005 洋上の会話。鬼謀の結末。
焔桜島を囲む海上を、即席の雲の足場を使って駆け抜いている途中、ぷつん、と何かが切れるような感触があった。
「なん、だ?」
『どうされました? 雅人様』
鉄姫に問われるも、内心で首を横に傾げるしかない。
左肩に刻んだ【神聖大盾印】の術式は簡単な呪いや
そして、攻撃に耐えられなかったときは障壁が
「わからない。ただ、何か……つながりが切れたような?」
右手中指に刻んだ【調査印】を自分に向けて使ってみる。『龍頭雅人―種別:超人、状態:健康、霊力気力微消耗』とだけ頭の中に情報が入ってくる。もっと詳しい術式を自分に使えばいいのだが空中を高速移動中ではそういう暇はないし、何か悪い感覚があるわけでもないので気にしない方がいいのか?
『それは焔桜島の支配領域から離れたから、
わからんわからんと首を捻っていれば、腰の術具である夜姫が教えてくれる。術具に宿った樹霊の夜姫は人間と違い、術式以外にも加護や呪いなどを感覚で理解できる存在だ。そんな彼女が言うのならそうなのだろう。
「つながり、か。なるほどな。俺の身体はあの土地のものでできてたから、きっと加護が外れたんだろうな」
土地で作られた食べ物や、空気に水。普段は気にしていなかったが、それらが俺の形を形成していた。
産土の加護か。ふ、自分から土地を出たとはいえ、それを失うのは少し堪えるな。
『悪いことばかりではないの。雅人にぶら下がってた
「邪って、なんだ? 呪われてたのか?」
『今わかったのだけれど、鬼の呪術師の監視呪術と、あとは双子のつながりを利用した呪い、だと思う。片方はあの弟に繋がってたし』
「弟に繋がってたってことは、たぶん弟を呪っていた呪術が俺に影響してたんだろうな。弟は剣聖だったし、まぁ繋がってた俺が不調すら感じなかった弱々しい呪術だ。剣聖の霊力なら全く問題なく弾くだろう。というか、俺って監視されてたんだな」
『週一百鬼夜行を毎回撃退してた仇敵を監視しない奴はいないと思うの。まぁ監視といっても生存状態とどこにいるかぐらいのものだろうけど』
害為すものだったら流石に俺も気づくか。
位置情報も大防人頭だった俺はずっと大龍穴と、夜想国の首都である夜都の本家上屋敷に詰めてたから意味ないしな。
旅行行かないし、生来健康すぎて病気にもかからないから不調にもならないし。
『じゃあ、百鬼夜行がすぐに攻めてくるんじゃないですか?』
「いや、徹底的に大龍穴傍を浄化したから、結界から漏れる瘴気が周囲を汚染して、鬼どもが生存できる場になるまでは待つだろうな。いつもどおりの一週間だろう」
であれば剣聖である瑠人が対応できるだろう。あいつには数々の刀姫の助力がある。高位の刀姫には俺のような膨大な霊力を常に消費する刻印図を使わなくても、同じような権能を使える刀姫もいるしな。
そういった加護を十全に瑠人が使ったなら、大業鬼であろうとも殺せるだろう。いや、むしろあくびしながら百鬼夜行を殲滅してしまうかもしれない。
それが俺を超える剣士である、剣聖というものだろう。
「それよりも俺の心配だぞ。ええと、大陸の冒険者自伝は読んだことがあるんだ。まずは大物魔物を死骸を担いで冒険者ギルドに行って、先輩冒険者をぶちのめすことから冒険者を始めるらしい」
『それ、本当に合ってるんですかぁ? 大昔の冒険者じゃなくてぇ?』
