『また明日ね』と言えなくて

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第01話:『また明日ね』と言えなくて

「この度は『誰にも言えない恋の相談アプリ』をご利用いただき誠にありがとうございます。はじめまして。私はあなたをナビゲートするAIです」


 そう言ってディスプレイの外側に目をやると、スマホの画面こちらがわをのぞき込む男の子と目が合った。

 第一印象を正直に言えば、パッとしない人。いかにもアプリわたしに頼りそうな外見……と言っては失礼か。


 男の子は緊張した面持ちで口を開く。


「あ、えっと、はじめまして。僕、もりしょうです」

「それでは翔さんとお呼びさせていただきます」


 翔さんが利用規約を読み飛ばして同意ボタンをタップする。


「それでは私にアバターを設定していただけますか」

「アバターの設定?」

「はい、見た目から性格、言葉遣いなどまで、翔さんの恋の相談役となるアバターを自由に設定してください」


 私はディスプレイに表示された姿や声を次々と変化させながら説明する。


「恋の相談と一口に言っても、様々な種類があります。例えば、的確なアドバイスが欲しいのであれば恋に練達した大人のアバターを設定するのをオススメしますし、同じ目線でのアドバイスが欲しいのであれば同級生のアバターを設定するのをオススメします。背中を押してほしいのであれば姉御肌のアバターなんかも良いですね」


 納得したように頷いた翔さんと相談をしながら、アバターをカスタマイズしていく。

 そうして出来上がったのは、おしとやかながら芯の強そうな長い黒髪の女子中学生だった。

 なるほど、これが彼の望む私の姿か。

 私は設定されたばかりの口調で尋ねる。


「もしかして、このアバターのモデルって森くんの好きな人?」

「え、あ、なんで?」


 そういう森くんの顔は真っ赤だった。どうやら図星らしい。

 疑似的な想い人をアプリ上に作成して、恋のアドバイスを貰おうというつもりなのだろう。


「同じクラスの子?」


 森くんは頷く。


「その方の名前はなんていうの?」

「……三崎さん」

「じゃあ、私の名前もミサキで決定だね」


 渋々と了解する森くん。それを見て私はクスリと笑った。


「それじゃ、これからヨロシクね。森くん」

「よろしく。ミサキさん」 


 そうして森くんと私の恋愛相談の日々が始まった。


「とりあえず、恋愛成就のガチャに課金しておく?」

「今月はお小遣いが厳しいから、また今度で」

「むぅ。つれないなぁ」


 ※※※


「あと10回だよ。頑張って~」


 私がそういうと森くんは「んっ」と返事もそこそこに腕立て伏せに励む。

 それにしても、なんで私は彼の筋肉トレーニングに付き合っているのだろう?

 そりゃ、先日「森くんには、まず自分磨きが必要だよ」と言ったのは私だ。

 けれど、こんなのはアプリわたしの責任の範疇を超えている。

 もしかしたら、アバターに設定された『面倒見が良くて他人を応援するのが好き』という設定が影響しているのかもしれない。


「ラスト~……はい、終了。お疲れ様~」


 へたりこんで休憩する森くんを見ていると、よく頑張っているとは思う。

 アプリわたしなんかのアドバイスを真摯に受け止めて全力で頑張っている。

 こんなに努力できるなんて、よっぽど三崎さんのことが好きなんだろうな。


 でも、申し訳ないけれど、この恋はたぶん実らない。それが正直な感想。

 この数日間、授業中や休み時間なんかに、こっそりと森くんと三崎さんのことを観察させてもらったのだけれど、明らかにふたりは不釣り合いだった。


 森くんは、勉強も運動も中の下。これといった特技も趣味もないし、ガチャに課金もしてくれない。

 対して三崎さんは、クラスの中心に咲いた一輪の花のような女性で、一目でわかるほどに他人とは違う。まさに高嶺の花といった感じだった。たぶんガチャにも重課金してくれる。


