死神ケイトは白い夢の中
鳴杞ハグラ
第1話
「お聞きします。来世では、どんな人生を歩みたいですか?」
――――――。
「わかりました。天界の神に伝えておきましょう。魂に刻んでおきます。」
死神と人間が会話できるのは、人が死んだあとのわずか三分間だけだ。
人の命は、輪廻に帰る。
生まれ変わった後、どのように生きたいのか。大切な人は誰なのか。
天界に魂を届ける際、死神が死者の希望を伝えるための、大切な会話だ。
けれど、必要以上のことは語らわない。
理由はわからない。
――それでも。
僕は、つい考えてしまう。
どうして人は生まれ、死ぬのだろう。
仕事終わり、病室の白いカーテンが揺れる窓際で、つい座ってしまう。
固そうなベッドの上でずっと眠り続ける女の子に、思わず語りかけてしまいそうになる。
「今日も、天気がとてもいいよ」
なんて。
壁際には中学のセーラー服のすそが、そよ風で揺れている。
それでも、彼女が目覚める様子はない。先週からずっとだ。
「じゃあね。また近くで仕事があったら来るよ」
僕は、握りこぶしほどの光る魂を手に倒れ、落ちてゆく。黒い厚手のローブをはためかせる。
本当は、もう少しあの子のそばにいたかった。
でも、これ以上人間に情をわかせてはいけなかった。
あくまで、死神がかかわっていいのは、魂を狩るときだけなのだから。
そう思えば思うほど、胸の高鳴りはおさえられなかった。
数メートル落ちたところで、背中から光の大きな翼が生えてくる。
翼は大きく羽ばたき、最近急に伸び始めた身体を天空に突き上げた。
「よぉ、ケイトじゃん。今仕事帰り?」
となりで、知っている声が聞こえてくる。
同じくローブ姿に翼をはやした死神、トーマ。しょっちゅう仕事帰りに出会う。
「トーマこそ、きれいに狩れたの?」
ぶっきらぼうに僕はたずねる。成績優秀なトーマが狩りに失敗するはずなんかないのだから。
トーマは金髪を風になびかせながら、にんまり笑った。
「もちろんだよ! 狩る直前には、おじいちゃんともたくさん話せたさ。ちゃんと来世でも奥さんやお孫さんと一緒に幸せな生活ができるように、輪廻に帰すよ。きっとあの優しいおじいちゃんなら、天界もそれをゆるしてくれるはず!」
「そっか……」
トーマの声は、ちょうど僕らが飛んでいる快晴の空のようにすんでいて、明るかった。
「……なぁ」
つられて、僕は声をもらしてしまう。
トーマはやっぱり飄々とした雰囲気でこちらを見ていた。
「結局さ、人間の命って何なんだろうな。生まれては死んでゆく。普通に考えたら、何の意味もなさないサイクルを繰り返しているだけだ。どれほど憎みあっても、愛し合っても、積み重ねられた感情はリセットされて消えてゆく。まるで生きた証を天界が隠したがっているようだ」
少しの沈黙が流れる。
風が冷たく吹き付ける。そよ風でも八階ビルより高くなれば、死神とはいえ痛みをともなう。
でも、風の温度に僕の頭も少しずつ、少しずつ冷やされる。
そうして、気づく。
「あ、ごめん。僕、何言ってんだろうな」
「いや、別におまえはおかしいこと、一つも言っていないよ。俺だって気を抜けば同じようなことを考えるしさ」
「というと?」
「人間はさ、母親のおなかから生まれて、成長して……そして死んでゆく。でも俺たちは気が付けばこの姿を与えられている。見た目が変化することはない。けれど天界の命令で人間の命を狩りに行く。どうしてだろう」
「……そういえば」
忘れていた。僕たちはどこから来たんだろう。
死ぬことってあるのかな?
人間の死はたくさん立ち会ってきた気がする。
でも、僕たち死神の死はいつ来るのだろう。
そもそも『神』という字が付きながら、そのくせ天界の住人たちにつかわれている毎日だ。『水の神』や『火の神』のように『死』をつかさどっているわけでもないのに。
「まあ、考えるだけ野暮かもしれない」
トーマはあっけらかんと笑って見せた。
「考えて、答えを見つけたところで俺たちの生活は変わらない。天界に呼ばれて、人の命を狩って、休むために意識を失う。今はまだ、それでいい気がするんだ」
「……そうかもしれないな」
うす黒い雲の割れ目から、放射状の白んだ光が幾本も差し込む。
展開への入り口だ。
光の中をくぐっていくと、意識がなくなっていく。
次に気が付くのは再び仕事が入ったときだけだ。
「じゃ、また仕事が一緒に来たら会おう」
手を振りトーマは、背中の大きな翼で飛び上がる。
「ああ。まあ、じきの話だけどね」
僕も彼に続いて飛び上がる。
すぐに頭の中がふわふわとして、体と心が離れていく感覚におちいった。
真っ白でどこか冷たくて、それでも肌に触れると温かな光はとても気持ちがよかった。
「恵斗(けいと)くん。ねえ、起きて」
ふと、どこか懐かしい声に呼ばれて目を覚まされる。
その姿を見て、さらに目がさえる。
「君は……病室の女の子!」
周りを見ても、天界の入り口と同じ真っ白な世界。それも四方八方だ。
でも、目の前に立っているセーラー服姿の女の子だけは色鮮やかで、美しかった。
女の子はカラカラと軽く笑っている。
「やだなぁ。もしかして私のこと、忘れちゃったの?」
「えっ。僕たち、どこかで会ったことがあるの?」
「そっか。本当に忘れちゃったんだ……」
女の子はまっすぐなセミロングの髪を揺らして寂しそうな表情を浮かべた。
慌てて僕は取りつくろう言葉を探す。
『ずっと、君が眠っている姿を見ていたよ』?