「大丈夫だ。ナーローシュ・ザマァ・モウオソイという現在絶賛活動中のS級冒険者の自伝だからな。この男、面白いぞ。もともと冒険者ではなく荷物持ちとしてS級冒険者パーティーに入っていたが、戦力外として追放され、身ぐるみ剥がされてダンジョンの奥深くに捨てられたところに秘めていた力が覚醒。強大な力でダンジョンから自力脱出し、初陣として周辺の村で暴れていた凶悪な竜種を討伐するとその死骸を冒険者ギルドに持ち込んでいきなり高ランク冒険者として認められたらしい」
『あの、それって子供向けの冒険小説じゃないんですか?』
「あとがきには自伝と書いてあったが? 作者である俺くんも登場していたし」
『自伝なのに俺くんとナーローシュさんは別人なんですか?』
「知らん。そういう様式の本なんじゃないのか?」
『古本屋で埃かぶってた本なの』
「大陸言語で書かれてたからな。どれだけ優れていようと読めない本は売れない。しょうがない」
『ゴミなの。夜想貨で10銭均一本だったの』
『あのぉ、本当に大丈夫なんですか?』
「ちッ、うっせーな。まぁ実際に現地の人に聞いてみればわかるだろう」
そんなことを話していれば、星の明かりに照らされて、焔桜島からちょっと以上に離れた外洋の先にあるグランアリシエ大陸の姿が、視界いっぱいに広がってくる。
あの大地の上にあるのは、霊力と刀と、桜と鬼と怪生の世界ではなく、剣と魔法と、蒸気と火薬、魔物と遺跡の世界だ。
伝聞では前文明である統一国家があった時代の異物や、魔王支配時代の危険物がごろごろしているらしい。
「あと最近魔族軍が使って、人類がパクッて作った銃ってのはちょっと興味があるんだよな」
『【霊撃印】や【爆裂印】じゃダメなんですか?』
【霊撃印】は【爆裂印】は俺が指に刻んでいる遠・中距離用の攻撃術式だ。小鬼ぐらいなら一撃で殺せる威力がある。
「ダメじゃないけど、形がかっこよかったし」
『雅人は十八にもなって子供なの』
「生まれて五年のお前に言われたくないんだが?」
『ちッ、うっせーの』
『夜姫! 舌打ちは下品ですよ! 雅人様の悪いところを見習わないでくださいよ』
『雅人のせいで怒られたの』
拗ねたような夜姫の声に、ゲラゲラと笑ってやりながら俺は遠くに見える世界に想いを馳せる。
捨てたものに執着してもしょうがない。
それでもいずれ妻でも迎えて子供が生まれたら故郷の夜想桜をこっそり一緒に見に行ってもいいかもな。
飛んで跳ねて一夜でたどり着けるなら、見咎められずにあのどでかい桜を見ることぐらいはできるだろうから。
◇◆◇◆◇
「――まさか、まさかッ!!」
「どうなされた? 大呪術師殿」
「今代の魂鎮めの剣聖が! 大龍穴を離れ、大陸に向かった!!」
焔桜島より大龍穴を通じた異界がある。
鬼界と呼ばれる、瘴気と呪いに満ちた血と炎と苦痛と荒野が広がる世界だ。
そこにある鬼の王の居城である鬼岩城の一室で、水晶玉に手を当てた、痩せた老人のような鬼が周囲に向かって叫んだ。
「まことかッ!!」
鬼たちの歓喜の声が室内に響く。仇敵が勝手に消えてくれるなど、奇跡でも起きたのか。
「ああ、今地上に目をやったら、人間どものお家騒動だ。名ばかり剣聖が
言いながらも大呪術師は呪法を用い、情報を収集する。
眼球に羽と隠蔽能力だけをつけた鬼や、鬼たちがスパイとして脳の支配を行っている近隣住民を使うのだ。
聞けばなんと、去勢に反発した本物の剣聖が、弟である偽物の剣聖を斬って、出奔したという。
龍頭家は早速、本物の剣聖である龍頭雅人を大罪人として生死不明の高額賞金をつけて手配をしていた。
鬼の大呪術師が歓喜の声を上げる!
