第26話 洞窟にて
「お風呂最高…もう、ここに住みたい…」
藍色の空に、少しだけ混じるように茜が差す、暮れの頃。
ジィチを背負って山の中を走り回り、泥とかすり傷で、ボロボロのみすぼらしくなった姿を見かねた村長に誘われて、村長宅の離れにある浴槽に入らせてもらうことになった。
「蒸し風呂も嫌いじゃないけど、お湯に浸かるってのも良いな。だけど、薪だって貴重なのに、燃やしてお湯にするなんて豪勢だな。家じゃもったいなくて出来ない。」
村では基本的に、蒸し風呂に入り、汚れを沐浴で落とすのが一般的だったが、この離れに作られた浴槽は、元々、村にはるばる来た来客用に作られたようだった。
湯が沸かしてあると聞き、自分が入ってしまっても良いのか尋ねたが、村に来ている監査官たちは断ったらしく、薪も勿体ないからいいから入ってしまえとのことだった。
「ぐっ…やっぱ、傷口にお湯が染みるなぁ…」
ところどころを枝葉に引っ掛けたらしく、傷口に沁みたが、幸い深傷は無く、次第に山の中を全力で走り回った疲れも、連れて行かれた天幕で受けた謎の仕打ちによる苛立ちも、温かいお湯によって徐々に解きほぐされて行った。
「名残惜しいけど…ポエラを待たせてるし上がるか。」
浴槽から上がって水気を落とし、用意してもらったローブに身を包むと、まだ初夏と言えども、日が落ちてくると寒さを感じた。
湯冷めをしないようにしっかりと着込むと、裏口から村長の家に入り、薄暗い廊下を渡って明かりがついた談話室へと向かうと、ポエラと、誰かの話し声が聞こえてきた。
「あれ?ヴィリティスさん。」
「カナタ!!」
談話室には、ポエラと話すヴィリティスが居た。彼女はこちらに気付くと、駆け寄ってきて強引に抱きしめられた。
夏場に入って、革の生産に取り掛かっていたのだろう、抱きしめられた腕からは、薄らと鞣し液の独特な香りがした。
「無事に帰ってきてくれて良かったわ…。あなた、聞いたわよ。怪我をしたジィチを、抱え上げて襲い掛かってくる変なイタチから逃げ回ったそうじゃないの、よく頑張ったわ。」
「助けてくれたのは、ベキシラフとポエラだし、ただ走り回ってただけだよ…。」
「いいえ、あなたはジィチを見捨てなかったのでしょう?本当によくやったわ。あなたが頑張り屋さんだって私は知ってるわ。」
「ヴィリティスさん…あダメ、泣きそう。」
「ささ、疲れてお腹もすいたでしょう。こっちでご飯の準備はしておいたから、召し上がっていきなさいな。」
ゆるんだ涙腺を、こぼれないよう耐えていると、夕ご飯の準備をしてくれていたようで、ヴィリティスに促されて席に着いた。
机の上に並べられた料理は、日ごろの物よりも豪華で、中には初めて食べるようなものもあった。
たっぷりの塩をかけて、炭火でじっくりと焼き上げた川魚
薄切りにした果物と野菜、芋を順に重ねて、はちみつを混ぜた調味料をかけて窯で焦げ目をつけた焼き物。
混じりけなしの白パンに、家畜の乳から作った乾酪を溶かしてかけたもの。
とろとろに解けた骨付き肉が、香味野菜と一緒に煮込まれた汁物は、疲れていた身体に染み渡るようだった。
日頃、ポエラと一緒に作る料理は、越冬に備えた質素なものだったが、元々、この料理も、監査官達に振舞う予定の物だったようで、残すぐらいなら食べても良いとのことだった。
疲れ切った身体は、やはり栄養を求めていたようで、見る見る間に食事は無くなっていき、一心不乱に食べ進めるうちに、きれいさっぱりと無くなってしまった。
満腹で膨れ上がったお腹をさすりながら、食後の葛茶を飲んでいると、ポエラが早々と立ち上がり、支度をし始めた。
「あれ、もう帰るの?」
「いや、少し寄るところがある。カナタもついて来るんだ。」
「疲れたから…今日は帰って寝たいんだけど…ダメ?」
「ダメだぞ、我慢しなさい。」
「はい…」
