拝啓あの日の僕たちへ

夏野 ヒヨ子

あの頃の僕たちは

『あの頃のオレたちはバカだった。特にあの日は。オレは今日までずっと後悔を引きずったまま生きてきた。』



 そこまで書いて、日坂灯ひさかともるはペンを置いた。これは過去の自分に宛てた手紙だから、最後まで丁寧に書き上げようと決めていた。過去の自分と対話するように、灯は静かに目を閉じた。


 それは、中学卒業を間近に控えた頃の出来事。幼馴染みの植原悠一うえはらゆういち米本杏よねもとあんずとは同じクラスで家も近く、よく3人で一緒に過ごしていた。



『オレは米本杏が好きだった。』



 ある放課後、杏と風邪で欠席した悠一の家に見舞いに行った帰り道。


「もうすぐ卒業式かあ。卒業したら、なかなか今みたいには会えなくなっちゃうね」


 寂しげに呟いた杏のその言葉に、今しかないと思った灯は、思いを伝える決意をした。この時は、後先のことなんて考えていなかった。


「あのさ、杏」

「ん?」

「その……もしよかったら、オレと付き合わないか?」

「え……?」


 杏は驚いたような、何か複雑そうな表情で固まっていた。灯は静かに返事を待った。


「ありがとう、すごく嬉しい。だけど……ごめんね」

「え?」


 一瞬舞い上がりそうになった気持ちを抑えて、灯は聞き返した。


「私……他に好きな人がいるの」

「……そう、なんだ」


 咄嗟とっさにそれは悠一のことだと思った。だけど確かめるのが怖くて、それ以上は何も聞けなかった。


「本当にごめんね」

「いや、オレの方こそごめん。突然変なこと言って。今のはナシ、な? 全部忘れて」

「でも、今まで通り友達ではいてくれる?」

「そんなの当たり前だろ」



『悠一のことを裏切っているとも気付かずに、勢いで杏に告白したオレは見事にフラれた。でも今思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。』



 杏に告白したことを、悠一には言わなかった。あれから杏も灯も、何事もなかったように過ごしていたが、灯は杏の悠一に対する思いが気になって、時折不自然な態度になってしまっていることを自覚していた。そして卒業式前日、話があると言って悠一が灯の家にやってきた。


「灯はさ、杏のことどう思ってんの?」


 灯の部屋に入るなり、唐突に悠一が言った。


「え、どうって……」

「俺、明日杏に告白しようと思ってるんだ」

「……!」


 何となく想定はしていたものの、実際に言われると言葉が出て来なかった。


「灯はどうする?」

「オレは……」

「お前も好きなんだろ? 杏のこと」

「……でも、オレはいい」

「杏が俺の彼女になってもいいのか?」

「それは……。だけどオレは、杏と悠一と、今まで通り友達でいられるならそれでいいから」

「……そうか? じゃあ俺は卒業式の後、杏に告白する」

「うん。オレは家で報告待ってるよ。……なあ、悠一」

「あ?」

「上手くいくといいな」

「ああ。サンキュ」


 杏と悠一が付き合うなんて、想像しただけでも胸が張り裂けそうなほど辛かった。何となく結果は予想できたが、灯はただ悠一を応援するしかなかった。



『オレは何も知らなかった。杏の気持ちも何もかも。そして悠一のことも傷つけた。最低な人間なんだ、オレは。』



 卒業式が終わり、謝恩会の時間までの間、灯は複雑な思いで悠一が来るのを待っていた。悠一を迎えた時のことを考えていると、インターホンが鳴った。灯は大きく深呼吸してからドアを開けた。


「待ってたよ」

「……おう」

「とりあえず上がれよ」


 どこか元気のない悠一を部屋まで連れて行った。


「で、どうだった? おめでとう、でいいんだよな?」

「は? 何がめでたいんだよ」

「え、だって杏と……」

「俺はフラれた。他に好きなヤツがいるってさ」

「フラれた……? 本当に?」


 告白が成功するとばかり思っていた灯は混乱した。


「どういうことだよ。 杏も悠一のことが好きなんじゃなかったのか?」

「ふざけんなよ。お前何か知ってただろ。最近様子がおかしかったしな。杏が好きなのは灯、お前だ。本当はこうなることもわかってたんじゃないのか? だから俺に気を遣ったフリをして」

「違うよ! 杏が好きな人はオレじゃない。言われたんだ、オレも。他に好きな人がいるって。だからオレは、それが……」


 思わず悠一の言葉を遮って否定をしたが、逆に墓穴を掘ってしまい、それが悠一の逆鱗に触れた。


「ちょっと待て。まさか灯、先に杏に告白してたのか?」

「あ、いや、その……黙っててごめん」

「俺に黙って抜け駆けしてたってことか。お前、俺の気持ちも知ってたよな?」

「本当ごめん。つい勢いで告白したらフラれて、杏が好きなのは悠一なんだと思ったらなかなか言い出せなくて……」

「最低だな」

「……ごめん」


 2人の間に重い沈黙が流れる。しばらくして、悠一が低い声で呟いた。


「……まあいいや。俺への償いとして、共犯になるなら許してやる」

「……共犯?」

「タイムカプセルを掘り起こして、杏の手紙を読むんだ」

「は? 何言ってるんだよ。そんなことしていい訳ないだろ?」

「お前がやらなくても俺はやる。んで、やったことを全部お前のせいにするし、お前のことも一生許さない」

「ちょっと待て。何でそんなことするのかだけ教えてくれ」

「杏に言われたんだ。『私の気持ちは全部手紙に書いてあるから、10年後に教えてあげる』ってな」

「だからって……」

「杏の好きなヤツが誰なのか、灯は気にならないのか?」

「それは……」


 気にならないと言ったら嘘になるが、正直全く気が進まなかった。でも、激高した今の悠一を止めることはできず、灯は渋々頷いた。


「……わかったよ」

「よし。じゃあ今日の18時、校門前に集合な」

「けど謝恩会は? オレたち2人共行かなかったら、杏が怪しむんじゃないか?」

「なら途中で抜け出して来い。杏が会場にいることも確認できるからちょうどいいだろ。俺はもう行かないって言ってある」


 言葉から悠一の執念を感じて、灯は少し怖くなった。だけどやるしかない。覚悟を決めて、灯は杏と一緒に会場に向かった。杏は悠一に告白されたことは灯に言わなかったが、なんとなくいつもより元気がないような気がした。


