恋人以上同棲編

第43話 とびきりの変化は、お買い物その1

「えっと・・・野菜から選びますね?いいですか?」


平良のほうを振り返って、祥香が目の前の野菜売り場を指差す。


勿論異論なんてない。


満面の笑みでどうぞどうぞと手で示せば、照れたように祥香がこくんと一つ頷いた。


こんな仕草一つで胸がいっぱいになるのだから、どこまで自分は単純で安上がりな男なのだろう。


今日は土曜日で、時間はたっぷりあるし、この後の予定は何もない。


何もない休日ですら素晴らしいものになるのは、側に彼女がいるからだ。


冷蔵庫が空っぽなんです!と祥香から訴えられて、じゃあ一緒に買い物行こうね、と約束したのは金曜日のこと。


名古屋出張から戻ってからの、紆余曲折と波瀾万丈をどうにか乗り越えて、平良はめでたく祥香の恋人に昇格した。


思えばここまでの道のりは決して平たんとは言い難かった。


これまでの恋愛を振り返っても最難関の砦を落とした自覚がある。


普通は同居に持ち込んだら二週間後にはイチャイチャしてそうなものなのに。


そのあたりは真面目な性格の彼女のペースに合わせて、慎重に慎重に距離を縮めて信頼を勝ち取っていった。


なんだろうこの圧倒的な達成感は。


エベレスト初登頂に成功した人間はこんな気分になるのかもしれない。


とにかく、いまの平良は最高に機嫌が良い。


付き合って初めてのデートがスーパーってのも、なんか新婚みたいで楽しいじゃないか。


これぞ同棲の醍醐味である。


もうお付き合いをスタートさせたのだから、これは同居ではなくて結婚を大前提とした同棲だ。


お互いの性格も価値観も趣味嗜好もほとんど把握済みなので、後は最後の仕上げに取り掛かるだけ。


描く未来は無限大で、そのすべてが眩しいくらいに光り輝いている。


助手席に乗せた祥香も同じくご機嫌のようで、チラチラと平良の横顔を眺めては目が合うと弾かれたみたいに視線を逸らして顔を赤くしていた。


何それなんでそんなに可愛いのよ。


祥香の視線を感じるのが嬉しくて、いくらだって見てくれていいんだよ?と返せば、目を剥いた祥香が平良の腕を叩いてきた。


照れ隠しなのバレバレで、それもまた可愛いくて、また勝手に頬が緩んだ。


なんだこの幸せのエンドレスループ。


赤信号なら迷わすキス出来たのに。


休日の午前中にスーパーに来るのなんて初めてで、予想外に盛況ぶりに唖然とする。


みんな休みの朝からこんな活動的なの?いやまじびっくりだよ。


まあこれからは、俺も喜んで仲間入りするけど。


カートを祥香の手から外して、平良が押しながらしっかりとその横顔を視界に収めた。


もう二度と彼女の気持ちを見誤ったり見失うことはしない。


「好きなように買い物していいからね。祥香がいっつもしてるようにして」


「ありがとうございます」


寝起きの半覚醒状態の祥香からは想像も出来ないくらい、その顔が生き生きしてる。


ちゃんと出掛ける前に食材をスマホのテキストに書き込んでいた。


こういう几帳面さも祥香らしい。


スーパーの入り口に貼られているチラシも欠かさずチェックしていたし、何かもう買い物が板についている。


俺一人なら必要ないし、と思って新聞は取ってなかったけど、祥香がいるなら活用するんだろうな。


袋入りのピーマンを慎重に選んでいる祥香の頼もしい背中に問いかける。


「新聞取ろっか?」


「え?」


「これからずっとふたり暮らしだし、広告ある方が便利でしょ?」


ずっと、を強調したのは無意識だ。


言った後から気づいた。


人数が増える可能性は、あるかもしれない、ものすごく。


なら尚更やっぱり新聞は取ろう。


「便利ですけど、いいんですか?」


「勿論いいよー」


「嬉しいです!古新聞て結構使い道多いんですよね」


祥香が嬉しいならもう何でも即決だよ?


俺はとにかくきみを喜ばせたい。


そしてそれはこの先ずっと一生変わらない願いだ。


「じゃあ決まりね」


「・・・」


笑顔を返したのに、祥香が思案顔を向けてくる。


「どしたの?」


「人参買ってもいいですか?」


「ええ、そんな事気にしてたの?ごめんね、食べるようにするから、買っていいよ。ってか、祥香、そんな事で悩まないで!」


「だ、だって。好きな人の苦手な物知ってて出すのもなんかちょっと・・・でも、彩りは綺麗だし、栄養もあるし・・な、なんですか!?」


祥香が平良の顔を見て思い切り狼狽える。


そんな顔より笑顔が見たいと思うのに、欲張りな心は、色んな彼女を独り占めさせろと訴えてくる。


今の自分の顔がゆるっゆるのにやけ顔になってる自覚もある。


だってさ、好きな人って・・・・・・彼氏って言われるより、愛を感じるでしょ!


俺は祥香の好きな人、うん、正解、大正解。


人参サラダも食べられる気がする、何となく。


祥香があーんて食べさせてくれたら間違いなくお代わりするね、確実に。


頑張って食べた後は甘いきみの唇をご褒美に頂戴。


「祥香ぁ」


意図せず呼ぶ声まで甘ったるくなった。


まるでふたりきりの時みたいだ。


こんなとこでスイッチ入ると困るんだけどなぁ。


色々不意打ちを食らった平良のふやけきった思考回路では、とうてい平常心なんて保てない。


堪え切れずにもう一度聞きたくなる。


こういうのを何て言うんだっけ?


ああ、幸せボケとかゆーのか。


もう馬鹿でもボケでもなんでもいいや。


祥香の柔らかい唇の代わりに、キャラメルみたいにとろーり甘い声を聞かせて。


「俺のこと好き-?」


「お、お家に帰ったら答えます!」


お、新しい切り返しを覚えたね。 


絶対逃がしてなんてやらないけれど、こういう反応もまた可愛い。


とりあえず、彼女の言う事やる事全て可愛くて、平良は百点以下の札を上げられそうにない。


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