たちとここに来ようと思った?」

クリアスはこくりと首を傾ける。なぜかと言われれば、理由は今やっていること。アルトリア文明の資料を調べに来たに他ならない。

「言い方が悪かったな。つまりはだな。どうして、俺たちのような怪しい人間と一緒に行動しようと思ったのかということだ」

――あ、怪しいって自覚はあるんだ

心の中で苦笑しながら、クリアスは答える。

「二人は私のことを助けてくれたじゃない。それに話を聞いていたら、悪い人には思えなかったから……かな」

クリアスは二人に対する印象を素直に伝えた。しかし、アインはどこか不満そうにじっとクリアスのことを見つめる。

「それだけで人を信用するのか? 例えばだ。ここには誰もいない。俺たち男二人と女のお前ひとりだ。もし俺たちがお前を助けたのも、が目的だったらどうする?」

一瞬、鼓動が跳ね上がり、手のひらに汗が滲む。そのが何なのかはすぐに分かったが、例え話でもあまりそういうことは持ち出して欲しくはなかった。

「……二人はそんなことする人間じゃないでしょ?」

「だからなぜそう言い切れる?」

「それはそう思ったから、と言うしかないけど……。第一、もしそんな気があるならこんなこと尋ねないはずよ?」

至極当然な回答を返す。しかしアインはまだ納得できないのか、渋い表情で見つめ返す。そして、冷たい感情を伴う声でこういった。

「だが、そうやって信じた人間が、お前が思うような人間じゃなかったらどうする? お前はひどく後悔することになるぞ」

その問いかけにクリアスは手元に視線を落とし、しばし考えたのち答える。

「後悔は……しないと思うわ」

「なぜだ?」

「その人を……この場合はアインたちだけど、信じるって決断したのは私だから。後悔するってことはその時の自分も否定することになる。だからしないというよりできないというべきかな。だけど…………」

クリアスは視線を横に流す。

「もし、そうなったら悲しいかな」

アインは口を開きかけたが、クリアスが話し続けようとしているのを見て、口を噤む。

「そう、ただ悲しい。だって、それは私の中から信じていた人が一人いなくなってしまうってことだから……。そして、たぶんその人はもう戻ってこない……」

クリアスは思った。自分はまだそんな大きな裏切りを経験したことはない。だけど、大切な人がいなくなることは理解できる。その重さと悲しみも――

顔を上げるとアインと視線があった。左右の色が違うその瞳からはアインがどんな感情を抱いているかは分からなかった。しかし、返すべき言葉は自然と口をついて出た。

「でも、ありがとう」

「何がだ?」

唐突な謝意に怪訝な顔をするアイン。

「つまりは私のことを心配してくれてるのよね? 人を信用しすぎで騙されないかって。でも私だってちゃんと人を見てるのよ」

――そういえばレベッカにも似たような返事を言ったような……。性格の全く異なる二人から同じようなことを言われるなんて、私はそんなに危なっかしく見えるのかな。

と、そんなことを考えているうちに、クリアスはこうしてアインと面と向かって話す場を持てた今がいい機会だと思い、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。

「ねえ、私からも一つ聞いていい……?」

「なんだ?」

「飛龍が旅をしてるのは、あの剣のことを調べて自身の素性ルーツを辿るためなのよね。それならアインは何のために旅をしているの?」

飛龍の旅の目的は、出自を知りたいという飛龍個人に帰属するものだった。それならアインにはアインの目的があるのでは、という考えにクリアスは至ったのだ。

しかし、それに対し、アインは淡々と答える。

「俺はあいつに付き合って旅をしているだけだ。特に目的はない。あいつの言を借りると、俺もしがない旅人ってことだ」

「そう……なんだ」

「なんだ? 言いたいことがあるなら言えばいい」

返答に満足できない気持ちが漏れ出ていたのか、アインが先を促してくる。クリアスは少し迷った末に言った。

「その……私の勝手な印象なんだけど、飛龍もアインも言動が理知的というか、きちんと物事の筋道を考えて行動する人間に見えるの。そういう人が何の目的もなく旅なんてするかなって……。何か行動を起こすなら、それなりに理由があるんじゃないかって思ったの……」

