リメイド〜作り替えられた者達は〜
間木マキ
透明な俺と、不透明な彼女と
第1話 透明人間と視える彼女
決して人通りが少ないわけでは無い昼下がりの公園。
中央にどっしりと構える噴水は、待ち合わせ場所としては最適だ。
例に漏れず、そこには誰かと待ち合わせ中らしい女性の姿が見受けられる。
「おにーさん、何してんの?」
そして、そんな女性の目の前でひたすら変顔をしている男がいれば、普通はこのように声をかけられる。
だが俺はその時心底驚いていた。
なぜかと言えば、声を掛けてきたのは女性の待ち合わせ相手ではなく、ましてや警察でもなく、学生服の女の子だったからだ。
想定外の状況だが、このまま驚いてばかりではいられない。
それに俺以上に待ち合わせ中だった女性も驚いていて、「お、お兄さん?」と漏らしながら疑問と怒りが入り混じったような顔で少女を凝視している。
しかし当の女子高生は女性には目もくれず、真っ直ぐ俺の腕を掴もうとする。
「離れないなら警察を……」
「ちょっと来い」
俺はその手を避け、逆に少女の手首を掴む。
できる限り不自然に見えないように彼女を別の場所に連れて行くためだ。
しかし、こちらの苦労を知らない彼女は必死でそれに抵抗しようとする。
「ちょ、何すんの。離しむぐっ!?」
「一度黙って周りを見ろ」
「なっ……!」
喚く彼女の口を空いている方の手で塞ぎ、半ば脅すような低い声でそう言った。これ以上の被害を増やすわけにはいかない。
状況を飲み込もうとせずに始めは抵抗して手の中で口をむぐむぐさせていたものの、少し落ち着いて一度周りを見渡すとわかりやすく頬を赤くしていく。
それもそのはずだ。周囲の視線は俺ではなく彼女一人に向いているのだから。
それ以前に、二十代男性が女子高生の腕を掴んで口を塞いでいるという状況で誰も飛んでこないことに疑問を持つべきだ。という正論は一旦置いておいて、口を塞いでいた手をゆっくりと離す。
「わかったな」
無言で小刻みにうなずいてはいるが、結局何が起こっているのか全く理解できていないのだろう。彼女は俺の方へチラチラと視線を送っているが、「見るな」の一言でそれもやめさせる。
できる限り不自然にならないように歩いてはいる。それでも彼女に集まっていた視線が全く無くなるわけではない。
早く人目が無いところに動かなければ、と歩みを早めつつ思考を巡らせる。
まず外にいることは得策ではない。人目があるということで言えば店内もダメ。人目は少ないだろうが路地裏などは論外だ。彼女の身に危険が及びかねない。
色々と思案していくと、選択肢は徐々に絞られる。
宿泊施設ならば誰にも見られないし安全だ。しかし未成年が一人で休日の昼間に予約無しで来るとなると、受け入れられるかどうか危うい。目的の違うホテルなら近くにあるが、それは俺の信用に関わってしまうので非常にまずい。
そこまで考えると、選択肢はもうほとんど残っていない。
俺は意を決して彼女に正直に伝える。
「俺の家でもいいか」
たっぷり悩んだ末の決断だ。ホテルに連れていくよりかはマシなはず。
何かしたいわけでは無いし、むしろ部屋に入れたくない気持ちの方が強い。
だが彼女の家にお邪魔するわけにもいかない。
ただ、この意図が彼女に伝わったかというとそうでもなさそうだ。
小さく頷いた彼女の頬は少し赤く染まっていた。何故だ。
***
俺が暮らしているのはとあるボロアパートの二階の一室。
どの部屋も家賃が低く部屋がそれなりに狭い。
ボロのワンルームで、玄関から入って左に台所、右に風呂と洗面所と、一人暮らしには申し分ない。ちなみに、大家の趣味でなぜかベランダがある。その分部屋を広くしてほしいというのは禁句だ。
ひとまず連れてきた彼女を、部屋中央に置いたちゃぶ台の傍に座らせる。
