10801050問題_初号

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10801050問題_初号


「もうカメラ回ってるのかい?」

 私は余計な音を出さないように気をつけながら、コクリと頷いた。

「そう。挨拶とか、したほうがいいかねぇ」

 それはこちらで合図出しますから、と身振り手振りで表現する。あまり伝わらなかったようで、首を傾げられてしまった。まぁ後で編集すればいいか、と思って声を出した。

「サインはこちらで出しますから。ミエ子さんは、とりあえず私の質問に答えてくれれば大丈夫ですよ」

「あぁ、はいはい。ごめんねぇ、アタシってばちょっと緊張しててさ」

「いえいえ、あ、じゃあそろそろ始めますね」

「ええ、ええ」


——『長生き』することをどう感じていますか?

「うーん……、苦しい。それだけだね。さっさと死んじまいたいって何度も考えたよ。ありゃ、もう3、400年も前の話になるけどね、たった一度だけさ、バカ息子と一晩中話し込んだことがあるんだよ。ま、結局アタシも秀夫ひでおも臆病モンだからさぁ、死ぬ勇気なんかないって話になって、有耶無耶になっちまったけど」

——その『長生き』の一因であるご主人に対して、どう思っていますか?

「そりゃ、恨んでるさ。アタシと秀夫だけ置いて、自分はアッサリ逝っちまったんだから。けどねぇ、可哀想だとも思ってるよ。『不老不死』ってのは、あの人の生涯のテーマで、目標で、夢だったからね。一生をかけて作った不死の薬なのに、アタシら三人の中で唯一選ばれなかった。アタシと秀夫には効いたのにさ。ひどい話だと思わないかい? しかもその薬だって、ただ寿命を1000年延ばすだけだったんだよ、不死じゃなかったんだ」

 つくづく運のない男だったよ、とミエ子は懐かしさと哀れみを含んだ顔で微笑んだ。

——あなたの人生の中で、一番印象に残っていることは何ですか?

和夫かずおさんと過ごしたこと。間違いなくそうだね、うん。その他いろんなものを忘れちまってるけど、あの人と一緒に研究室にこもった日々だけは鮮明に思い出せるよ。最初は不老不死なんざ全然興味なかったんだけど、あの人の話を聞いてたら、いつの間にかアタシも手伝ってたんだ。楽しかったなぁ、二人であーでもないこーでもないって言い合いながら、何日も何年も試行錯誤の繰り返しさ。まぁ、秀夫はロクに手伝いもしないくせして、一日中ぶらぶら遊びに行ってたけどね。あの子は今も昔も変わりゃしないんだよ、仕事にもつかないで、酒飲んでばっかでさ。全くどうしようもない奴だよ」

 よかった。思っていたよりもずっと受け答えはハッキリしているし、のある言葉だ。正直不安だったけれど、この親子を選んで正解だった。これなら、間違いなく良いものが撮れる。

——現在の暮らしには満足していますか?

「これっぽっちも。だいたいねぇ、満足してるんなら、こんな取材なんて受けちゃいないだろうさ。ホントに金がなくて、困ってるんだよ。秀夫のバカが働かないから、アタシのなけなしの年金に二人でぶら下がってる。毎日の生活がすでにギリギリなのにさ、秀夫は酒ばっか飲んでるし、アタシはパチ屋にどっぷり。いや、やめたいとは思ってるよ、そりゃもちろん。けどねぇ、無理なんだよ。そんな簡単にやめられるんなら、ここまで苦しんじゃいないよ。そう、そうなんだよ。あの子もアタシも、もうどうしようもないことまで落ちてるんだ」


「おい、ババア。黙って聞いてりゃなんだよ、さっきから俺の愚痴ばっかり言いやがって」

「秀夫! アンタ、ハローワークに行ってたんじゃないのかい」

 私は居間に入ってきた秀夫の不機嫌そうな顔をカメラに収める。

「もう結構前に帰ってきてたけど、邪魔しちゃ悪いと思って玄関にいたんだよ。母さん、頼むからよしてくれよ、息子の悪口なんてさぁ。そんなん言われたって反応に困るだけでしょうが、えぇ? 高田さんもさ、面白みがないなと思ったら、容赦なくぶった切っていいですからね。どうせほら、長ったらしい愚痴なんて使えないでしょ?」

 取材を始める前に、できるだけ私はいないものして振舞ってほしいと伝えたのだが、秀夫は何かとこちらに話を振ってくる。『長ったらしい愚痴』よりも私の声が入った映像の方が使えないことを教えるべきだろうか、と考えたが、変に気を遣われた結果ぎこちなさが出るよりはマシか、と思い直した。

「いえ、気にしないでください。私、この取材中はカメラを止めないって決めてるんです。もちろん、お二人が話しているときに口出ししたりしません。素材の選択肢はできるだけ多い方がいいですし、それに何より、私が撮りたいのはお二人の姿ですから。私が何か指示を出してしまったら、それってもうドキュメンタリーじゃないと思うんです」

 ってこんなことお二人に言うことでもないですね、忘れてください、とごまかしたが、ミエ子と秀夫は感心したように目を見開いた。

「なんかすごいなぁ、高田さんは。自分なりの美学があるって言うのかな、俺なんかよりもよっぽどしっかりしてるよ」

「そりゃそうだよ、アンタ1000年間働かないで家に引きこもってるだけじゃないか。それに比べて高田さんは立派だよ。なんたってほら、名前が出てこないんだけど……、すんごい頭のイイ大学の学生さんなんだろ?」

慶京けいきょう大学です。文学部映像学科ドキュメンタリー専攻」

「そう、それだ。すごいねぇ、アタシらとは根っからの頭の作りが違うんだね」

「そんなことないですよ。そうだ、ちょうど帰ってこられたんだし、秀夫さんにもいくつか質問していいですか?」

 話の流れをやんわりと変える。私自身の大学について語っても意味はないし、使。秀夫は唐突に向けられたカメラから背くように身をよじった。

「い、良いけど、その前に、入れてさせてくれませんか…………、アルコール。酒でも飲んでなきゃ恥ずかしくなっちゃうからさ」

「また飲まれるんですね……」

「今日はまだ飲んでませんって、チューハイ三缶しか」

「……もういいですから、とにかく始めますよ。えっと、では、あなたの人生の中で、一番印象に残っていることは何ですか?」

 私が質問すると、秀夫の酒瓶を傾ける手が止まった。そのまま何かを思い返すように軽く目線を上げる。

「印象っていうと少し違うけど、俺が250歳くらいのときにさ、付き合ってた女性がいたんだよね。源頼朝っているでしょ? その叔父の姪の娘婿の義兄弟の叔母の次男の次女で、名前は二葉ふたばの宮」

「え、すみません、なんて言いました?」

「だからぁ、源頼朝の叔父の姪の娘婿の義兄弟の叔母の次男の次女で、名前は二葉の宮」

「はぁ……、とりあえずなんかすごい人とお付き合いされていたんですね」

「そうだよ、二葉はすごくかわいくてさ、よく笑う明るい子だったなぁ。今思えば、その子が俺の1000年の中で唯一の華だった。結局二葉は俺を残して死んでしまったけどね」

 言い終えると秀夫は哀しそうに目を伏せた。

「それは……、お気の毒に」

「いや、良いんです。長生きの宿命みたいなモンだから。……言おうか悩んでたんだけど、高田さんを見てると、二葉の宮を思い出すんです。どことなく似てるから……」

「え、私ですか?」 

 思わず素で驚いてしまった。私と、二葉の宮たる人物が似ている?

「あ、顔は別に似てませんよ。ただ、雰囲気っていうのかな、そういうところ。活発そうな女の子って感じでさ」

 そんなことを言われても、私は曖昧に頷くことしかできない。

「だから、高田さんが初めてうちに取材に来たとき、すんなり信頼しちゃったし、すごく応援したいって気持ちになったんだ。あの、絶対良いもの撮って作ってくださいね。俺にできることならなんでも協力しますから」

 そう言って秀夫は、とてもアルコール中毒者とは思えないほど朗らかに笑った。



「教授、送っておいたカットは目を通していただけましたか?」

 私は制作に関するアドバイスを受けるため、佐久間教授の研究室にいた。

「見たよ、見たけどさ、君。あれじゃあ、コンクールへの推薦は到底できないな」

「どうして! 完成したら推薦してくれるって約束でしょう?」

「もちろんそのつもりだったさ、けれど君がよこしたカットを見て気が変わったんだ。君はいささか、被写体へのリスペクトが過ぎる。我々はもっと見下さなければいけないんだ。我々撮る人間が遠慮すれば、観客は彼らを躊躇せずに見下すことができなくなってしまう。見る人の嘲笑と同情を誘う、それがドキュメンタリーというものだ」

 それに……、と教授はため息をつきながら続けた。

「これを見たまえ」

 差し出されたタブレット端末には、私が撮ったあの親子の映像が流れていた。

「これが何か……」

「気づかないかね、まぁ無理もない。私も最初は目を疑ったよ。この二人、妙にキャメラへの収まりが良いと思わないか?」

 そんなのたまたまだ、と私は反論しようとしたが、手で制されて黙ってしまった。

「それも偶然ワンシーンだけ、というわけではなく、いつ見ても、どんな状況でも、最良の位置に配置されている。明らかに不自然だ。気になってこの親子について少し調べてみたんだ」

 教授はタブレット端末に別のページを表示させる。

「数えきれないほどドキュメンタリーのたぐいに出演していたよ、君の被写体たちは。しかも、古い順に並べていくつか再生すると、回を増すごとに。初めはヘタな演技をしているような動きだったが、最近撮られたものを見ると、まるで名俳優だよ。ミエ子はどんどんパチンコに浸かっていくし、秀夫はますますアルコールに頼っていった。二人とも考えが卑屈になり、キャメラの位置を意識し、味のある言葉を発するようになった。決定的な証拠もある。これだ」


——あなたは死が怖いですか?

『ちっとも怖くないね。アタシゃ、死はどうにもならない摂理だと思ってるんだ。花は枯れるし人は歳をとるものだろうさ。アタシも秀夫も寿命が少し長いだけで、例外ではないんだな。人間ってのは死なないことが幸せではないし、生きている間に自分の生きがいを見つけられれば、それでいいんだよ。アタシの場合はそれがパチンコだったってことになるけど』 


 それは教授に送っておいたカットの一部だった。なかなか使えそうな言葉が引き出せた、とそのときの私は考えていたことを思い出す。

「この言葉、どこかで聞いた覚えがあるなと思ったら、手塚治虫の『火の鳥』をほとんどそのまま引用していたんだ。しかも、あのマンガを要約したウェブサイト からパクっている。検索したらすぐ出てきたよ」

「そんな……」

 殴られたような衝撃を受けて、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。そんな私の肩に手を置いて、教授は優しく諭すように言う。

「そういうわけだから、この映画が完成しても推薦はできないし、場合によっては単位の取得すら難しいかもしれない。酷なことを言うが、まだもう少し時間はあるから、取材対象を変更することを考えてみたらどうかね」



 私はあの親子に騙されていたのか? 

 だと思っていた彼らの立ち振る舞いは、計算し尽くされた演技だったのか?

 ミエ子の死生観はただの受け売りだった。パチンコが大好きというのも嘘? 

 本当はアルコール中毒者なんかではないのか? 

 いやむしろ、生活が厳しいという前提が間違っていて、『どうしようもないところまで落ちている』ことがドキュメンタリー向けの誇張に過ぎないのか?


『おねぇさん、俺が唯一付き合ってた人によく似てるんだよね。雰囲気とか』

『えー、ホントですか? なんか、うれしいかも』

『だいたい150年くらい前のことかな、伊藤博文っているでしょ? 初代首相のさ。その叔父の姪の娘婿の義兄弟の叔母の次男の次女で、名前はなつゑ』

『は、はい?』

『だからぁ、伊藤博文の叔父の姪の娘婿の義兄弟の叔母の次男の次女で、名前はなつゑ』

『は、はぁ……、よくわかんないけど、なんかすごい人と付き合ってたんですね』


 数年前に撮られたドキュメンタリーの中の秀夫は、つい先日私にも向けたようなあの朗らかな顔で、応援してますからね、と言っていた。ナメられているのだ。なんだよ、叔父の姪の娘婿の義兄弟の叔母の次男の次女って。ほとんど他人じゃないか。馬鹿にするのも大概にしてほしい。

 そもそも、私はどこで彼らの存在を知った? Yahoo!ニュースで8050問題について調べているとき、偶然彼らについての記事を目にしたことがきっかけだ。考えてもみれば、寿命が1000年もあるというインパクトに、私以外の撮る人間が食いつかないわけがないのだ。

 私はそこまで頭を巡らせて、ふと思ってしまった。 

彼らがこんなにも誇張され、嘘をつき、他人の言葉を借りているのに、それを『使えるから』と歓迎した上で、ありのままの姿であると喧伝する私たち撮る側の人間にも問題があるのではないだろうか。

 ドキュメンタリーとは何のためにあるのか。教授が言うように、彼らを見下し、時に嘲笑し、時に同情し、『あぁ、自分はこうならずに済んでよかった』と結論付けるためなのか?



「今日は、お二人にお話があって伺いました」

 玄関口で愛想よく出迎えてくれたミエ子と秀夫に、私は少し冷たい声音でそう伝える。二人は困惑した様子だったが、まぁとにかく上がってよ、と言った。

「どうしたんだい、深刻そうな顔して。あれだろ、男にフられたとかだろ」

「高田さんをフるなんてそいつは見る目がないなぁ」

「あの」

 私は二人の会話をぶった切るように声を出す。

「お二人について色々調べさせてもらいました。直近の20年間、インターネット上で確認できるだけでも七本のドキュメンタリー番組に出演し、四つのニュースサイトでインタビューを受けていますね」

「あ、あぁ、そんなこともあったかね……、あんまり覚えてないよ」

「秀夫さんに訊きますけど、なつゑってどなたですか? 伊藤博文の遠い親戚らしいですね」

「え、それは、その、俺が少し前に付き合ってた人で……」

「二葉の宮が『唯一の華』だったはずでは?」

「あ、いや、それはちょっと間違えたんだよ、ほら、俺には二葉の宮となつゑっていう、二つの華があったってだけですよ」

「そ、そうだよ。こいつさ、バカだからさ、そういう大事なことポロっと忘れちゃったりするんだよ。この前なんか大変だったよ、いきなり自分の名前が思い出せないとか言い出して」

 動揺がまるっきり顔に出ていて、いっそ吹き出してしまいしそうになった。

「嘘をつかないでください。本当は、そんな人たち存在しないんですよね?」

「嘘なんかじゃ!」

 私の責め立てる視線を受けて、秀夫は押し黙る。観念したように鼻から息を吐いた。

「…………いませんよ。全部、俺の妄想ですよ。そもそも外に出ないのに、女の人と付き合うっていうのがおかしな話でしょ。それに俺だけじゃない、母さんだってたくさんホラを吹いているんだ」

「秀夫、アンタ何言って!」

「なぜそんなことを?」

私はここ数日の間ずっと彼らに問おうとしていたことを訊いた。

「なぜって……、単純ですよ。取材でもなんでもいいから、誰かが俺たちに構ってくれるのが嬉しかった。それだけです。ちょっと大げさに喋ったって、みんな気づかないし、むしろ喜んでくれる。退屈だったんです。だって俺、無職だし。それに、何の理由もなくただ無職なんですよ、仕事で失敗した、とかそういうトラウマは一切ないんです。働いたことがないから当たり前なんだけどね」

 母さんもだろ、と秀夫はミエ子の肩を優しく叩いた。

「…………そうだよ。秀夫の言うとおりだよ。アタシらみたいな体たらくにさ、注目してくれる人がいるんだと思ったら、アタシゃもうそれだけで舞い上がっちまって。それまで以上にパチ屋に長居してみたりさ、それっぽい名言をネットとかで調べて言えるようにしたり、映像の構図についての本を読んだりもしたね。楽しかったなぁ、どんどんどんどんドキュメンタリーの人の反応が良くなっていくんだもの」

「そう、ですか。話して下さってありがとうございます。けど、けれど」

 私は自分の語る言葉に熱が入るのが分かった。

「私が撮りたいのは、以前も言いましたが、お二人の姿なんです。確かにあなた方が行った努力や多少の誇張も、ある意味ではありのままかもしれない。ですがそれでは、真の意味での『ドキュメンタリー』を作ることはできない、と私は思ってしまうんです」

 私がそう告げると、ミエ子は途端に卑屈な笑みを浮かべた。

「そうは言うけどね、みんながみんな高田さんみたいに志高くドキュメンタリーを撮っているわけじゃないのさ。視聴者だってそうだろ? アンタらが求めているのは滑稽なアタシらだ。日々の生活に苦労してて、今にも自殺しちまいそうで、それでも何とか歯を食いしばって生きているアタシらだ。醜くないアタシらなんて、一体だれが撮ってくれるんだ?」

「私です! 私が撮るって決めたんです。なんの嘘も、誇張もない、ただのお婆さんと、その息子であるあなた方二人を。だから、協力してください、お願いします」



「もうカメラ回ってるんだろ?」

私は余計な音を出さないように気をつけながら、コクリと頷いた。今さら気を遣っても無駄だと心の中で自分にツッコミを入れておく。

「そう、挨拶とかはいらないんだったね」

 もう一度私は頷いた。

「なんか、緊張するなぁ、何度やってもカメラって慣れないんですよ」

「しっかりしな秀夫! そんなんじゃ、アタシが死んだあとやっていけないよ。ほら、もう始めるってよ」

「いちいちうるさいんだよ、分かってるって」


——『長生き』することをどう感じていますか?

「特になんとも思っちゃいないさ。いままで誰にも話したことなかったんだけどね、アタシら実は記憶が80年程度しか持たないんだ」

「そうそう、だからね、ホントにその辺にいる老人たちと変わらないんですよ。一番古い記憶なんてせいぜい戦争末期のあたりだね」

「それより前のことなんかきれいさっぱり忘れちまうんだ。どんなとこに住んでたかとか、どんなご近所付き合いだったのかとか、何にも覚えちゃいない。だからね、1000年生きる苦しみなんてアタシらには分からないのさ」

——ご主人に対しては、どう思っていますか?

「うーん、恨んでるってのは、嘘じゃないよ。なんでアタシと秀夫を置いて先に死んじまったんだって問いただしたい気持ちもある。ただ、それももう1000年も前の話だよ。夫の顔さえ思い出せないしね。和夫って名前もアタシのでっち上げでしかない。一度テレビの企画で、専門家の先生にアタシの夫が誰だったのか調べてもらったことがあるんだよ。『おそらくこの方です』って肖像画みたいなの渡されたんだけど、全然ピンと来なくて反応に困ったね」

 適当に泣いてごまかしたけど、とミエ子はケラケラ笑った。

——あなたは死が怖いですか?

「怖いよ。怖くないわけがないんだ。お医者さんにも言われたよ、『あなたはもうほとんど普通の人間と変わりません』って。アタシゃあと10年かそこらでくたばっちまうんだ。アタシが死んだら、秀夫はどうなっちまうんだって考えただけで不安になるね」

 働けこのバカ息子、とミエ子は秀夫の肩を強く叩いた。

「い、今も頑張ってるだろ。ハロワにだって行ってるし、そのうちなんかしらの仕事は見つかる。それにほら、母さんが死んだって何とか生きていくよ。大抵のことは何とかなっちゃうんだからさ」

「そうなってくれりゃ安心なんだけどねぇ」

——現在の暮らしには満足していますか?

「満足とまでは言えないけど、案外普通に暮らせてますよ。ドキュメンタリー出演の謝礼とか、そんなに多くないですけどたまにもらうし。俺も母さんも、もともとあんまりお金使わないんですよね。俺が酒を飲むのは取材の人が来てる時だけだし、母さんがパチ屋で打つのは一円の台で千円までって決めてる上に、毎日通ってるわけでもない」

「そうそう、確かにアタシらは貧乏だけどね、別に苦しくなんかないんだ。貧しいなら貧しいなりに日々の楽しさがあるし、どーでもいいことに二人で笑い合ったりもする。少なくともアタシが死ぬまでは、もうどうしようもないとこまで落ちるってことはないね」



「ちょ、ちょっと高田君! 待ちなさい!」

 大学の構内で、私はすれ違った佐久間教授に呼び止められた。

「教授、そんなに慌ててどうしたんですか」

「どうしたもこうもないよ、君。アレで良いと思っているのか?」

「アレ……、とは?」

 とぼけてみせた私に、教授は苛立ったように声を大きくした。

「君が提出した、あの親子のインタビュー映像だよ。対象を変えるよう、言ったじゃないか。それになんだあの内容は。ドキュメンタリーをこけにするつもりか」

「あぁ、その件ですか。私は最高の出来だと感じたんですけどね」

「そんなわけあるか! あれではただの老人とひきこもりニートじゃないか。1000年の時を生きる重みが全く感じられない。あんなの一体どこに面白みがあるというんだ。リアルをよりリアルに、散漫な現実を一つのストーリーに、それがドキュメンタリーだろう⁉」

 教授があまりにも必死な顔で口走るものだから、私はこらえきれずに吹き出してしまった。

「別につまらなくてもいいじゃないですか。ありのままなんてそんなものでしょう?」


                                 (完)



 いかがだっただろうか。この映画を作成するにあたって、教授が映った映像の使用許可を取っていないことを記しておく。隠し撮りのような形になってしまったし、肖像権侵害で訴えられやしないかと内心ヒヤヒヤしている。また映画内で使われている映像はすべて私が実際に撮ったものだ。カメラをから素材が豊富にあり、編集作業は大変だったがとても充実していた。もちろんコンクールへ出品できる代物ではないし、なんなら単位も落としたため、学校を卒業できるかどうかも怪しい。まぁなんとかなるだろう。

 この初号を見た教授は、それはもうお怒りの様子で、『こんなものが観客にウケるはずがない!』と叫んでいた。それに関しては私も同意する。

 しかし、ミエ子と秀夫は終始楽しそうに鑑賞し、『面白い』と言ってくれたから、それで十分なようにも思う。

 ご視聴ありがとうございました。



・ミエ子が引用したと思われるwebページ

『手塚治虫が"とにかく死ぬのが怖い"という20代若手社員に贈る言葉とは』(PRESIDENT Online、2020年) 《https://president.jp/articles/-/33441 》


・大いに参考にした演劇

松尾スズキ作・演出『命、ギガ長ス』(東京成人演劇部、2019年)

  

 

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