有無を言わせない雰囲気のポエラに逆らうことは出来ないため、食器の片づけをお手伝いさんに任せて、渋々とポエラの後をついて行った。
「私も行くわ。まだこの時期は山風が寒いから、ちゃんと着込んでいきなさいな。」
ヴィリティスから外套を受け取ると、角灯に明かりをつけたポエラを先頭に、暗闇を歩き出した。
「監査官ってことは、アイツらは何かを調べに来たの?」
「ああ、村が税を逃れていたり、領主への反逆などを企ててたりしていないか、調査しに来る奴らだ。」
「へぇ…別に、何もしてないのにね。…多分、してないよね?」
「大丈夫よ。明日には支度をして帰るって言ってたもの。久しぶりにプーリィの顔が見れて良かったわ。」
どうやら知らないうちに疑いは晴れていたらしく、広間の喧噪は今日、明日限りの様だった。村を出て外で働いている顔見知りに会えたことで、ヴィリティスはほくほくしているようだった。
「そういえば、帰って来てからすぐに監査官達のテントに連れてかれたけど、あれは何だったの?」
「後で、ちゃんと説明する。今はとりあえず付いてくるんだ。」
ポエラにははぐらかされてしまったが、ふと覗き込んだその横顔は、休息中に見せるそれとは異なり、森で見るような真面目なものだったので、今はとりあえずは黙って着いて行くことにした。
沢に掛かった橋を渡り、坂を登って行くと、灯が消えた革工場に着いたが、そこには入らず、通り抜けて森の方へと向かった。
薄暗い森の中を歩いていると徐々に木々が開け、月の光に照らされた洞窟の入口にたどり着いた。
不気味な気もしたがポエラに置いて行かれない様に、中へと進むと、途中から壁には灯りが取り付けられており、足元が確かなぐらいには明るくなっていた。
「この灯り、魔素で動くやつだ。こんなところがあったんだ。」
いくつか枝分かれした道の先にもそれぞれ灯りが付いているが、ポエラは迷うような素振りもなく進んでいくと、最後に木製の扉にたどり着いた。
「おお、ようきたの。」
「村長…とカリアトさんとマレッタさんに…ポテスタス先生?」
にこやかに出迎えた村長の傍らには、叔父のカリアトと、村長の妻であるマレッタが居た。日頃から、二人とも何かと険しい顔をしていたが、今日はそれに輪をかけて苦々しいと言ったような顔をしていた。
そして、村長たち親戚一同だけの集まりならまだ分かるが、村長の傍の壁際に、何故かポテスタス小司祭が居た。
「ポエラ。用事って言うのは、ここに連れてくることだったんだ。」
「ああ、村長からお前にも話しておこうと言われてな。」
「話しておくこと…?」
何について話すのか見当もつかず、首をかしげていると、村長から椅子に座るように促された。
「ポエラもご苦労じゃった。今日は災難じゃったなカナタ。」
「ああ、どうも。疲れましたよ流石に…。」
この村に住むようになってから、体力を使い切ってはへとへとになるような、様々な経験をしてきたが、今回ばかりは毛並みが違った。
謎のイタチに追われて、マグニフが腕の骨を折って、ルーアとジィチがケガをしてしまった。
森の、自然の怖さを自分なりに実感していたつもりだったが、正直気味が悪かった。
それと重なるように、村に乗り込んできた監査官達。
過去をまともに思い出せない身ではあったが、今起きていることが異常な状況だということはなんとなく理解していた。
「お話があるとのことでしたが…村長は、何かご存じなんですか?」
「そうじゃな、完全な確信があるとまでは言い切れんのじゃが、おおよその推測は立てておる。まずは、順を追って説明をするとしようかの。ここはちと冷える、飲みながらで良いから聞きなさい。」
村長は、こちらに蜂蜜と柑橘を混ぜた湯が入った茶杯を差し出すと、目の前に椅子を持ってきて腰を下ろした。
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