「やった! やったぞ! 罪人として手配されたならもう、奴は大龍穴の守りにはつけん!! 人間どもの政体はわかっておる! 大龍穴の守りは武家の誇り! 剣聖が戻ってこようとも、如何な強かろうとも、罪人に与えられる職分ではない!!」
無論、真相が知れ渡ったならば、罪を撤回し、なりふり構わず剣聖を戻すかもしれないが、一度罪人と触れ回った以上、雅人の名誉は地に落ちている。
今までの悪評など比にならないほどの汚泥だ。すんなりと防衛につけるなどとは思えない。
それに鬼たちは雅人を人間たちよりもよく知っている。奴は善人の部類だが、無私で何もかも捧げるお人好しではない。
戻ってきて、今までのように報酬もほとんどなく、命を掛けて戦ってくれるようなことは絶対にしない。最終的に戻ってくる決断をしようとも、それまでに揉めて、時間を浪費するはずだ。
「おお、では!」
傍に立っていた鬼の問いに老鬼はその、老いで皺くちゃの顔を更に歪めて不吉な笑みを浮かべた。
「
毎週のように百鬼夜行は剣聖雅人によって壊滅させられていたが、鬼たちの戦力に不足はなかった。
地上で死に、死体をバラバラにされて武具や薬の素材として利用されていれば別だが、今代の剣聖たる雅人は人間不信で、鬼たちの死体の処理は、大龍穴に叩き落としていただけだった。
それが鬼たちに幸いした。
剣聖に殺され、大龍穴に落とされた鬼の死体は、大龍穴に潜んだ鬼たちによって回収され、瘴気と呪力を与えられて蘇生させられ、再び百鬼夜行に参加していたからだ。
なお、雅人は蘇生に関してはどうでもいいと思っていた。自分ならば勝てるし、自分が死んでも自分より強い瑠人がいると思っていたからである。
さすがに鬼界に無数に蠢く鬼たちとはいえ、鬼を束ねる最強種たる大業鬼は数が限られている。死体を蘇生できねば、毎週百鬼夜行などできるわけがない。
無論、如何な蘇生でき、戦力が再利用できようともそれで地上が侵略できるわけではない。
そう、それは鬼たちの中でも歴代最強であると評して異論のない、魂鎮めの剣聖たる雅人がいたからだ。
雅人がいたからこそ、夜想国の平和は守られていた。
鬼の軍勢を千や万と送り込んだところで現れる先から奴は殺す。あれこれと手管を回し、貴重な触媒を利用して結界を騙して実現させた鬼の大軍勢による三日三晩の大侵攻すら、あの男は堪えることなく弾き返した。
それに一度は、地上に顕現させた鬼王の一柱すら屠っている。地上を七度灰にする力を持つ鬼の神すらもだ。
大呪術師の老人は胸中で呟いた。龍頭雅人、敵ながら恐ろしい存在だった、と。
無双の剣技で如何な強力な鬼であろうとも一刀の元に斬り殺し、こちらの攻撃は攻撃回復防護とそれぞれ強力で多彩な術式で完全に防ぎ、術式化した歴史や伝承を背負うことで自らを強化していく歴代最強の剣聖。
そしてその傍らに立つ二人の姫。
鉄刀の生まれだというのに数多の戦いで神刀にまで鍛え上げられた、不壊と絶刀の権能を持つ鉄姫。
雅人の膨大な霊力で大雑把に広域大炎上術式を用いたとしても、霊脈を全く損なうことなく、魔性だけを焼く稀代の制御能力を持つ至高の術具たる夜姫。
加えて、雅人は霊地の霊草や大業鬼の角などで自らの寿命を延ばす霊薬すら作り出している。
寿命勝ちすら難しいのだ。
武力で勝てなかったのは残念だったが、と鬼たちはあの鬼神がごとき男を懐かしむ。
だが、これは鬼の勝利だった。
半壊した結界を通って現れる鬼の大軍勢を前に、一歩も引くことがなかったあの武人を、謀略とはいえ、大龍穴から追い出せた。