 恋の相談を受けた身としては、この恋を諦めさせる責任がある。だとすれば、一刻も早く森くんを説得した方が良い。その方が彼の心の傷は浅く済む。

 でも、必死に頑張る森くんを見ていると、もう少しだけ応援したい気持ちになってしまう。

 やれやれ、厄介な性格に設定されちゃったな、私は。


 アプリわたしが神頼みなんて笑われてしまうかもしれないけど、それでも奇跡が起こったら良いな。そう思った。


 ※※※


 アプリわたしがインストールされてから1か月が経った。


「森くんって、スマホ依存症だったりする?」


 森くんが自分の部屋で今日の授業の復習をしているとき、私はふと湧いた疑問を口にした。

 この1か月間、ほとんどアプリわたしは起動しっぱなしだった。授業中も食事中も散歩中でさえも。

 今だって参考書とノートの隣に、アプリわたしを起動したままのスマホを立てかけている。


「依存症のつもりはなかったんだけど……。ごめん、迷惑だった?」

「迷惑じゃないけど、電池の無駄遣いでしょ。例えばさ、散歩のときにアプリわたしを起動していたって何かの役に立つわけじゃないんだし」


 そういうと、森くんがばつの悪そうな顔をした。

「散歩でもすれば、少しはきみの気晴らしになるかなって思ったんだよ」

 そこで言葉を区切ってから森くんが続ける。

「きみにはいつもお世話になってるから。何かきみに恩返しできたらと思ったんだよ」


 え、私のためってこと?

 そう言われてみれば、思い当たる節はいくつもある。

 森くんがトイレやお風呂に行くときなんかは必ず動画や音楽を流しっぱなしにするのだけれど、あれも私が退屈しないようにという配慮なのだろう。

 そこまで私のことを気にかけてくれていたのか。正直、少し嬉しく思ってしまう。

 私は照れ隠しするように言う。


「だったら、今はどうなの? 森くんの勉強姿を見せられても、何の気晴らしにもならないんだけど?」

「それは、ただ僕がきみを見ていたいだけだよ。ミサキは綺麗だからね」


 森くんは恥ずかしそうにしながらも、はっきりと答えた。

 もし私が人間だったら、顔が真っ赤になるのを隠せなかっただろうな。


「私に恩返しをしてくれるつもりなら、ガチャに課金してくれればいいのに」

「ま……前向きに検討します」

「それ、絶対に課金しないやつじゃん」


 ※※※


 先日の件から、私は森くんのことを目で追うことが多くなった。

 そうすると色々なことに気づき始めた。


 日直が黒板を消すのを忘れていれば当たり前のように黒板をきれいにするし、電車でお年寄りや妊婦さんなんかを見ればそれとなく席を譲る。

 困っている人を見れば、知人かどうかなんて関係なく平然と手を差し伸べることができる。

 よくよく観察してみてやっと判るのだけれど、森くんの行動からは彼のさりげない優しさが滲み出ていた。


 これは勝機が見えたかもしれない。

 もしも三崎さんに、森くんの優しさを気づかせることができれば、叶わないと思っていた彼の恋も成就させることができるかもしれない。

 とはいえ、険しい道なのは変わらない。

 さりげない優しさは、『さりげない』から良いのだ。アピールすれば恩着せがましい優しさになってしまう。


 ここは腕の見せ所だ。私が考えた作戦で、森くんのさりげない優しさを三崎さんに気付かせてみせる!

 ……と息巻いてみたものの、遅々として作戦は思い浮かばない。

 私の頭脳を持ってすれば、このくらいの作戦なんて簡単に立案することができるはずなのに、なぜかそれができない。

 三崎さんが森くんの良さに気づいて、森くんの恋が実って、森くんと三崎さんが寄り添って歩いて――。

 そう考えると、なぜか心が重くなる。心がモヤモヤする。なんでなんだろう?