「待ってろ」
俺は備え付けの台所の方に移動すると、冷蔵庫からお茶を出して二人分をグラスに注ぐ。
戻る前にチラと彼女の方を見ると、行儀よく正座してそわそわと部屋を見回している姿が目に映った。
おそらく制服だろうが、必要以上に胸元の空いたブラウスも膝上丈のスカートも、俺にとっては目の毒でしかない。
「足を崩したらどうだ」
「あ、うん」
彼女の前にグラスを置きながら、俺も腰を下ろす。
唯一の座布団は彼女に使わせているため、張り替えていない畳がチクチクして少し痛い。
ぜひとも座布団君には今後二度と味わえないであろう柔らかさを堪能してもらいたいところだ。
それはさておき、話すべき本題がある。
「本当に俺が見えているのか?」
「?」
首を傾げた彼女の目は、「コイツ何言ってるんだ?」と語っている。
外であんなことがあったとはいえ、通常の思考回路を持った人間がすぐに理解するには難しいか。まずは状況を把握させなければ。
「携帯を持っているか? あるなら俺を撮ってみてくれ」
彼女は無言のまま取り出したスマートフォンのカメラを俺に向ける。
その画面を見た瞬間、彼女は目を見開いた。
それから画面と目視で俺を交互に見て、声を漏らす。
「……マジ?」
「マジだ」
「なんで?」
「わからん」
「アタシだけ?」
「お前だけだ」
足りない言葉はそのままに、淡々と答えていくと、彼女は一度大きくため息をついた。
それからしっかりと俺に目を合わせて、意を決したように改めて口を開いた。
「だからアタシで童貞捨てようとしたんだ……」
「違うが?」
何故そうなった。
確かに家に連れていくことを決めた時点で、そう思われる可能性は危惧していた。
だが、透明人間であることまで伝えた上で何故そうなった。
「だってさっきからアタシの胸ばっか見てんじゃん。ってか、おにーさん、視線エロいとかよく言われない?」
「体を見ているように見えるのは、正面から目を合わせたくないからだ。そしてそんな事を言うような異性の友人も俺にはいない」
「あ、なんかゴメン……」
言葉にするだけ自分の交友関係に虚しさを感じて、俺はさらに視線を下方へと落とす。
空気を察して一度は謝ったものの、俺の沈む気持ちをわかっているのかわかっていないのか、「でもでも、」と彼女はさらに畳みかけてくる。
「ちょーどいいじゃん? ホントはちょっとぐらい考えたけど日和って襲い掛かれなかったんでしょ? アタシは初めてじゃないしさ。ほら、JKとできる機会なんてこの先無いよ? 見える人じゃないとダメでしょ、本当に無いよ?」
「だから、しないぞ」
童貞に優しいギャルなどという幻の生き物は、フィクションの世界にしか存在しないはずだ。
というかコイツ勝手に人を童貞扱いしてるな。まあ童貞だけども。
「ねえ、本気? JKだよ? ギャルだよ? アタシ結構可愛いと思うんだけどな」
確かに、平均よりは上なのだと思う。あと胸もデカい。だがそれだけだ。
ライトブラウンの髪も外で見たときよりも暗い部屋に明るく映えて、あどけなさが残る顔立ちによく似合っていると思う。しかし、それだけだ。
ギャルは怖い。だが、嫌いではない。
しかし、現代社会は何をしても許してくれる場所ではない。
「そういうことはしない。ちなみに法律違反だ」
二十代前半で前科は欲しくない。むしろ一生まっとうに生きたい。
きっぱりと言い切れば、余程のことがない限り相手も諦める。彼女は「そっかあ」と笑い混じりに呟いて机に突っ伏した。
イマドキと言うのか、なんなのか。
貞操観念の低さはさておき、言葉の端々や仕草一つ一つから若さが溢れ出て目が眩む。
それに、俺が透明であることをすぐに受け入れる頭の柔らかさも、いくら話してもわからない大人とは違う。
