雨の日

花月夜れん

「嘘でしょ。もう信じられない……」


 髪が湿った空気を吸ってぺっとりしている。私の手に傘はない。家まで徒歩二十分。目の前で無情に降るのは紛れもなく雨だった。走れば十分じゅっぷんかもしれないけれど、どう見たって無事に濡れずに帰るなんて……無理。

 空を見上げる。どこまでも黒い雲が広がっている。そうそうやみそうにない。


「朝、母さんの言うとおりにすれば……」


 母さんはテレビの情報で前もって言っててくれたのに、大丈夫って飛び出したのは自分だ。朝練に間に合わないと急いでいたから。

 だから、皆いそいそと帰っていたんだ。傘がない人は降ってくる前にと。

 私は、友達と次の遊びの約束の話をしていた。まあ、その友達たちは普通に帰っていってしまった。

 傘の数が足りなくて、私は遠慮してしまった……。

 誰か入れてくれる人いないかな。まわりを見回したところでそんな都合がいい人なんて――。


「どうしたの? 美波みなみ


 嫌な声がする。伊藤美波いとう みなみは私の名前。そして、私を呼び捨てしてくるのはただ一人、七海葉ななみ よう。隣に住む、七海家の三男。

 後ろでニヤニヤしているであろう男の顔を見るのは嫌だけど、強がりながら私は振り返った。


「あー、教室に傘忘れてきたみたい。取りに行かないと」


 同じようにぺっとりした短髪の男は思った通り笑ってた。あぁもう、そんなに私がしょぼくれてるのが楽しいですか?


「さっき通ってきた廊下に全然傘は無かったけど?」


 う、何見てるのよ。もう、なんでよ!!

 どうせ、知ってて聞いてるんでしょ?

 ホント、イジワル。会いたくないのに、なんでこんな時に会うんだろう。


「折りたたみ傘だから、机の中にあるの!! ホントなんだから!!」

「……へぇー」


 その笑い顔、信じてないんだろうな。そりゃそうよ。嘘だもの。自分の嘘の下手さに唇の端がピクピクしてしまう。


「今から取りに行くんだからね!」

「そっか、じゃあね」


 葉は笑いながら手を降る。片手には傘を持っている。

 入れて欲しいなんて言えるわけない。だって――。


 私は一週間前に彼と別れたのだから。


 ◇


 雨の音がまた一段と強くなる。全部降って、雲の中空っぽにならないかな、なんて考えながら歩く。

 自分の机に行く前に通る葉がいつも座っている机。

 通り抜ける時、いつも言ってくれていた言葉を思い出してしまう。


「美波、大好き」


 学校では絶対に見せない顔。二人っきりのデートのときだけの葉。

 私は後悔している?