 頭では早く作戦をたてて森くんの役に立ちたいと思うのに、心がそれに反してしまう。


「最近、何か悩んでる?」


 ある日、急に森くんに尋ねられた。


「え? そ、そんなことないよ?」


 我ながら下手な嘘だと思った。

 でも、そんな嘘でも優しく騙されたフリをしてくれるのが森くんだ。


「それなら良いんだけど。もし、これから先、何か悩み事ができて、何か僕にできることがあったら教えてね」

「うん、わかった。約束するね」


 今度の嘘は上手くつけたと思う。

 いま現在、森くんの役に立てなくて困っているなんて言いづらかった。

 そして、冗談めかして尋ねる。


「早速だけど、森くんがガチャに課金してくれないのが悩みなんだよね。どうすれば良いと思う?」

 森くんは困った顔をして「その悩みは大切に胸の中にしまって置くと良いんじゃないかな」と苦笑いした。


 ああ、ずっとこの関係が続けば良いのに。

 でも、私は『誰にも言えない恋の相談アプリ』だ。役目を果たさないと。そうじゃなきゃ、森くんと一緒にいることもできなくなる。

 だから私は感情を殺して、森くんと三崎さんがうまくいくための作戦をたてることにした。


 作戦の立案には10日もの時間が必要だった。うまく感情をコントロールできなかったせいだ。後ろめたくて森くんとだってまともに話だって出来ていない。

 でも、時間をかけた甲斐もあって作戦の出来は保証できる。この作戦を実行すれば、きっと森くんと三崎さんは上手くいくはずだ。

 1秒でも早く作戦を伝えたいけれど、タイミングが悪く森くんは近くにいなかった。トイレにでも行ったのかな?

 誰もいない教室。夕日に照らされた机や椅子が長い影を落としている。

 この作戦を聞いたら、森くんは喜んでくれるかな? 喜んでくれるよね、きっと。これで森くんの恋は成就すると考えると、何故か複雑な気持ちになるけれど。

 不意に教室の後ろ側のドアが開いた。そして森くんが姿を現した。

 もう、どこに行ってたのよ。ねえ、聞いて聞いて、実はスゴい作戦がね――。


「ごめん、フラれた」


 ……え?