上目遣いで少し遠慮がちに話すクリアスをアインは静かに見つめ返す。

「……それはお前の思い違いだ。俺たちはそんな人間じゃないし、俺に旅する明確な目的なんてものもない」

そうは言われてもクリアスの心中には納得のできないものがあった。しかし、もしアインに旅する目的があっても、それが人に話したくないことならこれ以上踏み込むのは無粋だろう。クリアスは話題を変えることにした。

しかし、次に話そうとしたことは、これはこれで口にするのが憚られる事案だった。だが、疑問をそのままにしてはおけない性格のクリアスは思い切って訊くことにした。

「あの……さっき一つだけって言ったけど、もう一つ訊いていい?」

「ああ、別にいいが……」

クリアスは視線を下げ、それから一度、息を溜めてから尋ねる。

「飛龍って本当に剣について調べるために旅をしているの?」

アインは目線だけを動かし、クリアスを見つめ返す。その表情から感情の動きは読み取れない。しかし――

「……そう思った理由は?」

その問い返しは、クリアスの推測が正しかったことを示していた。

「なんていうか、剣の由来を知りたいと言っている割には、彼にあまり執着心がないというか……分かればいいけど、分からなければそれでいい、そんな感じがしたの。それに、ここにきてから、私がアルトリア文明の資料を調べていても、剣のことは何か分かったとか、そういうことは全然訊いてこないし……」

ただ、剣について『創造の花』のことを持ち出した時の飛龍の様子は少し気になった。あの時の飛龍は、何かに惹かれつつも、それを悟られまいと抑え込んでいるような、無関心を装っているような気がしたのだ。

アインは視線をクリアスから窓の外へと向ける。

「あれは理由付けだ」

「理由付け?」

「剣について調べているのは本当だ。ただ、あれは旅をするために、剣のことを調べるという理由付けをしているだけだ」

よく分からなかった。つまり旅自体が目的といっているように聞こえる。しかし、最初の話に戻ってしまうが、結局、その旅をする目的は何なのだろうか。その疑問を汲み取ったのか、アインが付け加える。

「あいつが旅をしているのは『答え探し』のためだ」

「答え探し?」

「ああ、あいつは『間違っている』と言われたことが、本当に『間違っていた』のか確かめるために旅をしているそうだ」

謎かけのような言葉にクリアスは戸惑う。しかし、これまで率直な言い方をしてきたアインがこのような物言いをすることに対し、その裏に得体の知れない、重く、暗いものが潜んでいるような気がして、クリアスは言い知れない不安を感じた。

「あとはあいつに直接聞くんだな。答えるかはあいつ次第だが」

言ってアインは、話はここまでとばかりにソファに戻る。

その後ろ姿を、クリアスはぼんやりとした不安を覚えながら見つめていたが、やがて、別の形のある不安が胸に湧き上がってきた。

「ねえ、そういえば飛龍、遅くない?」

もう日が南中を過ぎてからかなり経つ。そろそろ帰途を考えなければならない時間だ。

「そうだな。あいつ、どこで油を売ってるんだ?」

「少し探しに行かない? 私の調査も明日で終わると思うから、彼を見つけたら今日はこの辺りで引き揚げてもいいし」

それにアインも同意し、二人は手早く荷物をまとめ、別館を出る。入り口を出て左右を見ると、別館に一番近い遺跡の前に飛龍の背が見えた。

「あ、いたいた。もう、あんなところで何を……」

言いかけてクリアスはすぐさま口を噤んだ。同時にアインが制するようにクリアスの前に腕をかざす。飛龍が双剣を二本とも抜き放っている。そして、飛龍の向こうに何かがいる――

緊張が全身を駆け巡る。そして――

「よう、お前ら」

その何かから発せられたのは人の声だった。

アインがゆっくりと歩きだす。クリアスもその影に隠れるようにそろそろと近づいてみると、異国風の袖なし服に日焼けした褐色の肌が見えた。さらに近づくと、これまた褐色に焼けた顔とそこに浮かぶ快活な笑みが見えた。

「街では派手な活躍だったな」

話しかけてきたのは、武闘家のような体躯の青年。年の頃は自分たちよりそこそこ上のようにクリアスには見えた。しかし、こちらを見知ったように気安く話しかけてくるが、誰だったのか、すぐには思い出せない。いったいどこで会ったのか。褐色の肌……街での活躍……。