 会が始まり、灯は悠一のことが気になってソワソワしながら抜け出すタイミングをうかがっていた。


「どうしたの灯、さっきから全然食べてないし、何か顔色悪いよ。もしかして体調でも悪いの?」


 そんな灯の様子を見て、杏がそっと声をかけてきた。チャンスだと思った灯は、嘘がバレるのではないかとヒヤヒヤしながらも、仮病を使って何とか会場を抜け出し、学校へ向かった。校門の前にはスコップを2本持った悠一が立っていた。



『やっぱりこんなことは止めよう。あの時、その一言が言えていたら、オレたちには違う未来があったのかもしれない。本当はきっと、何も知らないなら知らないまま、今まで通りの関係でオレたち3人が一緒にいられれば、それで良かったんだ。なのにオレは、全てを失った。いや、手放してしまったんだ。』



 周りに誰もいないことを確認して、灯と悠一は校庭の隅に植えられた桜の木の下に移動した。


「やるぞ」


 悠一の一声を皮切りに、2人は黙々と地面を掘り続けた。それから5分もしないうちに、缶の一部が露出した。表面の土を素手でどかし、蓋を開けると、まだ何の懐かしさもないクラスの思い出の品や10年後の自分に宛てた手紙が顔を出した。手についた土を払って、その中から杏の手紙を探った。


「あった」

「……本当に読むのか?」


 まだ躊躇ちゅうちょしている灯に対して、悠一はあっさりと返した。


「ここまでやって、今更何言ってんだよ。まあ、別に灯は読まなくてもいいけど、これを掘り返した時点でお前も同罪だからな」


 そう言って手紙を読み始めた悠一の顔から、だんだん表情が消えていった。


「悠一?」

「なんだよ、これ……」


 悠一は手紙を持って固まっている。灯もさすがにその内容が気になり、手紙を読むことに決めた。


「見せて」


 一点を見つめたまま悠一が黙って差し出した手紙に、灯はゆっくり視線を移した。


『10年後の私たちへ』


「これって……」


 思わず灯は悠一を見た。悠一は頷いて、続きを読むように促した。


『この手紙は10年後に、今の私の気持ちを灯と悠一に伝えるために書きました。でも、もしかしたら、その前に誰かに読まれてしまっているかもしれません。もしそうだとしたら、それは私が原因です。10年後の未来でも、私たち3人は一緒にいますか? 今と変わらない関係で、ずっと一緒にいられているのなら、私は嬉しいです。

 ……では、そろそろ告白します。

 私は、実は男の人が苦手です。みんなには、父親は単身赴任だと言っていましたが、それは嘘です。本当は、私たち家族を捨てて家を出て行きました。女性社員へのセクハラで会社をクビになったあの人は、次の仕事も探さずに毎日夜の街へ出掛けていき、借金までするようになりました。母と離婚した今は、何人もの女の人の家を転々としているそうです。私は、母を裏切った父親のことが許せません。もちろん、男の人みんなが同じだとは思っていませんが、男性だということを意識した途端、どうしても嫌悪感に襲われてしまうのです。たぶん一生、私に好きな人はできないと思います。でも私は灯と悠一のことが大好きです。2人共優しいし、いつも助けてくれるし、大切な友達だと思っています。だけど、それ以上の関係にはなりたくないです。私のことを女として意識されてしまったら、私はもう一緒にいられる自信がありません。灯、悠一、私と友達でいてくれてありがとう。これからもずっと、2人とは友達でいたい。それが私の願いです。

 私たち3人が、幸せな未来を生きていますように。

 20××年 3月7日 米本杏』


 読み終えた灯は、しばらく言葉が出て来なかった。手紙を書いたのは一週間前で、この時はまだ杏に告白していなかった。今日までの間、杏は一体どんな気持ちで灯と過ごしてきたのか、灯には想像もつかなかった。


「知らな過ぎたんだ。俺たちは、杏のことを何も。ずっとこんなに近くにいたのに」


 悠一が静かに呟いた。自分自身に対する情けなさで、灯の目からは涙がこぼれた。



『手紙を読んでしまったあの日から、オレは杏と一度も会っていない。見かけたことは何度かあったが、何て声をかけていいのかわからなかった。オレはただ、杏と向き合うのが怖かったんだ。つくづく自分が情けない。同じ高校に進んだ悠一とも、あれ以来まともに話していない。オレたちは完全にバラバラになった。こんな未来、誰も望んでいなかったはずなのに。戻れるものなら戻ってやり直したい。この思いがあの日の自分に届いたらいいのにと、何度願ったことか。

 明日はタイムカプセルを掘り出す約束の日だ。過去は変えられないけど、これからの未来を少しでも明るいものにできるように、オレは杏と悠一と、もう一度向き合ってみようと思う。

 20××年 3月13日』



 一気に書き終えた灯は机に突っ伏し、そのまま眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る