――そう、全て、この老鬼の神算鬼謀であった。
「先見の明あり、でしたな。ええと、剣聖にかけたのは、評価と名声のすり替え、でしたか?」
「うむ、人物から受ける魅力、印象もじゃな。それら全てはあの焔桜島という土地自体にかけた呪術よ。あの剣聖が双子であったことから考えだしたのじゃ。儂は本来剣聖が得ていたはずのそれらを、双子の術式を用い、
殺害はできなかった。剣聖を殺すような強力な害意のある呪術であれば、大結界もそうだが、夜想家が防ぐ。
ゆえに無害なすり替えの術式を用いたのだ。
無論、大呪術師が用いたのはそれだけではない。
忘却、隠蔽などの術式を駆使し、周囲がすり替えの違和感に気づいても、すぐに忘れて日常に埋没するように工夫を凝らした。
なお、雅人の活躍の痕跡や、百鬼夜行の存在が大事にならなかったのもこの辺りの工作のせいである。本来がゴミの塊である弟の評価と入れ替えられていた矛盾を成立させるために雅人の活躍を人々は大したことは起きていないと思い込まされたのだ。
雅人が優秀すぎたのも仇になった。
完全に被害を防いだことで
いっそ大量に人が死ねば、人々も人的被害を中心として、何かがおかしいと異常に気づけただろうに。
「おお、さすがは大呪術師殿。刀姫の契約と次代の強力な剣士を産む姫どもの腹を
「うむ、うむ。これぞ我が計った無数の計略の中でも、もっとも得難き成果を産んだ鬼謀よ。我らが鬼の宿敵たる雅人よ、お主との知恵比べもこれで幕。大陸に出たのだ。良き縁も、良き思い出もない土地たる夜想国陥落までにお主が戻ってくるようなことはあるまい。カカカ、十年に渡る大勝負。儂の勝ちじゃ……!」
大呪術師は嘆息する。
今までも小鬼に扮した改造大業鬼や、周辺環境を人間が生きていけぬ毒の瘴気で満たすガス鬼、偉大な人間の大剣士の死体をベースにした剣豪大鬼などを生み出して剣聖雅人を苦しめてきたが、結局、雅人を仕留めたのはもっとも労力を掛けた本命の策であったかと。
大呪術師は、もはや見えぬ遠方に去っていく宿敵の反応を水晶越しに見送る。
術式の効果範囲から逃れた雅人は本来の名声と評価を得ていくだろう。その中で自分に掛けられていた呪術の真相にもたどり着くかもしれない。
だが、夜想国が滅びるまでに帰ってくることはない。鬼たちもそこまで悠長に時間をかけるつもりがないからだ。海を隔てた先の雅人に、百鬼夜行の情報と、魂鎮めの剣聖の真相が伝わる前に夜想国は鬼の全軍を持って、陥落させる。
一度に通れる百鬼夜行は今準備させているものだけだが、無論それで終わりなわけがない。送り出した鬼たちに大龍穴周りを汚染させ、半壊した結界を完全に破壊すれば今度は大業鬼以上の脅威たる鬼王や、鬼神も触媒の消費もなく、地上に顕現できるようになる。
鬼たちは地上に顕現し、美しい刀姫や武家の姫たちを辱め、犯し、食らうことを想像し、よだれを垂らす。
そんな中、大呪術師はかつての宿敵の行き先を想って、祈りを捧げた。
「くく、雅人よ。宿敵たるお主に幸あれとは言わん。だが、広き大陸で、良き戦いに満ちた生涯を送るがいい」
その先で、今まで得られなかった栄光に浸ることで輝くか腐るかは雅人次第だ。
願わくば、派手に戦って、派手に散ってくれと鬼の大呪術師は宿敵の栄光と破滅を願うのだった。
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