「あっ、あのとき近くにいた……」

クリアスはようやく思い出した。目の前にいるのは、孤児院の子供たちが例の柄の悪い冒険者たちに絡まれていたとき、すぐ近くで見物を決め込んでいたあの冒険者と思しき青年だった。

「クリアス、知ってるのか?」

その声は飛龍から発せられたものだった。しかし、口調がいつもと違い、肌を刺すような感じがする。その雰囲気に気圧されながらもクリアスは簡単に見たことだけを説明した。

「ああ、あの時はあんなくだらん連中に関わりたくなくて一度は立ち去ろうとしたんだが、お前たちが来て何か面白いことをやりそうな予感がしたんでな。遠目から見ていたのさ。そしたらあの騒ぎだ。見物しててよかったぜ」

あの時、この青年は冒険者たちを止めようともせず、その後の騒動を面白いといい、さらに子供たちのことは関心がないのか触れもしない。そういったことから、やはりクリアスはこの青年にあまりいい印象を持てなかった。

「俺の名はジグマ。一応冒険者って肩書を持ってる。ここへは噂を聞いて、本当に魔物がいるか確かめに来たのさ」

「魔物を?」

クリアスは驚いた。ということは話に聞く魔物退治を生業とする冒険者の一人だろうか。

「ああ、それで魔物を探してこの辺りの遺跡を回っていたんだが、影も形も見当たらねえ。そうこうしているうちに何かの影が見えて後を追ったんだが、魔物じゃなくてそっちの兄さんだったってことだ。ただ、いきなり後ろから話しかけたんで、驚かせちまったようだな」

そこでようやく飛龍が剣を背中に収める。

「すみません。あなたの言う通り、突然だったので思わず剣を向けてしまったんです」

「いいってことよ。それよりお前たちの名は?」

なんとなく気乗りはしなかったのだが、飛龍たちが簡単に名前だけを告げたため、クリアスもそれに従って名乗り、加えて、ここには古代文明の資料の調査に来たとだけ説明した。

「ふうん。ヒリュウにアイン、そしてクリアスか。覚えておくぜ。俺はもうここでやることはないから帰るが、お前たちはどうするんだ?」

問われてクリアスは返答に窮した。その言外に「街まで一緒に行くか?」という意味を含んでいるように聞こえたのだが、そうしたくはなかった。先の印象もあるが、このジグマという青年から妙な不快感を覚えずにはいられなかったからだ。特にその金色の眼は、顔は笑っているのに何か獲物を狙うかのような嫌な眼光を放っていた。

「俺たちはまだ調査を行ってから帰るつもりだ」

だからアインがそういってもクリアスは何も言わなかった。

「そうか。じゃあな。……ああ、そうそう。そういえば、そこの遺跡の中の壁に変な文字みたいな紋様が書かれてあったんだが、お前たちなら何か分かるんじゃないか?」

それだけ言ってジグマは街の方へと歩いていく。その後ろ姿をクリアスは、ほっとした気持ちで見送る。しかし、姿が見えなくなっても一度沸き立った胸騒ぎはまだ収まらなかった。

「飛龍、あいつと何があった?」

「何もなかったと言えばそうなる。だけど、さっきの話を聞いて彼は信用できないと確信した」

飛龍が人に対してそこまで断定的な否定を示したことにクリアスは驚く。

「魔物がいるかもしれないと聞いていたから、僕はここに来るまでの間、そして、一人でこの遺跡を回っている時もずっと足跡調査トラッキングをしていた」

足跡調査トラッキング?」

聞いたことのない言葉にクリアスが聞き返す。

「動物や人が通った痕跡を探し出す技術のことだよ。僕の故郷は周りが山と森でね。暮らしの中で自然と身についたんだ。でも、この先には新たに人が通った跡はなかった。つまり彼はさっき話していたそこの遺跡以外には立ち入っていないんだ。だけど、彼は『魔物を探してこの辺りの遺跡を回っていた』といった」

