第37話 Love Affirmation  返却

「おいおい朝から盛大にぶすったれた顔だな」


「うっさいほっといて用事ないからあっちいって!」


パソコン画面から視線を動かそうとせずに言い放った美青の冷たい言葉を受けても、宗方の表情は何一つ変わらない。


離れるどころかさらに距離を縮めてきた宗方に、美青がギリギリまで椅子を間宮のほうへ寄せる。


けれど、すぐにサイドデスクに椅子のキャスターがぶつかって逃行き止まりになる。


菜々海が来たら、席変わってって頼もう、そうしよう、全力で!


意味のない事を考えつつ、近づいて来た宗方の腕を思い切りたたく。


遠慮もなにもないやり取りに、安心したように笑う宗方が憎らしい。


結局、終電間際まで傍についていた宗方が返ったのは12時過ぎだった。


拗ねてむくれて怒った美青は、見送りもしないままだった。


今だって盛大に怒っている。


朝一で打ち合わせが入っているので、資料確認の為に1時間近く早く出社した美青をすぐさま捕まえに来た事も。


当たり前のように行動が読まれている事も。


何一つ変わらない態度を通している癖に、時々不意にこうして距離を縮めてくる事も。


いきなり人のファーストキスを奪っておいて、何の悪びれもしなかった事も。


ああいうのは勢いとか雰囲気でするもんじゃないと思う。


思い出されたのは、間宮お勧めの王子様と恋に落ちる乙女ゲーム。


ステンドグラスが眩しい厳かな雰囲気漂う教会で告白を受けたヒロインが、王子様とキスを交わすドラマチックなシーン。


そう、ああいうのよ!


ともすれば呼び起こされる唇の感触を振り払うべく、今度は視線を手元に向ける。


抱える思いは色々あれど、仕事は待ってはくれない。


パワーポイントで作った資料の要点に蛍光ペンで線を引きながらプレゼンに合わせて表示する画面を確認していく。


無意識に、いつもより一往復多く塗ってしまった薬用リップのせいか、引き結んだ唇がやけに気になる。


すぐプライベートに切り替わる思考を引き戻して、グラフの横に番号を振った。


「いや、こっちが先だろ」


頼んでもいないのに、隣から資料を読み込んでいた宗方が美青の手から蛍光ペンを抜き去った。


走り書きで番号を振り直していく。


「入力番号の画面がこっちで、反転データがこっちだから、逆の方が・・ほらな、分り易い」


至極真っ当な指摘を受けたのに、面白くない顔になってしまうのは、全部宗方が悪い。


「なんだよ?」


異論があるなら聞くけど、と視線で問われて黙り込む。


あ、いま分かった・・・普通なのがむかついたんだ。


胸中はどうあれ、一向に態度に出ない宗方の変化。


戸惑いが一切感じられない仕草に、こっちばっかり振り回されているから物凄く損ばっかりしている気がする。


恋愛は対等じゃないのか。


思いを受け取って、返してのやり取りが恋だと思っていたのに。


これではまるで違う。


振り回されて、狼狽えて、心はざわめくばかりだ。


「むかつく」


「お前、昨日からそればっかりだな」


「原因はぜんぶあんただから。絶対寿命縮まったわ、どう責任取ってくれんのよ」


これまで日々穏やかに過ごしてきた美青には、高すぎるハードルばかりだ。


頬杖を突いて、美青の横顔を覗き込んだ宗方が、楽しそうに笑う。


幸せそうな顔すんな馬鹿、と心の中で罵っておく。


「あのな、橘。軽はずみでそういう事言わないほうがいいぞ」


「軽はずみじゃないわ」


「それなら尚更だ。俺を喜ばせるだけだから」


「何で喜ぶの」


精一杯すごんだつもりだったのに、どういう受け取り方をしたら好意的に見えるのか。


「責任なんて、いくらでも取りたいに決まってるだろ」


「・・・ば、ばかじゃないの」


開き直った宗方ほど強い者はない。


間宮が貸してくれた乙女ゲームは、どれも両想いになってハッピーエンドのものばかりだった。


その後の事なんて、誰も教えてくれない。


でも、ひとつだけ分かる事がある。


多分、このフワフワした感情は、ずっと消えずに美青の心にあり続ける。


浮いたり沈んだりを繰り返して、美青の身体を支配していく。


”乙女心”というヤツだ。


したり顔の宗方も、少しくらい動揺してくれたらいいのに。


そうしたら、少しは対等だと思えるのに。


書き換えられた資料を束ね直していると、部長が入ってきた。


早くからご苦労さん、と手を上げる上司に、資料チェックをして貰いに席を立つ。


その瞬間、宗方の頬に唇で触れた。


がたん!


勢いよく仰け反った宗方を見下ろして、勝ち誇った顔で呟く。


「返して貰っただけだから」


完全不意打ちのファーストキス。


「そっちじゃねぇだろ!」


すぐさま飛んできた宗方のツッコミは無視して、美青は意気揚々と歩き出した。

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