 あの笑顔が、他の人に向いてしまうのだろうか。


「美波ちゃん、幼なじみだよね?」


 彼を好きになったのは、私の友達だった。


「え、あ、うん。そう、隣に住んでるヤツ」


 学校ではこれっぽっちも構ってくれない。だから、私も言い出せなくて、隠してた。


「葉君、どんな女のコが好きかな?」

「えー、直で聞きなよ」

「無理無理!! お願い、聞いてきてよ」


 私です、なんて言い出せる雰囲気でもない。彼女、江月柚えづきゆずは本気だ。

 柚との付き合いは葉との付き合いと比べればとても短い。だけど、学校でいつも一緒にいてくれるのは柚だ。

 彼女は私のいるグループで一、二のリーダー的存在。

 断れば、高校生活が面倒くさくなることは目に見えている。

 学校では驚くほど他人になる彼氏と学校の友達。

 私は天秤にかけてしまった。傾いたのは――。


「いいよ」

「え、本当!? なら、今付き合ってる人もいるかどうかも聞いてきてよ」


 私は彼を取らなかった。信じてあげられなかった。


「葉、私と別れて――」


 ◇


 雨の音が少しやんだように思える。


「今なら帰れるかな」


 時間をつぶして葉に追いつかない位の間をあける。

 玄関へと歩き出した。


「……なんでいるの?」


 そこに葉がいた。


「一緒に帰ろうと思って」


 彼は笑っていた。


「傘あった?」


 私は無言で首を振った。


「……なかった」


 負け惜しみだ。最初からないのだから。


「良かった。なら一緒に帰ろうよ」


 友達にその笑顔が向いてしまうのだろうか。だけど、それは私が選んだ未来だ。


「お願いします」

「ん」


 二人っきりなら優しいのだ。彼は――。

 どうしてこれを学校でもしてくれなかったのだろう。

 雨の中、傘をはんぶんこして帰る。彼の片方の肩が濡れている。傘の傾きがこちらに向いている。たぶん、私が少しでも濡れないようにとしてくれているんだろう。


「ねぇ、葉」

「何?」


 口が勝手に動こうとするのを私は必死に抑えた。


「…………撤回はないから」

「うん」


 雨の音が小さくなる。同時に家が見えてきた。


「ありがとう。助かったわ」

「オレはまだ、別れるって頷いてないから」


 聞こえないふりをして私は家の玄関に走った。

 頬を雨が流れていった。


 ◆


「好きです」


 中学の卒業式。知らない女子に告られた。スポーツ系の部活だろうか。短い髪と日焼けした肌が印象的だった。

 だけど、オレは好きな人がいたからきっぱり断った。

 その女子は泣きながらいなくなった。


 次にその女子に会ったのは高校だった。短かった髪を伸ばし始めたのか少し長かった。そして、その女子は好きな人の隣に立っていた。

 数人でオレの好きな人を取り囲む。別に脅そうとしている訳ではなく、ただ仲良くしようと連絡先交換をしていただけだ。だけど、オレはなんとも言えない気分になった。


 ◆


「付き合う?」

「え、もうオレ達付き合ってなかったの?」

「え、好きって言ってもらってないし」

「美波、大好き!」

「……おそい。まあでもいいよ。付き合おう」


 よく一緒に遊びに行っていた。あくまで友達の延長。

 だけど、高校のある日、美波の一言のおかげでオレの恋は進めた。だけど、待っていたのは――。


「美波ちゃーん、これ教えてー!!」

「何ー? あー、これはね」


 仲良しグループ。その一人はオレに告白してきた女子。名前はまだ知らない。名字だけ羽石はねいしだと知ったあの女子。

 羽石はグループを率いるリーダーのように見えた。もし、オレと美波が付き合っていると知られたら。

 自意識過剰かもしれないが、問題が起こりそうなことは避けたい。


「ね、なんで学校では無視するん?」

「え?」


 美波に聞かれてもオレは笑って曖昧に誤魔化した。学校での友達といる笑顔を奪いたくなかった。

 オレが好きな相手が美波だと知れたら、何か言われないか。友達グループから外されないか。そんな風に考えてしまった。


「学校では友達と遊ぶからいっか……」


 少しずつ、美波との距離が開いていくのを感じる。

 別れようと切り出された時、オレは後悔した。

 気にしすぎたのかもしれない。彼女のグループへの依存度は高くなっていた。

 気にせず、学校でも付き合っている事を出せばよかった?


 ◆


 大学は彼女と違う学校にした。

 これで、学校の事を気にせず美波に好きだと伝えられる。

 まずは謝ればいいのかな。


 あの雨の日のような天気の帰り道。駅の屋根の下で雨宿りしながら空を伺う少し大人になった美波がいた。


「どうしたの? 美波」


 美波の手に傘はない。また天気予報を見るのを忘れたのかな。


「葉、……傘入れてもらっていい?」


 オレは頷いた。


 あの日のように傘を少し傾けて美波が濡れないようにする。


「傘、傾けなくていいから」

「あ、バレてた?」

知ってる。ありがとう。だけどまっすぐ持って」

「はいはい」


 長く一緒にいたいけれど、家まではそれほど遠くない。

 横にいる美波は何を考えているんだろう。

 これだけ近くにいるのに気持ちはわからない。


 家につく前に雨がやんだ。

 美波は苦笑いを浮かべる。


「もう少しはやくやんでくれたら良かったのに」


 でも、それだと美波に会えなかった。

 オレと違う気持ちだったのかと落胆する。


「会ったら、言わなきゃいけなくなるから」


 美波の唇がゆっくりと言葉を紡いだ。


「撤回、まだ出来る?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨の日 花月夜れん @kumizurenka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説