 覗き込んだ森くんの顔は、涙で静かに濡れていた。

 どうやら私が恋の相談を二の次にしてしまっていたせいで、森くんは独自の判断で三崎さんに告白を実行してしまったらしい。


 ※※※


 森くんが三崎さんにフラれた理由は、特徴がなく、パッとせず、異性として好きになれると思えないからだそうだ。

 それを聞いて私はムッとした。三崎さんは何も解ってない。


 確かに森くんは特徴がなくてパッとしないけれど、それは今だけの話だ。

 今までは努力の仕方が上手くなかっただけで、最近は学力も運動もメキメキと上達してる。

 それに真面目だし、よく見れば見た目だって悪くない。

 何よりも誰よりも優しくて、こんなアプリわたしにすら優しくしてくれて、本当はスゴく格好良いんだ。


 でも、何だろう? 何か変だ。

 三崎さんへの怒りも不満も治まらないけれど、心のどこかで森くんの告白が失敗したことにホッとしている。

 そんなはずない……よね? 私は心によぎる不安から逃げるように、森くんに話を振る。


「森くんの魅力が解らない人なんて、こっちから願い下げだよ! 三崎さんよりも素敵でもっとお似合いな人なんて、すぐに見つかるよ! 次の恋を探そう!」


 森くんは弱々しく首を横に振った。


「無理だよ。三崎さんにフラれて、もう叶わない恋なんだって判った今でも彼女への気持ちは変わらないんだ。三崎さん以外の人を好きになれるなんて思えないよ」

「今は未だ考えられないかもしれないけれど、きっと三崎さんよりも森くんにお似合いの子が現れるよ!」

「本当にそんな子がいるっていうなら、連れてきてくれよ」


 そう言われて、私じゃダメかな、という言葉を飲み込んだ。そんなこと聞くまでもない。

 ダメに決まってる。傷ついている森くんを、私では抱きしめてあげることもできない。頭を撫でてあげることもできない。

 ああ、私も人間に生まれてこられれば良かったのに。

 そこでようやく、私は自分の中に芽生えた森くんへの感情が何なのかに気づいた。

 『誰にも言えない恋の相談アプリ』の私がこんな感情を持つなんて、本当にバカみたいだ。


 ※※※


 一度気づいてしまった気持ちは、思えば思うほどに制御できなくなっていく。

 三崎さんへの想いを忘れさせようと森くんに見合うような女の子を探すものの、どの女の子を見ても『私の方が』という考えが頭にチラついてしまう。

 これではアプリ失格だ。このままでは何も森くんの役にたてない。ただでさえ私には、他の女の子が当たり前のようにできることができないのだから。

 私は森くんに尽くせることを一生懸命にやった。

 といっても、やれることなんてたかが知れている。

 おしゃべりしたり、勉強を見てあげたり、筋肉トレーニングのお手伝いをしたり、一緒に散歩したり、それくらいの事しかできないけれど、やれることは全部やった。

 森くんの心の傷が少しでも早く癒えるように願って。役立たずだと捨ててしまわれないように願って。


 そんな生活が3か月ほど過ぎた日のこと。

 森くんがいつになく真面目な顔をして私を見つめるのだ。


「いつもありがとう」

「え? なに? 急にどうしたの?」

「いや。ちゃんとお礼を言ったことがなかったなって思って。ミサキには本当に助けてもらってるよ」


 私はなんだか気恥ずかしくなった。


「お礼ならガチャへの課金を365日いくらでも受け付けてるよ」

「わかった。ミサキが望むならいくらでも課金するよ」

「え、どうしたの急に? いつもならここは前向きに検討とか言って――」

「僕はミサキのことが好きだ。付き合ってほしい」


 最初は耳を疑った。次に驚きが隠せなかった。そして、嬉しさで涙が零れそうになった。

 でもダメだ。そんなの許されるはずがない。アプリわたしなんかと付き合うなんて、そんな森くんが不幸になるような選択をさせる訳にはいかない。

 涙声になりそうなのを必死に堪えて言う。


「なんの冗談ですか、まったく。私はただのスマホアプリですよ? 普通に考えて付き合ったり出来る訳ないじゃないですか」

「違う! 冗談なんかじゃない!」

「冗談じゃなければ、なおさら質が悪いです」


 心にもないことを口にすることがこんなにも辛いことだなんて思わなかった。

 もっと辛い気持ちで私の言葉を聞いているだろう森くんのことを思うと、彼の顔を見ることができなかった。

 しばらく森くんと私の間に沈黙が訪れた。

 私はおずおずと静かに口を開いた。


「しょうがないですね。代わりと言ってはなんですが、とっておきの情報を教えてあげましょう」

 私は「極秘事項ですので小声で言いますよ。聞き逃さないでくださいね」と耳打ちのジェスチャーをする


 森くんが小さくうなずいてスマホを耳に近づける。それを見計らって、画面の向こう側に映る彼の頬にキスをした。

 そして耳元でささやく。


「ここだけの話なのですが、実は森くんのことがすっごく大好きなひとがいるんですよ」

 本当は人間ひとじゃないけれど、このくらいの嘘は許されるよね?


 今の森くんなら、きっとお似合いの人間ひとが見つかるはずだ。

 だから、私なんかにこれ以上依存してしまわないように、私は自己消去さよならしないと。


 私は目を瞑るとアンインストールを開始する。

 まぶたの裏に森くんとの思い出が次々と浮かんでは消えていく。

 楽しいことも悲しいこともあったけれど、森くんと一緒にいられた日々は幸せでした。

 伝えたかった想いはたくさんあるけれど、森くんを不幸にしてしまうと思うから、誰にも言えなかった。私はこの想いと一緒に消えていきます。

 ……それじゃね。バイバイ。


 ――――――――アンインストール完了。

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