『早く目を覚まさないかなって思っていたんだ』?
だめだ。どれも魂を狩る死神が言っちゃダメな気がする。
「――名前、聞いてもいいかな?」
余計にダメなことを聞いてしまった。
この子には嫌われたくないのに。
あれ? でも、どうしてそんなに嫌われることを恐れているんだろう。
人間は魂を狩る対象でしかないはずなんだ。
女の子はやっぱり悲しげだった。それでもはかなく笑って答えてくれる。
「咲良(さくら)。君の……ううん。何でもないや」
そんなこと言わないで。僕に教えてよ。
なんて言ったら、おかしいのかな。
ぐっと口をつぐんで、代わりの言葉を探す。
「……咲良さん、目が覚めたの? それともここが病院じゃないってことは、もう……」
咲良さんは首をゆっくり横に振る。
「大丈夫。どちらでもないよ。そうじゃなくてね、君がここにいるってことは、きっと夢の世界だと思うの」
「夢? 死神はそんなもの見ないはずなんだけど」
少し驚いたように、咲良さんは目を見開く。
「そっか! 恵斗くん、死神になったんだね。だからこんな黒魔法使いみたいなカッコをしているんだ!」
手を組んで、咲良さんは目をキラキラ輝かせる。
そんなにすごいのか?
「あのさ、咲良さんは僕が死神になる前のことを知っているの?」
勢いで聞いてしまった……。
でも、咲良さんはもう何も気にすることがないといったように大きくうなずいた。
「うん! だって、恵斗くんはもともと人間だったんだから。あ、実はここに来る前にも『神様』っていう人に『恵斗に会いたい』って言ったんだ」
「僕に?」
「一度だけ願いを叶えてくれるって言われたから。だから、もう一度だけ恵斗君に会いたいって願ったの。そしたらここにいた」
みるみると咲良さんの顔が真っ赤になる。すんでいた両目もうるんできて、大粒の涙がボロボロとこぼれる。
「どうして、どうして生きることをやめたの?」
「そんなこと……」
『ない』と言おうとした。しかし、心のどこかに引っかかりが生まれる。
どこからともなく、野太い男性の声が聞こえてくる。
生きとし生きられなかったものよ。
絶望の淵で我ら神を拒み、輪廻に帰られなかったものよ。
命狩るという、地上に残る理由を与えよう。
万能ではない神は、壊れた人生の続きを見せる術を持っていないから。
それでも、我らは生ける魂に寄り添いたい。
ゆえに、死してなお人に寄り添うため、生まれ直した君たちに『死神』と名付けよう。
ただ、生きる理由ができたらここに帰ってきなさい。
愛する人と、新たな魂で再会する勇気ができたなら。
再び巡り合う奇跡を知ったなら。
今度は狩られに行きなさい。
そうして、今度生まれる希望を『死神』に伝えてください。
悲しみの波は、穏やかな未来を知ることで凪となるから。
「ああ、思い出したよ。ずっと、君のことが好きだった」
だから、記憶がなくとも、君のもとに来てたんだ。
ずっとそばにいたかったんだ。
話したかったんだ!
パッと光だけだった世界が形作られていく。
揺れるカーテンに、真っ青な空。
殺風景なベッドと、花瓶に生けられた小さな花束。
そして、横たわる『咲良さん』の前には、優しい笑顔の『君』がいた。
「咲良さ……いや、咲良! 僕、僕……ごめん。君がいない世界なんて、どうしても受け入れられなかった。中学生なんてみんな病気になっても助かっていくのに。君だけが助からないって、見放されたようで怖かった。頭がぼんやりしていたんだ」
咲良はコクリとうなずく。
「――本当は、僕も死ぬつもりなんてなかった」
「わかっているわ。それほど恵斗くんが私のことを想っていてくれたんだって。私が眠っている間も、何度か来てくれていたくらいだしね」
「知ってたの?」
「なんとなくだけどね」
どことなく恥ずかしくなってくる。顔が熱くなるのが感じられる。
「それに、どうして急に神様が急に願いを叶えに来たのかも、わかっているわ」
知りたくもない現実。
僕にとっても、きっと咲良にとってもだろう。
でも僕は死神として、受け入れなければならないことも知っている。
「……ごめん、僕、最期まで君の支えにはならなさそうだね。でも、一つだけ抱いていた希望があったんだ」
一息吸って咲良を見つめる。
手元に大きくて黒い鎌が現れる。
鎌を握りしめて、僕は咲良に告げた。
「もし、生まれ変わったら。いや、何があっても、もう一度君と巡り合いたい」
咲良は満面の笑みで駆け寄り、僕を抱きしめてくれた。
「もちろん!」
涙が落ちる。かつてないほどの感情が高ぶっている。
でも、悪い気はしなかった。
命を狩れと、天から命令が聞こえてくる。
僕は震える声で咲良に尋ねた。
「死神としてお聞きします。来世ではどんな人生を歩みたいですか?」
咲良はさらに強く僕を抱きしめ、耳元でささやいてきた。
「私は――」
僕は鎌を彼女の背中につきたてた。
(完)
死神ケイトは白い夢の中 鳴杞ハグラ @narukihagura
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