つまり嘘をついていたということになる。それが何のためなのかは分からない。しかし、それ以上にあのジグマから感じた不快な空気。おそらく飛龍も同じものを感じたためにこうも明確に拒絶を示すのではないかとクリアスは思った。

「ねえ、少しだけ時間を置いて帰らない?」

すぐにここを出立するとジグマに追いついてしまうかもしれない。まだ日没までは時間がある。彼に追いつかない程度、ここに留まっても日暮れまでには十分帰れるはず。

クリアスの提案に飛龍とアインも無言で頷く。二人も同じ考えなのだろう。そうして別館に戻ろうとしたとき、暗い入り口を向ける古びた遺跡がクリアスの眼に入った。

「そういえば、あの人、紋様がどうとか言ってたけど……ちょっと見てもいい?」

飛龍とアインは顔を見合わせ、次にクリアスの方を向くと同時に首肯した。

小さな民家ほどの石造りの遺跡は、窓はなく、明かりは入り口から差し込む光のみで中は暗かった。クリアスは礼拝堂で唱えた光の魔法『導きの灯火ティム・ライト』を唱え、指先に宿った光で手元を照らす。が、その光量にアインが注文を付ける。

「なあ、もう少し明るくならないのか?」

「ご、ごめんなさい。これが限界なの。でも、あの人、よくこんな中で紋様が書かれてるなんて分かったわね」

明かりに照らされた壁には絡み合う蔦とその中を這い回る蛇の彫り物。そして、

「クリアス、これって……」

飛龍が指し示した先には円を基本とした奇妙な形の文字――

「アルトリア文字だわ! でもどうしてこんなところに……」

このミッテル遺跡はアルトリア文明とは全く違う時代に存在していた。ゆえにアルトリア文字がここに記されているはずはないのだ。

「なんて書いてあるか分かる?」

飛龍に訊かれ、クリアスはその文字を読み取る。

「六匹の蛇を闇より召喚せよ。さすれば汝は地の底へと誘われるだろう」

どことなく不吉な文言だった。この暗さの中で聞くとより一層不気味さが増し、クリアスはよもや暗がりから蛇が出てこないかと思わず周囲を見回した。しかし、飛龍は別のことが気になるのか、しきりに壁の図柄を見つめている。

「クリアス、それ本当にあってる? この壁に描かれている蛇は七匹いるよ」

言われてクリアスは蛇の数を見直す。確かに蛇は七匹描かれていた。

「ほんとだわ。でも、ここには確かに六匹って書いてある。どういうことかしら……」

するとそれまで後ろで見守っていたアインが「ちょっといいか」と言って身を乗り出し、

「切れ目があるな。おそらく……」

アインが壁に沿うように力を込める。すると描かれた図柄が壁とともにスライドし、

「あっ!」

クリアスは眼を瞠った。七匹いた蛇が六匹になる。同時に何かが噛み合う音がして、壁が左右に奥へと開いた。その中からは暗闇に慣れていた目にはきついほどの明かりが溢れてくる。

手庇を作り、クリアスは明かりの先を見る。そこには階段があった。そして、そのきざはしは一定間隔で黄色い光を発していた。

「これは……魔晄石だわ!」

「魔晄石?」

問う飛龍にクリアスは頷く。

「魔力に曝すことで光を発する石のことよ。一度光るとかなり長期間、光が持続することから、洋灯ランプなんかの代わりに使われているの。でもこの石は貴重で簡単に手に入るものじゃないのにこんなに大量に使われているなんて……」

それにもっと重要なことは、階段の造りが明らかに新しいことだった。つまり、これは元々の遺跡の隠し部屋でなく、現代の誰かが造ったものだ。

「それで、どうする?」

アインが眼で階段の先を指し示す。その得体の知れなさにクリアスは不安を掻き立てられる。しかし、この思いがけぬ謎を目の前に立ち去るというのは、後々未練を残す気がした。

「少し中を見てみたいんだけど……いい?」

クリアスが順にアインと飛龍に目を向けると、飛龍が階段の先を覗き込みながら言った。

「……いいよ。だけど十分注意した方がいいと思う。どうみても怪しさ満載だからね」

階段を降り始める三人。しかし、階下に消えゆくその後ろ姿に注がれている視線には気づくことはなかった。

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