そういえば、ギャルは自分の事をギャルと言うのだろうか。……言いそうだな。というか言っていた。
ところで、自分の姿が見える人間は貴重だ。何か頼み事をした方が良いかもしれない。
「そういうことはできないが、少し頼まれて欲しいことはある」
かなりおこがましいとは思うが、少しでもこの体の不便は無くしていきたい。そのためには誰かの助けが必要だ。
彼女は顔を伏せた状態からチラっと目線だけこちらに送る。
「メンドクサイのはヤだよ? あと、アタシのお願いも聞いてほしい」
「……わかった」
この特殊な状況をわかってくれる人間がいることがまず奇跡なのだ。彼女の方も望んで俺が見えているわけではあるまいし、見返りはあってしかるべきだろう。
「で、何してほしいの?」
「ああ。本を買ってきてほしいんだ」
「本?」
聞き返してくる彼女に、俺は透明になる以前に書き留めておいたメモ用紙を一枚渡す。
文字がびっしりと書かれたそれを見ると、彼女は苦笑を浮かべる。
「お兄さん、字ィ汚いね」
「基本パソコンしか使わないからな。読めないなら書き直すぞ」
「だいじょーぶ。でも、なんで本?」
「この体のせいで書店に行けないんだ」
「ネットあるじゃん」
「ネットを使うと配送料がかかるだろう。この体のおかげで仕事もできないからな、最近はお金と非常食のありがたみを肌で感じている最中だ」
「そう、なんだ……」
そこそこ引かれているが、別に構わない。
透明になったせいで愚痴を言う相手もいなかったのだ。相手が年下であれど、この場限りは許して欲しい。
それからもう少しだけ愚痴を聞いてもらうと、少し心が軽くなった。
「もういい? だいじょぶ?」
気付けば、引いていた彼女もついに心配する始末である。
これが年下のママか、と言語化しやすくしてくれた先人たちに心の中で感謝を贈る。
全国の紳士どもよ、おいしい思いをしている俺を許せ。ダメか。
「ありがとう。かなりスッキリした」
「じゃあ、アタシのお願い聞いてね」
見返りと言えば『金銭』だ。目の前にギャルっぽい女子高生がいればそれが真っ先に浮かぶ。『体』という線もあるかもしれないが、ついさっき簡単に手を引いていったのでおそらくそれは無い。ついでに俺の陰キャ丸出しの容姿に何かを求めるとは考え難い。
だが彼女が提案してきたのは俺の予想の斜め上で。
「たまにここ来ても良い?」
「……?」
思考がフリーズした。
彼女の発した言葉の意味が全くもってわからない。
たまに俺の家に来ることが、どうして見返りになるのか。彼女の得になることなど何も、
「親とケンカしたときとかね? それにこれから先、そっちが頼みたいことも出てくるっしょ?」
出かかった言葉が喉元で止まる。
思えば決まった逃げ場が一つあるのは得なのかもしれない。
だがこれでは俺の方にメリットが大きすぎやしないか。それか、のちに弱みを握られるのではないか。そんな思いとは裏腹に、こちらを見下さない純粋な笑みを浮かべている彼女を信じてみたくもなる。
葛藤を続けていると、彼女は手を差し伸べてきた。
「困ったときはお互い様、でしょ?」
やはり童貞に優しいギャルは実在するのかもしれない。
今ばかりは目の前に座る年下の少女がママを超えて神様に見える。
気づけば彼女の手を取り、固く握りしめていた。
「おそらく長い付き合いになるが、それでもいいか」
「死ぬまでとかなら早めに責任とってね。あと手ェ痛いし」
言われて「悪い」と力を緩め、苦笑いする。
「責任は取りかねるが、お前にそういう相手ができたらサポートはしよう」
「そんときはよろしくね、おにーさん」
こうして、俺と彼女の協力関係が始まったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます