第1章 悔恨

冷たくなっていく体

 拓也たちは、自分たちが住むマンションにいた。



 あの死神が実から魂を取った瞬間、拓也たちはあっという間にこの拓也の部屋に戻されていたのだ。



 拓也も尚希も、口を閉じたまま微動だにしない。

 二人の視線は、尚希の腕の中に注がれていた。



 尚希の腕の中で目を閉じる実に。



 もうすでに息もしていない実。



 固く閉じられたまぶたと口は開く気配を見せず、どれだけ強く抱き締めても、体はピクリとも動かなかった。



 生きている証を全て失った実の体を抱き締め、尚希は唇をこれでもかというほど噛み締めた。



(どうしてこうなった…?)



 今さら考えてもどうにもならないが、その疑問が巡り巡って消えなかった。



 実の話では、拓也が死を免れれば全てが丸く収まるはずだったではないか。

 なのに、どうして……



 よくよく過去を思い返して、尚希はハッとする。



 確かゲームの内容は、拓也が死を免れれば拓也の命から手を引く。

 しかし拓也が死神の定めたとおりに死んだのなら、実の魂も一緒に狩るというものだ。



 なんということだろう。

 尚希は己の認識不足に震えた。



 そのゲームの中で、実の安全は保障されていない。



 仮に拓也の命が助かったとしても、拓也と同じように実の命も助かるとは明言されていないのだ。



「くそっ!」



 拓也のことで頭がいっぱいで、思い至らなかった。

 ある意味、実の立ち位置は拓也以上に危険だったのだ。



 それに、どこかで安心していた自分がいた。



 これまで、数々の窮地を難なくかいくぐってきた実だ。

 その実が、簡単にやられるわけがないと思っていた。



 それが、こんな簡単に―――



(オレが、もっとしっかりしていれば……)



 実が死んでしまった今となっては、その後悔もむなしいだけ。

 魂を取り戻したくても、拓也から影が消えた今となっては、あの死神に接触するすべがない。



 心の中で、怒りやら後悔やらという負の感情がぐちゃぐちゃに入り混じっている。

 激情が暴れ回って、衝動にも似た何かが爆発する。



「くっ…」



 噛み締めた唇が切れて、血の味が口の中に広がった。



「キース……」



 暴走する気持ちが満たす頭の中に飛び込んだ声。

 尚希はのろのろと顔を上げる。



 そこには、怯えとも見える表情でこちらを見つめている拓也がいた。



「なあ……実、おれのせいで死んだのか?」



 声がとてつもなく震えていた。



 何も知らない拓也からすると、この状況は理解しがたいものだった。

 久美子を見送ったと思ったら、突然実が死んだ。

 目の前で、どこの誰かも分からない者に殺された。



 何が起こったのか分からない。

 拓也の理性は、そのあまりのショックになかばその機能を失っていた。



 自分の後ろにあった黒い影が、不気味な音を立てて背中から剥がれていく感触。

 あのおぞましい感触が、影が自分にいていたものだという確証を与えていた。



『別に、拓也にあんたのことを話したわけじゃないんだ。ルール違反ではないだろ?』



 死の直前、実が相手に向けて放った言葉が何度も脳内に響く。



 目の当たりにした現実が、実が死んだ原因に限りなく自分が関わっているのだと語っている気がした。



「そんなわけないだろ。」



 拓也の瞳の揺れに息を飲んだ尚希は、すぐさまそれを否定。



 拓也は実が信じたとおり、自分の意志で選択をして、身を切る覚悟を決めて久美子を見送った。



 そうして、死の運命からのがれたのだ。



 やるべきことはやった。

 それをぶち壊したのは、あの死神だ。



 何があって死神が実に狙いを定めたのか。

 それは知るところではないが……



「実…」



 尚希は実の整った顔を見つめる。



(こんなの……あまりにも理不尽だろ……)



 どこに行っても誰かに狙われ、その命を賭けざるを得なくなる。

 本人がそれを望んでいなくとも、周りが平穏を許さない。



 これが、〝鍵〟たる者の運命だというのか。



 その身に過去の負を秘めているというだけで、こうも運命に翻弄され、苦しまなければならないものなのか。



 ただ穏やかに過ごしたいという、そんなささやかな願いすら叶えられないのだろうか。



 そんなの、あまりにも酷ではないか。



 実の前髪を一房すくう。

 細く柔らかい髪は、さらりと心地よい感触を残して手から落ちた。



 落ちた前髪が目の上に落ちるが、それに実は全く反応しない。



 ただでさえ、つらかっただろう。



 その運命故に散々苦悩し、それでもその苦悩をおくびにも出さずに、精一杯運命に向き合っていたのに。



(こんな終わり方……あんまりだ。)



 いくら悲嘆しても、もう遅い。

 後は、この温もりが消えていくのをただ待つしかないのだから。



 実の体を抱き締めて、その肩に顔をうずめた。

 その時だ。





 ―――すっ





 微かに、しかし確かに、実の唇が空気を吸った。


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